あの日の事を忘れないように…
まだ思い出せる今、思い出せる限り書き残しておこう。
1年前も『書き残しておこう』と思ったけど、何だか書けなかったんだ。
2011年3月11日。
いつもと同じ時間に起きて
いつもと同じ時間に電車に乗って
いつもと同じ時間に出勤した。
14:30の本番まで、いつもと同じようにメイクして、衣装に着替えて…
確かあの日はこの時期にしては寒い日で、みんなで「寒いね~

」とか言いながらスタンバイしてたんだよね。
そして、珍しく同期と一緒で…
もちろん、いつもと何も変わらず本番がスタートした。
それから16分後…14:46…地震が起きた。
最初は"なんだか今日はフラフラするなぁ…"なんて思いながら踊ってたんだけど
そのうち聞こえてきたゲストの悲鳴。
それでも踊ってると揺れに気付かないもので…
"芸能人でも来てるのか

"なんて呑気な事を考えたりしてた。
でもすぐに、喜びの悲鳴ではなく、恐怖の悲鳴だと分かった。
見えてる景色がおかしい

ゲストが揺れてる…木やスピーカータワー、火山までもが揺れてる…
やばい

ただ事じゃない

そして、"私はここで死ぬんだ…"と思った。
人間、死ぬ時ってこんな感じなのか…
絶対、家は潰れてるよ…
家族は大丈夫かな…
やり残した事いっぱいあるよ…
そんな事を思いながら揺れてる中、踊り続けた。
正直、こんな揺れてるんだし踊り止めてもいいでしょ

と思ったけど
私達はプロ。
メイクして、衣装着て、ゲストの前に立ってる以上、音が止まるまでは踊り続けなきゃいけない。
そりゃ、ちょ~~~動揺したよ。泣きそうだったよ。
でも横見たら、みんな踊ってるじゃん。
あの時の仲間達は本当にかっこ良かった

そして、揺れがおさまって、やっと音も止まった。
流れるスピール…
『只今、地震が発生しました。このパークは地震には強くできてます…』
とかなんとか…
"絶対うそだ

このまま沈むよ…"
と思ったけど、本当に安全な場所だったね。
スピールが終わるか終わらないか、私はいてもたってもいられなくなってゲストに声をかけにいった。
確かあの日、あの場所で1番先輩だったんだよね…。
"もうスタッフに怒られてもいい

私は動く

"
「ごめんね~怖かったよね…」
「もう大丈夫だよ

」
自分に言い聞かせてたんだと思う。
私達、出演者には、ゲストに声をかけて少しでも安心してもらう事しか出来なかった。
なにせ自分達もかなり動揺してたからね。
あの時、近くにいたキャストさん、かっこ良かったな…
「大丈夫です

座って下さい

」
一番冷静だったんじゃないかな。
そして、船に乗りバックステージへ…
他の場所で踊ってた仲間・スタッフの顔を見たら安心して「生きてて良かった~

」って泣いたよね…
それから、しばらく建物の中には入れず衣装のまま外で待機。
もちろん、すっごい寒かったよ

そしたらね…自分達だって絶対寒いはずなのに、スタッフ達が上着を貸してくれたの。
できるだけ、温かくなるようにってタオルとか用意してくれて…
やっと建物に入って良いって指示が出て「怖かったね~」とか言いながら着替えてたら
2回目の大きな揺れ。
着の身着のまま外に飛び出した。
寒い中の待機…かと思ったら、スタッフ達は出演者をどうにか温かい場所へ…とマイクロバスを4台用意してくれた。
ガソリン満タンだから、暖房も付くし、ラジオも聞けるよ

って…
そんな場所を用意してくれたスタッフは外で立ちっぱなし…
"私達、こんなに大事にされてたんだ…"ってそこで気づいた。
気づくの遅いよね…バカだよね。
ラジオで津波が来てる事を知る。
17:00すぎだったかな…やっと建物の中に入る許可が降りた。
でも、着替えと、トイレ、食べ物や飲み物、携帯電話を取ったらすぐバスに戻らなければいけなかった。
ここで、やっと家族や友達と連絡が取れる。
ワンセグで初めて事の重大さを知る。
22:00過ぎ、やっとやっと建物で過ごせる許可が出て、少しだけど落ち着いた。
社食ではおにぎりや飲み物が配られた。
「一人一つとは言わず、10個でも20個でも、同じ部署の人達の分も持って行って下さい

」
なんて素晴らしい会社だ。
休憩室のテレビを付け、いつでも逃げられる常態で椅子やリハーサルルームで横になる。
もう時間の感覚は無い。
一晩中鳴り止まない緊急地震速報。
日が昇ってから改めてニュースを見る。
想像を絶する津波の映像。
映画でも見てるようだった。
昼過ぎ、動き始めた電車もあるという事で、先輩・後輩7・8人で1時間半ぐらいかけて新木場駅まで歩き
有楽町線、総武線を使って帰宅。
私のダンサー生活はあの日のあの時で終わってしまった。
悔しかったけど、絶対忘れる事の無い最後になったから、今では良かったと思ってる。
あの日の事は一生忘れない。忘れちゃいけない。
そう改めて心に誓いました。