なにもしない人間が 落ちてから分かる 大切なこと | 女寿司職人◎モナリーオフィシャルブログ

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2020年は寿司職人をしています!
すべてイチからのスタート。魚をさばき、シャリを炊き、お寿司を握る。
ひとつずつ成長していくアラサー女板前のブログです。



なにもしないというのは、

自分の心の波、

体の波に

合わせて生きるということ。


コントロールを手放し、

流されて生きるということ。


そうすると、

自分の本音で生きる喜びを感じる。


その、本音の喜びというのは、

ときに嬉しく、ときに辛い。


すべての感情が

自分にふりかかってくる。


ロボット人間として

生きていたときには感じないものがある。


ポジティブ人間として

生きていたときには感じないものがある。


感謝言い過ぎ人間として

生きていたときには感じないものがある。


その感情は、

ときに、胸につきささり過ぎることもある。


もちろん、それは、とても辛い。


辛いのだが、

その辛いのなかに


自分の本音を生きているという喜びが存在する。


辛いかもしれないけれど、

ロボット人間よりも幸せだ。


わたしは、人間を生きている。

なにもしないと、人間らしくなる。


ときに、落ち込んでしまうことがある。


ロボット人間は、そんときでも

心を笑顔にしようと力づくで

凹んだ心をねじふせる。


それは、もうやめよう。


悲しくていいじゃん。

落ち込んでいいじゃん。


それも、感じてあげよう。


感じてくれないほうが、さみしいよ。


落ち込んだ私の心になって、

初めて気付くことがたくさんある。


それを、見ようよ。


落ち込んで初めて分かる


用意された夕飯のありがたみ。

近所で挨拶してくれるおじいちゃんの優しさ。

朝日を浴びることの気持ち良さ。

親も精一杯やってたことを知る。

インターネットがつながってることの素晴らしさ。

すぐそこにコンビニがあること。

家で一人で落ち込めるということ。

泣き顔を人に見られらない場所があるということ。



うまくいってるときに

見えなかった、

いましか見えないものがある。


うまくいってるときに

ムリに見ようとしなくていい。


そのとき、そのときにしか

見れないものがある。

自分の心が映し出してくれるものを

感じる。


こんなときに、心からの感謝がでる。


感じるときに、感じたらいい。

感じられるときに、感じたらいい。


ムリに感じなくていい。


なにもしなくても、

私たちは、変化していく。

勝手に変わっていく。


そのときの、いまココを、感じる。