今月10月は新月でのスタートです。
新月は月の光が全く見えず夜は真っ暗ですが、これから生まれ出る強烈なパワーに満ち溢れることから、ものごとを始める時期としては理想的と言われています。
考えればものごとが生まれるときはなんでも真っ暗。
目にみえる世界は真っ暗だけど、これから出でようとする力は強烈なパワーをもっています。
新月
冬至、ここから日が伸び始めますし・・・
陰陽五行の世界でも、「陰」から「陽」が生まれる。
女性から男性(子供)が生まれ、心から行動が生まれる。
私は月初めに自分なりにお祈りをすることを習慣にしています。
特定の宗教はないので、自分なりの神様に対して
といいながら、幼少の頃から「宗教」には楽しんで接してきました。
小さいときは近くのプロテスタントの教会に遊びにいって、聖歌隊やパイプオルガンの音色に聞き入り、中高はカトリックの学校に通い、一方、家では仏式のお墓に法事、家の結婚式は神社。。いわゆるハイブリッド!?
そんな中で、強いて言えば神道には親しみを感じます。
経典も儀式もわかりませんが、「八百万の神様」は本当にニコニコといつも微笑んで、今、私の目の前の世界にたくさんいる気がします。
小さい頃から、すべてに神様が宿っていると教えられてきたせいもあるでしょう。本には本の神様、朝には朝の神様
・・でももう一つ、神社そのものの在り方です。
日本各地を旅行して、多くの神社も訪ねました。
神社の佇まいはその地域の自然に溶け込んでいます。西洋の豪華さはありませんが、建物だけではく、神社はその土地全体に調和し、凛としたものさえ感じる。
「自然の中にお社を建てさせて<頂いて>」というような人の気持が感じられますし、神様のお社さえも、自然に対して「おかせてもらってありがとう」というような気持ちが感じられ、その結果、神社では土地を含めたすべてが調和し、本物・真実と思える。
すべてに神様が宿っていると考えながらお社をたてた、その人間の気持ちがさらに神様を喜ばせている。それは宇宙の規律にのっとっているからではないでしょうか。
そうした「八百万の神様」はいつの間にか肌にしみこんでいた気がします。
そんな神道が、なんとなく根付く日本には、「なんとなく」という言葉がぴったり!善悪さえも、人智をこえた規律にのっとっていて、人間にはすべてわからないから判断できない。でも、自分に痛いことは他の人にも痛いとわかる。痛いから。それは善悪を超越する。
だから日本では、善悪というより、他人の思い・痛みを自分の思いとして感じることで、「してはいいこと、いけないこと」を生活の中から学び、日本の道徳観ができたのだと思います。それは、押し付けられる善悪より、よほど私には真実と思えます。
世界を見渡すと、たいてい「善悪」がある。でも日本では「悪」は、「悪」になりきれない。
例えば子供のアニメで言えば、アンパンマン。ばいきんまんは一般的には「悪」ですが、いたずらで、ずっこけていて、なんとも許せてしまう。ばいきんまん好きの子供も多い。
アニメの一つにも、二元的な感覚ではなく、日本人の一元的な感覚が、そんなところにも表れています。
こうした一元的な心持ちは、今という時代を生きる上でも大切になってきています。
二元的に考えていると、「自分なんてダメだ」「あの人が悪い!」と思って、自分あるいは他人を「悪」とみなして攻撃しますが、一元的に過ごしていると、「そんな日もあるさ」と思えるようになります。判断しないと、「なんでもあり」の世界が生まれるから。
二元的に考えて、「正しい」自分を生きるのではなく、一元的に考えて、新たな自分を力強く創造していく。頭の善悪ではなく、体感できる優しさを定規として心にもつことで、他人だけでなく、自分に優しい、楽な生き方ができるようになる気がします。
その繊細さが日本の芸術や技術を生み出す力になっているのではないでしょうか。そんな感覚が人を通して世界に広がっていけばいいなぁ。。
10月1日の新月には、たくさんの閃きをもらい、なんとか言葉にしてみました
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます