日本中で暑い日が続いています。

ここ神奈川も暑いけれど、風があるせいか、今日はなんとか扇風機でもいけそうです。

 

先日、秋田に新幹線で初めて行ってきました。

窓からみる東北の景色は変化に富み、とても魅力的。東京から4時間弱と聞いていたけれど、景色をみているうちに、あっという間に秋田に到着しました。

 

最初に目にしたのは、秋田県立美術館前、千秋公園の池に咲く見事なハスの花きらきら

一輪だけ、きれいに咲くハスをみつけました

 

 

そんなハスの花から思い浮かんだこと・・「自我」についてです。

 

昨日、たまたま目にしたテレビ番組で、小堺さんといとうあさこさんが対談があり、その中で

ピンクレディや松田聖子の懐かしい映像がでていたので、思わず見入ってしまいました。大ファンでしたからラブラブそんな中で、面白い会話がありました。

 

いとうさん:「どうしてこの映像は色褪せないんでしょう?」

小堺さん:「<今>にあわせてないから」「今の人たちは、<今>に合わせるけれど、彼ら(歌手をプロデュースした人たち)は、自分たちの中にあるものにあわせるから」と答えます。

 

「今」といった瞬間に過去になると。

 

そして、ピンクレディや松田聖子さんが色褪せないのは、小堺さんによれば、「自分の中にないものをだから」だと。AKBもそうなのかな。

 

 

ちょっと混乱もしますが、わかるような気もする・・

 

ピンクレディや松田聖子さんといったアイドルは、自分の中にあるものを表したわけではありません。歌手という領域で自分というものを手放したからこそ、自分の自覚しない自分がでてきたのかもしれません。

 

この時代に、そうした方法で自我を手放す場面にはなかなか遭遇しないかもしれない。

今は、自分の「心地よさ」を追及することが大事みたいな風潮もあります。確かにそれも本当のことだと思います。

 

でも、自分の中ばかりみていると、いつの間にか自分の理想のようなものばかりを追って、自分そのものから離れてしまっている可能性もあります。

 

いつの時代も、なにか大きな力に委ねざるを得なくなったときに初めて、自分が考えていた「自分の空間」以外に、自分には別の空間がもともと備わっていることに気が付くのかもしれない。あるいは、今の子供たちの中には、もともとそれが当たり前のようにしている天使のような子供たちもいるように思います。

 

どんな形であれ、その気づきやその状態こそが、池の中の泥の養分で育まれ、それから想像できないほどの純白で美しいハスの花にたとえられるような気がしました。

 

私の誕生日は7月ですが、あまり「お得(笑)」なことはありません。子供の頃は夏休みだから友人にも会えないし、誕生日割りなどの割引も、セールまっさかりでいまいち(笑)

でも、7月の花は「ハス」とみたことがあって、それは嬉しいかも。

 

ハスをあまり目にする機会もなかったけれど、秋田では、たくさんのハスをみることができて清められた(!?)気がします。

 

秋田は今回は短い滞在でしたが、次回はゆっくり訪ねてみたい場所になりました。