関東もいよいよ梅雨空になってきました。
バラの季節から、そろそろアジサイが主役になりそうです。
先日からレシピを始めましたが、料理はまさしく「今」この瞬間のもの。
「こんなの食べたい」から始まって、食材を前にすると
新鮮さをみたり、きる形を考えたり、あるいはゆですぎないようにじっとみたり、「あれ入れよう、これ入れよう
」と、今手元にある食材で考える。おいしくできあがれば、食材とハーモニーがばっちりでうれしいし
、みんなも喜んでくれます。
おなかいっぱいになるとき、これは不思議と手料理が圧倒的ですが、頭がスキッします。特に新鮮なものを食べたあと。作り手の思いや食材、体はまさにつながっているようです
衣食住は今も昔も安心して暮らすのに不可欠ですが、今は本当に便利な世の中で、衣食住に直接かかわらなくても生きていけます。
大昔は、「衣食住」を家族や部族で賄わなければならず、人生のほとんどを費やしたのではないかと思います。でも今は、衣服はそこそこの値段で機能のよい服も手に入り、裾上げもリペアショップがある。食事は外食でも惣菜でもいいものがたくさんあるし、家の補修も業者にお願いできる
このように、今は社会全体で分業化され、衣食住の「生み出す」部分に、多くの人が直接携わらなくてもよくなりました。この分業化の傾向は社会の隅々まですすみ、医療では人間の体はパーツで出来上がっているわけではないのに細分化されて、「XX科でないからXXはみられません」、ということも起きたりもしています。この分業化が、社会の中で、一人の人間が基本ではなく、社会が基本のように錯覚する原因なのかなぁ。。
一方で、衣食住を心配せずにすむようになった今、心の在り方など、目に見えない部分の充足を求めるようになり、それによって、分業化された社会の中で、見えるものの裏に潜む見えないものに焦点があてられています。
でもね、時代がどう変わろうとも、衣食住が大切なことは、今も昔も変わらない。
分業化されているこの時代だからこそ、一人ひとりの在り方がとても大事になっている気がします。衣食住に限らず、分業化ということは、誰かの代わりにその役を担っています。
その人が何を大事にしながら物事を作り出していくかが、他の人の在り方にも簡単に影響を及す時代にはいったともいえます。
衣食住の大本から切り離され、また自然とも切り離された生活を多くの人が送れるようになったこの分業化社会の中では、意識的に自然に触れて、自然と一体になって
、自分の魂にできるだけ沿うことを意識することが、個人のみならず、みんな、あるいは地球にとって大事になってきている気がします。
「自然を魂にいれていきる」 どこかの本で読んだ言葉です。
山や海
、あるいは動物
でも食材
でも、人間
でもいい、とにかく自然に直接触れて、頭の世界から飛び出ること。そこから本当の楽しさや充実感、喜びが始まるように思います。