5月もあっという間に残り数日を残すばかりになりました。

アジサイがいつのまにかきれいに色づいています。きれい~きらきら

 

 

カレンダーをみながらも、忙しさに流されて、時の流れを感じていませんでした。

 

のんびりしていても、忙しさに紛れていても、生命には、「時間」という恵みがいつも与えられている。そして、その舞台の上で、自分が<忙しく>踊ることを選んでいたことにも気が付きます。。お

 

一日は24時間、1440分、そして86400秒。

 

アジサイは冬から春へ、春から梅雨へ、寒さや温かさに抱かれて大きく成長します。アジサイは早く成長しようとも思わないし、バラになろうとはしません。その存在はどこまでもアジサイあじさい。bubble*

 

それに比べて人間は、仕事を仕上げるのに無理も厭わず必死必死になったり、自分ではない何かになりきって努力することもできます。

 

ただね、与えられた生命を、効率的に使うことはできません。

 

社会の中でいう効率性を、自分の生命にあてはめてしまうと心にも体にも無理がきます。アジサイがアジサイでなくなってしまう。

本来、人の生命はのびやかで、はつらつ音譜おつきさま2音譜としています。でも、社会は、効率性を求めることから、時に、そののびやかさに逆らうようなこともありました。

 

人間には頭があるからこそ、本来の動きではない無理な動きができます。ほかの動物chiroや植物チューリップピンクにはできません。

 

だからといって、頭は決して邪魔なものではありません。頭、言い換えれば意図の出番がちょっと違っただけ。

 

頭の出番は、仕事などである無理難題を解決するために自分をコントロールすることではなくて、本当は、そうしたことを前にしても、自分の心や体の声を正面から聞き続けようと、一瞬一瞬決心!!12していくことにあるように思うのです。そうすれば、どんな無理難題に向かっても、ずっと選択していますから、自分で結果を引き受けられる。少なくとも、気持ちは満足するはずですおすましペガサス

 

自分で決めて、自分でその結果を引き受ける、それでまたよいことを考える、また試すおつきさま2

 

この選択をし続けると、選択の次元も変わってきて、あっという間に、心からの喜べる状態に近づく気がします。アジサイがアジサイであるように、決断を重ねることで人もその人になるから。

 

以前のブログで書きましたが、ありのままの希望はそんなに大きなものではないけれど、そのちょっとした選択の中に、いまは見えていない大きな希望のDNAがありますから、確実に好きなものを選択することはとても大事なことかも。

 

難しい知識は必要なくて、ただ素直にものをみることがとても大事なような気がします。

知識は補助輪にはなるかもしれませんが、ハンドルはやっぱり自分です。

サーチを使って今にあることを選択して、感性天使を頼りに選択の結果を図りながら道を作っていく。道なき道をゆく感じですが、生きるということはこういうことなんだなぁ。

 

・・・と、かなり自戒をこめてしまいました(笑)。夜がくれば朝がきて、また夜がくる。夜に自分を責めすぎないことは大事ペロッ♪

 

フランスでは「ごきげんよう」、機嫌が常にいいことは、最高の美徳と聞いたことがあります。

わかるような気がします。悲しみも怒りもすべてそのまま引き受けて、でもありのままで、朗らか。アジサイ・・・自然、そのものです。

 

読んでいただいてありがとうございました虹コスモスヤシの木