残業を終えて通勤電車にのっていた。

たくさんの人がいるけれど、目線の先はみなスマホ。

私は車内をじっとみてるけど。

 

たくさんの外国の人たちが通勤電車にのっていることに気が付いた。

住んでいる人が増えていることに気が付いた。溶け込んでいるのはすぐわかる。

 

日本って面白い国だなぁ。

外国の人と結婚してここに住む人たちは、いい意味(!)でなんとなく、フニャフニャになる感じがする。自己主張で成り立つ社会から、受け入れることで成り立つ社会に慣れるからかなぁ。

帰国後の自分にも覚えがあるけれど、どんなに強いボールを投げても、あまりかえってこなくて、目線が変わる感覚のかなぁ。

 

それは安心の中にいるからかな。

「ぼくはこう思ってる」って言わなくても、誰かが気遣ってくれるから?

 

もちろん、システマティックで息ができない、という声もある。

でもそのシステムはきっと、日本の大きな底の底で、「いいよ~」といってくれる風土、受け入れてくれる風土があるから、自然にうまれたものもあって、そとから作られたものではないものもある気がする。

厳しい自然の中で、みんな一緒にいきるためには、感覚をもとにしているから、自然と同じ方向をむくというか。。

 

だからね、何かを起こすときに、あまり「win-win」っていわれても、私にはピンとこない。

だって、まず自分の得を考えたうえで「win-win」は初めてなりたつから。

 

日本は、自然という大きな力の前で、あるいは、大きな力はこの日本という地域を守る神様かもしれないし、地球や宇宙を守る神様かもしれない。そうしたものがあってこそ、私たちは人にも、ものにも「お互いさま」。そこから、「もったいない」もでてくるのではないかなぁ。共生をしている感覚が体の中に流れているから。

 

文芸春秋の司馬遼太郎の追悼特集の中で、立花たかしさんが、「日本は相対性の国で、その強さは、<引き受ける力>にある」と言ってました。

 

お互い様もまさにそれなのではないかと思います。他人が困っているときに助けてあげるのは、慈善でもなんでもない。ただ、困ったときはおたがいさま。大きな自然という力を前に育まれた、私たちの優しさの根本にあるものではないでしょうか。

 

だから「お互い様」は自然の法則に則っている気がする。その背中は美しい。

 

win-winで考えるのは自分の得。

それよりも、自分の心の在り方に正直になりたい。

だから、私には「お互い様」のほうが心地いいんです。