みなさんにとって、好きなこと、大事なことはなんですか?

先日、気学について少し触れましたが、気学は私の好きなもののひとつです。

小学生の頃は12星座が好きで、大人になってからもエニアグラムや数秘術に興味をもって自分なりに学んできました。もともと人智を超えた真実に興味があったのだと思います

幼い頃は地球儀が好きで、くるくる回してよく遊んでいました。一番行きたいところは、なぜか「万里の長城」。理由は自分でもわかりません。

でも、なにか大きな力がこの世に働いていることは、幼い頃から私にとって当たり前のことでした。

 

現代は、何をするにも自らの感覚、直感を大事にすることが欠かせない時代にはいったように思います。対象となるものを生み出す自分の中心がいかにそれに共鳴し、調和し、コラボしているかが真実となり、それが人の心をうちます。
気学に限らず、どんな学問も芸術も同じではないでしょうか。心が表に出てしまう時代ですから。


一方で、データが飛び交い、コンピューターに入力すれば何でもでてくる時代でもあります。自分が主体となってそうした叡智を利用すればご自身の可能性が広がりますが、反対にその情報が主体になってしまえば、自分の可能性を抑圧されて、かえって苦しくなります。
自分でないものを生きることは、その人自身の「生命・感性」を否定するからです。


 
現代は時に息苦しさを感じます。
人は本来、総合的な存在で、多様性にあふれているはず。

ですが社会では、人の機能や特性、社会的地位など、その人の本質ではない部分を断片的に切り取り、それを基準に人をエクセルのマスに仕分けする。
「人ありき」ではなく、いつのまにか「社会ありき」になっているような感覚に陥ります。

例えば「あなたは経理に適正があるから経理」。当然かもしれないけれど、そう決まるまでのプロセスが逆だと思うのです。経理という役割があってあなたがあるのではなく、あなたがあって経理という可能性があります。


また、そんな社会では、人も、目のまえの人や出来事、あるいは自分のことさえ、既存の知識や偏った思いで、狭いマス目にいれて類型化し、分かった気になってしまいがちではないでしょうか。現実を主体にせず、自分の限られた頭を主体に理解しようとして、安易にわかった気になってしまう。苦しい時こそ自分自身をマスに閉じ込めているかみてみたい。


人生は体験の連続で、体験するにはまず自分で感じとらなければ始まりません。人間という木を「木」にならしめるのは、体験を自分のものにする「感情・感性」という幹です。
人生は結局感情で、感情が個人の世界や人生をつくるのではないかと思うようになりました。社会の尺度がどうあれ、自分の尺度が枝葉だけでは不安が募るだけです。



私は転職を重ね、10数社の職場で働いてきました。

今、職場の人を思い出すと、その人が何を為したかよりも、どういう人だったかしか覚えていません。結局、人生はその時々にもつ自分の感情が織りなすものなのかなと思います。

嬉しいことも、悲しいことも、病気も、様々な体験も同じです。そう思うと正直に自分の感情を受け止めることはとても大事なことに思えてきます。

 


前回の記事でご紹介しましたが、今年は二黒土星という星がめぐります。土を触ると、人はありのままの自然に戻ります。自然とは、妄想ではない現実の世界です。ありのままの自分という自然の状態に還ることが、二黒土星の年の究極のあり方、と心の中で誰かが言ったような気がしました。


 

自分の「好き 」を理解している深さが楽しみの深さに比例する時代です。

たくさんの「好き」をみつけて、みなさんとみなさんの好きな「何か」との間に素晴らしいコラボが生まれ、実り多い1年になりますように