みなさん、おはようございます。こんにちは、そしてこんばんは。monakaです。

 

 

お久しぶりです。自分のゴタゴタが落ち着いた&夏休みに入ったので暇でもどってきました。

 

 

 

結局、学費が払えず1年間休学し、働いていました。現在大学2年生です。

 

 

せっかくできた友達と離れ離れになったけどわたしは元気です。ゼミが始まり(わたしの学科は2年からゼミがある)ゼミの先生に食事へ連れて行ってもらったりしています。今は教員免許を取ろうと思い、怒涛の単位取得に励んでおります。

 

 

 

 

 

 

さて、前回(前回が一昨年なの恐ろしいですね)は中学3年生のわたしのお話をしたかと思います。

 

 

つづきのお話をしましょう。

 

 

 

 

 

 

わたしは、3年の4月から別室に通い始めました。

 

 

転校するまでは、そこでの生活が基本になりました。

 

 

 

 

 

この別室があったからわたしは今こうして生きていると言っても過言ではないくらい、そこでの生活に助けられました。

 

 

 

別室の先生との相性がとてもよく、大学合格の連絡をしたり、今でも関わりがあります。

 

 

 

 

その先生は、他の先生と比べてちょっと変わった人だったと今になって思います。

 

 

 

 

ある日、昼食が終わるくらいの時間に学校に行ったら、5分くらいで「もう帰れ」と言われました。

 

 

 

わたしが「なんで?せっかく全ての力を振り絞って学校に来たのに」と思っていると、掃除の時間が始まりました。

掃除の時間が終わったら下校が始まります。人を避けて行動していたわたしは、下校時刻を避けて学校から帰宅していたわけです。

 

 

先生は、短縮授業で早くなったほかの生徒の下校と、わたしの下校がかち合わないようにそう言ってくれたんですね。

 

 

 

別室の通い始めて初めて学期末テストを受けるときに、目標は何点?と聞かれました。

 

 

わたしは、学校に通っていた時より50点くらい下がるかなと予測して、400点と答えました。

 

 

 

 

その答えを聞いて一言「バカ」と言われました。

 

 

 

 

 

学校に復帰して最初のテストはどんなに頭のいい生徒でも元々取っていた点数から100点は落ちるからそのつもりで受けなさい、ということらしいです。にしてもバカはひどくないですか。

 

 

 

 

 

 

罵られているのに、わたしの心はとても軽くなりました。

 

 

 

 

 

その後、きっちり目標の400点をもぎ取って、その先生には謝ってもらいました。やったね✌

 

 

 

 

 

 

 

この話から何が言いたいかというと、信頼できる大人を見つけてください。

 

 

わたしはこの先生が信頼できる、尊敬できる大人だったけど、合わないなと思う人もいると思います。

 

 

 

 

わたしは、仲良くしていた友達とも全く会わない(会えなかった)という生活をしていたため、この先生の存在にとても救われていました。

 

 

 

 

誰でもいいのでこういう存在の人を作ることがとても大切だと思います。

 

 

 

 

 

学校の先生より、別室の先生や、病院のカウンセラーの先生の方が理解はしてくれると思います。当たりはずれがあるので全員がそうだとは言えませんが。

 

 

 

 

 

周りにそういう大人がいない方は、わたしでよければ相談に乗ります。コメントください。(筆者は心理学を学んでいるわけでもなく、ただの経験者です。自殺願望など自身を傷つけてしまう人の気持ちが分からないのでそういう相談は難しいです。むしろ死にたくないです。不老不死になりたいです。)

 

 

 

 

とりとめのない話になってしまいましたがこの辺で。次回は受験のことなど続きを書けたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

筆が乗れば次回へ続く

みなさん、おはようございます。こんにちは、そしてこんばんは。monakaです。

 

 

 

 

アメブロの使い方がいまいち分からないのですが、フォローしてくださっている方がいるそうで。

 

フォローありがとうございます!!

 

励みになります!!

 

 

 

こんなブログですが、誰かの役に立てているのだと思うとわたしも嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

前回、心療内科に通っていたこと、家族がわたしに対してどんな反応をしたのかなどお話ししました。

 

 

 

今回は、中学三年になったわたしの話をしたいと思います。

 

 

 

 

 

結局、不登校が始まった10月から三年生に進級するまでの間、一度も学校に行きませんでした。

 

 

 

 

 

 

三年生と聞いて始めに出てくるのが…そう!進路です。

 

 

 

 

 

 

 

これは自慢なのですが、わたしは勉強ができました。

 

 

 

 

学校に通っていたころは、県内で一番か二番目に頭の良い高校へ進学しようと必死に勉強をしていました。

 

 

 

 

 

 

だから、通信制の高校は鼻から選択肢になかったわけです。小声で正直に言ってしまうと、わたしはそんなところへは行かないと馬鹿にしていたんですね。人として最低です。

 

 

 

まあ最終的には通信制へ進むことになるのですが!ワハハ!!

 

 

 

 

 

 

わたしの住んでいた県では、中学一年から三年の全ての内申が高校へいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

私立の高校は内申点を考慮しない高校もありますが、住んでいたところが田舎だったのでまだ公立神話が強く、私立高校とは公立に落ちた人が行くような場所だと思われていたのです。

 

三年は内申点が二倍になるので余計焦りますよね。

 

 

 

 

 

 

二年生の内申点が、一学期36、二学期三学期が9で最終判定が18だったので、心のどこかではもう公立は無理だとわかっていたはずなんです。

 

 

 

 

不登校だったときの内申書(本物)です。汚れていて汚いです。

 






数字(全部1)か斜線かどちらでもいいよと言われたので斜線にしてもらいました。大量に1を視界に入れると精神的ダメージが高そうなので。







 

 

 

 

 

 

三年生になって学校に復帰すると言っても、いきなり教室に行って授業を受けるなんて無理です。

 

 

 

そこで、わたしは母に勧められ別室に登校することにしました。

 

 

別室でも登校すると出席扱いになるからです。

 

 

 

後から聞いた話によると、母は別室の先生に会っており、その先生はわたしのことをすでに知っていたそうです。

 

 

 

 

 

別室の先生はとってもとってもとってもいい人で、わたしはその先生がいなかったらまだあの暗い部屋の中にこもっていたかもしれません。

 

 

 

 

大学受験も途中めんどくさくなったりしましたが、その人にいい報告がしたくて頑張れたところもあります。

 

 

 

 

 

 

それと、塾に通い始めました。

 

 

塾は不登校になる前、集団で授業を受けるところに通っていたのですが、同じ系列の一対一、もしくは一対二で受けられるところに変わりました。

 

 

 

 

 

 

その塾も、不登校になる前に通っていたところの塾長さんが、話を通してくださって人の多い時間を避けてもらったり、かなり優遇してもらっていました。

 

 

 

 

 

わたしと同じ中学生は夜19時から来ることが多いので、その時間を避けて17時から小学生に混ざって通ってました。

 

 

 

 

こうやって書いてみると、わたしはいろんな人に支えられて生きていますね。

 

ありがとうございます。

 

 

 

そんなこんなで4月、学校と塾と通い始めたわたしですが、月から金まで毎日行っていたわけではないことを白状しておきます。

 

 

 

塾はきちんと通っていました。

 

 

 

ただ学校がどうしても行けないのです。別室でも。

 

 

わたしが、学校に通いにくいなと思っていたことを書いておきます。

 

 

 

まず、自転車置き場です。わたしは自転車で学校に通っていたのですが、自転車置き場に自転車を置いてこなければなりません。当然ですが。

 

 

 

その自転車置き場、これも当たり前ですけど登校時や下校時に人がいっぱい集まります。

 

 

わたしにとっては戦場に飛び込むのと同じです。

 

 

 

あと、これはたぶん良かれと思ってやっていたことだと思うのですが…一応書いておきます…

 

 

わたしは修学旅行に行きませんでした。

 

 

不登校でも修学旅行には行く人もいますが、わたしはどうしても行きたくなかったのです。

 

 

三年生がごそっといなくなる三日間はとても平和でした。

 

その平穏はすぐに終わりを告げました。

 

 

 

 

 

クラスの人が修学旅行から帰ってきて、わたしのところへお土産を持ってきました。

 

 

クラスの人たち(40人くらい)で200円ずつ出し合って買ってきたそうです。

 

 

 

 

もう瀕死です。仲のいい子ならまだしも、全く話したこともない人からもらっても嬉しくないし、何より200円って中学生にとって大金じゃないですか!!

 

 

 

 

あいつのために200円も払いたくねえと思ったであろうお土産の「重み」、わかりますか!!

 

 

 

 

もう放っておいてくれと思うわけです。世の中の先生、それを提案しそうな学級委員の方々にお願いします。やめましょう。

 

 

 

今ならわたしはクラスから2500円のお土産をもらった女なんだぞと笑い話にできますが、ダメです。

 

 

 

 

 

話がズレました。

 

 

 

 

とにかく、わたしは学校(別室)に通い始めました。

 

 

 

 

 

なけなしの勇気を振り絞って行動したのです。

 

 

 

 

 

それで良くないですか?(良くないです)

 

 

 

 

 

5月になるとたまに、ほんとうにたま〜にですが、教室へ行って授業を受けるようになりました。

 

 

 

 

 

今回はこの辺りにしておきましょう。

 

 

 

 

次回は別室登校の話をしたいと思います。

 

 

 

 

 

筆がのれば次回へ続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさん、おはようございます。こんにちは、そしてこんばんは。monakaです。






昨日書いた通り、わたしが現役大学生なのは間違いないのですが、今は学費が払えなくて休学してます!!




中学、高校と寮に入れてもらう代わりに大学は自分で払いなさいという親との約束があって、学費は自分で払うことになっているのです。




奨学金の審査が入学前に終わらないので、入学金と春学期の学費だけは払ってもらいました。





…奨学金、借りられると思って油断してました!!




さすがにこれ以上は迷惑をかけられないので、働く場所を探しています。




今働いている場所が、長時間労働ができないのでバイト掛け持ちしたいと思ってるのですが、楽なバイトってないですかね??


やっぱりコンビニかな〜



不登校時代の自分ではとても考えられませんが、今はこんな感じでのんきに生きてます。



でも困ってるのは本当です!!



以上、現状報告でした。本題に入りましょう。





高校生のとき、小学生のわたしが未来の自分へ宛てて書いた手紙が届きました。






漢字とひらがなが混ざったその手紙には、今のわたしに宛てた言葉が並べられていました。







「お元気ですか。べんきょうはがんばっていますか。高校生はテストが多いとききました。わたしは天気よほうしになりたいので、小学校のべんきょうをがんばっています」







泣きました。




こんな大人になってしまったのが、小学生の自分に申し訳なくて、その夢が叶うと信じてただひたむきに純粋に毎日を生きていたんだなと思うと悲しくて、

ただ何もしないでのうのうと生きている自分が許せなかったのです。







だから、あの頃の自分に見せられるような生き方をしたいと思っています。








とりあえず、学費、どうにかしようね。







次回は続く













みなさん、おはようございます。こんにちは、そしてこんばんは。monakaです。




どうでもいいんですけど前回のブログの写真、怖いですね。



このブログの写真、全てわたしなんですけど、そろそろ貼り付ける写真が尽きてきました。





今日はちょっとだけ現在の話をしたいと思います。





ブログのタイトルにもあるように、わたしは現役大学一年生です。




今は、学校が嫌だ!とか、行きたくない!と思うことも全くなく、毎日学校へ通っております。





わたしの通う大学は、世の中のものさし、いわゆる偏差値と言われるもので測ると、すばらしい学校でもなく、かと言って全く勉強せずに入れるような学校ではないところです。




決め手は自分が学びたい学科があったことと、教員免許が取れることでした。





あれだけレベルの高い学校に執着していたのに不思議ですね。






いろんなところを転々としてきたわたしから言わせてもらうと、どこに行くかはさして重要ではないです。





そこで何をするか?が大切だと思います。受け売りですけどね。






偏差値の高い学校に行きたい人。それもいいと思います。


やはり頭のいい学校へ行くと、周りが全員そのレベルなのですから、授業の質が違うと思います。




努力すれば行けます。そういう人を何人も見てきました。




知りたい人がいるかどうかわかりませんが、一応受験のことを書いておきます。





わたしも偏差値で言うと65〜70程度の学校を受けましたが、国語と世界史は7割程度取れました。




英語は…聞かないでください……




あの、これだけは言っておきたいんですけど、受験頑張りたい人、英語だけはサボるな!





ほんとうにこれに尽きます。



日々の積み重ね系の科目はサボってはいけません。


わたしは歴史が好きで、歴史はコツコツやっていたのですが、英語だけはだめでした…



モチベがないんですよね。日本に住んでいたら使わないですしね。




大学で英語が必修科目のところ、多いと思います。



大学でも苦労するので、英語は勉強しておいた方がいいです。


勉強の仕方とか需要ありますかね…?





自分が学びたいものを学べるって楽しいです。中学や高校とは全然違います。




ひとりが好きな人はひとりでも過ごせます。





よく人間関係広げて友達に授業のこと聞いたり、先輩に過去問もらわないと授業分からないよとか言われますが、そんなことは1ミリもないです。




誰にも相談せずに春学期過ごしましたが、きちんと出席して授業を聞いていれば分かるし、GPA3.5くらいなら普通にとれます。(わたしの学校は4が最高です)






わたしは、なんとなくで大学へ行って、めんどうくさいから授業もサボりがちで、てきとーに通っている人よりも、高卒で就職して自分で生活している人の方が偉いと思うし、尊敬しています。




あっ!サークルや部活に力を入れることはいいことだと思います!


そっちに力を入れているから単位さえ取れていればいい、と思うのも否定はしません!




できない理由も特にないのに部活もサークルもしない、授業もまともに受けない、バイトもやらないなど、大学生になったことを活用できないような日々を暮らしている人に対しては、大学に入学する意味はあるのかなと思いますね。






別に大学に行かなくても幸せになれます。



わたしは大学でしかできないことがあるから、大学へ行きました。






誰かの未来にわたしの受験記が少しでも役に立てるといいなと思っております。







大分話が逸れましたが、書きたかったことを書けました。







今回はこの辺りで。




筆がのれば次回は続く





















みなさん、おはようございます。こんにちは、そしてこんばんは。monakaです。

 

 

最近ゴタゴタしているのが落ち着いてきたので、ブログに戻ってきました。

 

 

 

 

わたくし、大学を休学することになりました。理由は、学納金が払えないからです!!ビンボーです!!!

 

 

…働きます。仕事をください!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この前のお話の続きをしていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

前回、不登校が始まったところをお話ししましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの不登校生活、始まりの半年は、ほとんど死んだように生きていました。

 

 

 

 

 

 

母は、わたしを学校に戻そうと必死でした。当然の反応ですね。

 

 

 

 

引きずって連れて行こうとする母と、わたしの激しい攻防です。

 

 

 

そんな母ですが、ご飯を一口も食べない私を思っておにぎりを置いておいてくれたり、遠くなら外へ出ることができるわたしを連れ出してくれたりと、とても心配と迷惑を掛けました。

 

 

 

当時は知らなかったのですが、母はいろんなところに相談しに行っていたそうです。

 

 

 

 

その一つが、わたしにとってかけがえのない出会いをもたらすことになる、というのはまた別のお話ですが。

 

 

 

 

 

 

わたしには弟がいます。弟は学校に行けなくなったわたしを見ても、何も言わずにいてくれました。

 

 

 

 

これはわたしにとって、とても「救い」になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

祖父母も、何も言いませんでした。よく、不登校になった子どもの親に対して祖父母が何かを言ってくるみたいな話を聞きます。

 

わたしの家では、祖父母がいとこの親に(わたしから見るとおばさん、おじさんですね)人の家に干渉してはダメ、と言っていたように、わたしや両親に対して干渉してきませんでした。ありがたいことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月ごろになると、わたしは心療内科に通うようになりました。市民病院の中にあり、主に中学生や高校生の担当をしている先生の所へ通っていました。

 

 

 

 

 

もう完全に昼夜逆転の生活をしており、当日起きられない可能性が高すぎたので、心療内科に行く前日は母の車の中で寝ました。(布団にくるまって寝ていたので病院の駐車場で変な目で見られました)

 

 

 

 

 

 

この病院の先生はとってもいい人で、学校の先生が家庭訪問に来ると言ったときは「絶対にやめてください」と止めてくださったり、親身になってくれるいい先生でした。

 

 

毎回きちんと行っていたわけではなく、不登校児らしく行ける日だけ行って、行けない日は母だけで相談に行っていました。

 

 

 

 

 

 

 

もっときちんと通っておけばよかったと今となっては思います。

 

 

 

わたしは、学校に行けなくなる際、友達とのつながりを全部切ってしまっていたため、相談できる友達が一人もいなかったのです。挨拶する人がいる分際で「ぼっち」とかいう人がいますが、これが本当の孤独です。

 

 

 

 

 

 

このころのわたしは、心療内科に通うくらいしか外に出ることはありませんでした。

 

 

 

 

 

わたしがこの世で一番不幸だと思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少ししたら3年生です。焦りはどんどん積もります。こんなのでも一応勉強はできたので、できない自分はダメだと思っていたんですね。

 

 

 

 

 

進路の選択がすぐそこまで迫っています。この焦りに背中を押されるように、わたしは学校に通い始めます。

 

 

 

 

 

 

今回はこのくらいにしておきましょう。

 

 

 

 

筆がのれば次回へ続く