だいぶ時間経っちゃいましたが、金沢3大イベントのうちの絵画展、「音の世界を画く」の感想をざっくりとでも書いておきたいと思います。
絵画について、私の勝手な解釈や受け取り方を書いてみるわけですが、私は山形に続き二度目の絵画展参加ということで、それ以前の経緯やとしさんによる絵画解説を全然把握しておりません。よって、まったく的外れなことを言ってる可能性が多々です。
さて、私が絵画展に参加したのは以下の時間帯です。
9/19(火)11:00~、12:00~、16:00~
9/20(水)13:00~
9/21(木)14:00~
9/22(金)15:00~、17:00~
9/23(土)「絵画の世界の中心でLOVEを叫ぶ」の絵画鑑賞時間
龍玄プロジェクション制覇
私は「摩天楼の夏」が一番好きかな。鑑賞した時、いろんな感情が渦巻いていたんだけど、なんだかすべてを振り払って映像に没頭することができた。そしてすごく元気をもらえた。
だから実物の絵画も拝見してみたかったけど、今回は展示がなくて残念。ニコ生でとしさんが「摩天楼の夏も展示したかったけど、デカすぎて出せなかった」とおっしゃってて「私も観たかったよー!」と思った。笑 またいつかのタイミングでお会いできますように!
↓龍玄プロジェクションの上映スケジュール
↓絵画の展示はこんな感じ
まずは手前のエリアから。
このエリアは、としさんが再起を誓ったシーンから、としさんの心が整理されていく過程が時系列で示されていると感じた。
「群青の夕紅れ」
この絵は山形でも拝見した。当時はとしさんの解説を一切知らない状態で観ていて「どこがどう夕紅れなんだろう?」と思った。(夕暮れ=夕日=オレンジのイメージだった)暗い洞窟の中から外の世界を覗いているような感じがしたり、セノーテを連想したりした。今は少し説明が頭にあるので、山々が見える。その頃のとしさんの心情だったり、実際の風景を想像しようとしたりした。前回はまったく未知だったこの絵画、今回はとしさんを感じ、絵画自体も身近に感じた。
私はとしさんのことを知りたすぎる勢なので、絵画の解説はすべて聞きたい派なのだけど、確かに解説を聞くと想像の幅は狭くなってしまうかもなーというのは実感した。
「奇跡の月明かり手のひらに零れ」
リング状の物体の一部が見えていると思った。色味が複雑で、なんとなく「運命」系統の色使いだけど何を示しているのかは見当がつかず。とりあえずネガティブな何かを感じる絵。不穏な感じ。この絵は特に、私にとって難しかった。なんかちょっと赤血球っぽさも感じた。赤血球はリング状ではないけど。
「運命」「宿命の記憶」
ほぼ同じ色合いなこともあり、赤い世界からすっぽりと黒い大穴に落ち、黒い世界では赤い世界での記憶が血しぶきのように蝕んでいる…的に捉えた。この2作品と近い色合いなのが、「武士JAPAN」。この作品も、黒い世界の中を血を流しながら、もがきながら、進んでいるように感じた。赤は少し落ち着いた色味だけど。
どの作品も向き合うほどに苦しくなる感覚があり、序盤は少しでもたくさんのことを感じたくて全力で向き合っていたけど、日に日に直視するのが辛くなってしまった。観れば観るほど、訴える力が強まる?自分がその絵に取り込まれる?ような感覚。
「マスカレイド」もこの系統の色味で、同じく苦しさを感じる絵だけど、山形で初めて観た時よりはインパクト?鬼気迫る感じ?が薄れたように感じた。
「蘭華」「白の世界へ」
赤い記憶が昇華されて花になったのか、何か新たなものが赤い花として現れたのか、、、赤い花がトリガーとなり、黒い背景が排水溝に吸い込まれるように、白く浄化されていくような感じがした。そして、浄化がさらに進行したのが「白の世界へ」だと思った。じっと見ていると、私の心の中も浄化してくれるような感じがした。
その先に展示があった「AQUARIUS」は、白く浄化された世界に新たに湧き出た水のように見えた。たい平さんの作品の近くに飾ってあったことにも、意味を感じた。前回、初めて拝見した時より感じるものがとても多くなっていて驚いた。この絵、とても好き。そして「真偽」とのリンクも感じた(というか、どの絵もそれぞれ何らかの要素で別の絵と繋がっているように感じた)。なんか、「真偽」の絵の地には「AQUARIUS」がいるような気がして。噴き出した水しぶきが…みたいな。「真偽」は「AQUARIUS」に近い色使いだけど、柔らかめな赤(ピンク)の中に、鮮血のような赤も混ざっていた。
「宇宙人」はコミカルな絵だけど、この一連のシリアスな絵画と向き合った直後に観たこともあって、色々と思うところがあった。衝撃的で、根本的に異なる存在というか、理解の範疇を超えているものを表している的な。
「幸龍」「命龍」「青龍」
これらの作品は、初期の作品っておっしゃってたっけ。なかなか解釈とかは難しかったけど、「龍玄とし」さんの今の道の水先案内人というか、そういう感じなのかなと思った。入口の近くに鎮座してたし、、、(単純な思考)
「幸せの木」
山形での絵画展感想ブログ(鑑賞してから半年後に書いたけど)には、こう書いてある。
これは画像では見たことがあった。銀の縦縞を見て、「自分の殻(檻)を破らないと、幸せには辿り着けない」と解釈した。山形に行き着くまでに仕入れていたとしさんの情報を総合すると、そんな気がしたのだ。今はまた、違った見え方だけど。(縦縞によって守られた世界、幸せな安全地帯…というように見える)
今回も、見え方としては概ね変わらず。ただ、銀色の線について「あれ?そういえばマスカレイドにも銀色の線があるな?」と思い、「幸せの木」も銀色の仮面越しに見ている、あるいは銀色の仮面の奥に幸せの木が存在している、的に捉えるのも感じるものがあるなと思った。
先日のニコ生ではとしさんがちらっと「まもられている」「立ち入らせない」とおっしゃっていて、なるほど…と思った。特に「立ち入らせない」という言葉には強い意志を感じて、思うことがいろいろと。
そんな「幸せの木」、綺麗な色合いという点では「しあわせになるんだよ」と近いのだけど、「しあわせになるんだよ」よりは濃い色が多かったり、メタリックな色が使われているなーと思った。個人的には「しあわせになるんだよ」の色合いのほうが幸せ度が高くて、でも「幸せの木」ももちろん幸せな色なわけで、「しあわせになるんだよ」は、想像を超えた幸せというか、とにかく超しあわせな色だなと思った。
「幸せの木」には桜の花びらのようなピンクも見受けられた。「葉ざくら」にも通じるものがある気がして、いろいろな感情も。
↓初々しい(?)山形絵画展の記事はこちらです。
今も、「感性」が何なのかはよく分からないし、自分が決して感性豊かなタイプではないと自覚している。でも、この山形での初体験から比べると、随分「感性」が育った気がしなくもない。いや、「感性」が何なのかは分からないのだけど、、、
ぶっちゃけ今だから言えるけど、山形で初めて絵画展を観た直後は「ひと目観られて嬉しかったけど、私に絵画は難しすぎた…今後また機会があっても、ちょっともういいかもしれない…」って感じだった。そんな私が絵画を観ただけで涙を流す日が来るなんて(葉ざくらが激ヤバだった)
としさんありがとうの気持ち。②に続きます。