ホワイト・マジック 規定3
原理とパーソナリティー
P148~155
抜粋
原理とは、私たち太陽系の基礎になる真理のある様相を具現化しているものである。それは、私たちのロゴスが行うすべてのことの基礎になるアイディアの微小な部分が人間の意識の中に染み込むことである。ロゴスのすべての行為の基礎は活動における愛であり、人間のハイラーキーに関すロゴスの行為の根本的なアイディアは、前進へと駆り立てる愛の力である。好むならば、それを進化と呼ぼうが、生来備わっている衝動と呼ぼうが構わないが、それは運動を引き起こし、完成へと駆り立てる愛である。それはあらゆるものをより完全な表現へと駆り立てるものである。したがって、この原理はすべての活動の基礎になるべきものであり、より下位の組織体の統合が、もし活動へとつながる愛に基づいているならば、それはそのメンバーの中に神聖な衝動を生み出し、同じように最も完全な表現へと駆り立て、その結果、その完成度を高め、努力をより適切なものにするであろう。原理とは、それが真に根本的なものである場合、直ちに直観に訴えかけ、高位自我からの同意の反応を即座に呼び起こす。それはパーソナリティーに対してはほとんど、あるいは全く訴えかけることはない。それは他者との関係における魂の概念作用を具現化している。原理とは、魂自身の界層における魂の行為を常に支配するものであり、私たちがますます魂の指導下に入ったとき初めて、私たちのパーソナリティーはこれらのアイディアを思いつき、それを反応するようになる。このことを他の人々に接する際には常に覚えておくべきであり、これによって判断を修正すべきである。一つの原理を理解しているということは、まさにひとつの進化段階に到達していることを印すものである。原理とは最大多数の最高の善という言葉が意味するものである。妻を愛するべきであるという言葉は、パーソナリティーを支配している原理について述べた言葉であるが、それは後に、仲間の人々を愛さなければならないというより偉大な原理に変わらなければならない。原理は三種類あるが、より低位の原理を経て、より高位の原理に達しなければならない。
(a)低位の個我を支配する諸原理。これらは低位我の活動と実生活に関係する原理である。それらはロゴスの顕現の第三様相、つまり、活動様相を具現化しており、後の進歩の基礎になるものである。それらは、人があまり進化しておらず、考えることをしない状態にある期間のその人を支配する原理であり、礼儀正しい生活として一般に受け入れられている規範に具現化されているものであると言うならば、より容易に理解できるであろう。汝殺すなかれ、汝盗むなかれ、これらは人の実生活と性格構築に関係するものである。
(b)高位我を支配する諸原理。これらは愛と知恵の様相に関係している。私たちが今取り組んでいるのはこれらの原理である。そして、現在の世界の諸問題の半分は、愛と知恵を遺憾なく発揮するこれらの高位原理が今初めて人類の一般大衆に理解され始めたという事実に起因するものである。これらの原理の理想に状況を前もって適合させようとせずに、これらが正しいと性急に認め、それらを現実のものにしようとすることは、パーソナリティーを支配する原理によって行動している人々と、高位我を支配する原理によって行動している人々との間にしばしば衝突と闘争を引き起こす。人類のうちもっと多くの人が魂意識に支配されるようになるまでは、このような闘争が起こることは必然であり、避けられないことである。情緒界が直観界に支配されたとき、普遍的な理解がもたされるであろう。
奪い取ることと、その強奪の結果として生じる苦難を通して、人は前者の原理を学ぶ。人は盗み、罰を受けることで、盗まないようになった。この原理は苦痛を通して彼の中にくみこまれ、強奪によってではなく、権利によって自分のものであるものしか享受できないということを学んだ。世界は今、集団でこの教訓を学びつつある。というのは。世界の革命家たちは、強奪し、不法に自分のものにした財産は満足を与えるものではなく、悲しみしかもたらさないということに気ずくからである。このようにして、彼はいずれ原理を学ぶことになる。後者の原理は放棄と奉仕を通して学ばれる。人は(前者の原理を学んだ後)パーソナリティーに関することから目を離し、奉仕する中で愛のオカルト的意味を学ぶ。彼は使い、その結果として受け取る。彼は放棄の人生を送り、天国の富が彼に注がれる。彼はすべてを与え、完全に満たされる。前者の原理は分化された単位に、そして異種混成を通しての進化に関係するものである。現在人類が学んでいる原理はグループに関係するもである。問題は「その人にとって何が最も良いか」であり、大勢の人を一つのものとして考えることのできる人々だけが、これらの原理について満足のいく見解を述べることができる。これは極めて重要である。というのは、それはこの愛の太陽系の基本原理だからである。
中略
そして、高位我の原理である愛の原理のうちわずかなものが、狼狽した脳に浸透しつつある。それが外見上の一時的なアイディアの衝突を引き起こしいるのである。そのため、ピラトのように彼は言う。「真理とは何か」(ヨハネによう福音書・第18章38せつ)と。もし彼らが高位の原理のグループの利益に関係し、低位の原意が個人の利益に関係しているということを思い出しさえすれば、おそらくはっきりとするだろう。個人的な生活の低位の活動はやがて、それいがいに良いもので、いかに価値のあるものであっても、単位ではなくグループの利益を求める高位の愛の生活によって超越されなければならない。
(c) さらに高位の原理は霊が理解する原理であり、モナド意識だけが容易に理解できるものである。活発な個人生活を超越し、エゴによってなされるような愛と知恵の生活に変わったとき初めて、人は愛の生活の広がりを理解し、それを表現された力として知り始めることができる。パーソナリティーが低位我の実生活を支配する原理を扱い、エゴがグループ・ワークで表現される愛の法則、つまり多数のものを少数のものへと統合する中に示される愛の法則に関与するように、モナドは少数のものを一つのものへと統合することを通して発揮される力に示される愛の活動的な生命を扱う。
最初の原理は物質界の人間の生活、つまり三科界での生活に関するものであり、第二の原理はコーザル・レベルでの生活に関するものである。そして、最後の原理は現在の人類の最終的な努力目標に到達した後の生活に関するものである。最初のものは単位に関係し、第二のものはグループに関係し、最後のものは統一性に関係する。最初のものは異差が最も多様になる点に関係し、第二のものは多くのものが魂グループへと統合されることに関係し、第三のものは七つのものへ異差の回帰に関係する。この七つのものとは、人類ハイラーキーにとって統一性を示すものである。これらすべての要因と他の多くの要因によって人間に違いが生じてくる。そして、自分自身を評価するときは、これらの要因を考慮に入れなければならない。
以上
この物質世界に生まれた時から無い無いと何もかも求め、競争社会で育ち教育されてきた。いつの日か何かおかしい、何か違うと、どこかで自問自答。
時が経ち霧が晴れるように真実の光が差して来た。
真実を裏付けるように秘教、アリス・ベイリーの本に出会う。
秘教だけでは説明つかない事もあるが今はアリス・ベイリー本から学ぶこと多い。
競争、奪い合いから
足りてる、既にある、分かち合いの世界へ✨
大祈願の毎日✨
P154抜粋
しかしながら、イリュージョンというグラマーによって無気力の道へと誘惑されないよう、確かな霊的な識別がここで必要になる。この言葉を注意深く熟孝しなさい。そして、真実に基づいて質問に答えるよう注意しなさい。
とある。
(ーー;(ーー;(ーー;(ーー;(ーー;
これが常に出来たら苦労しない💦
パーソナリティーは、生命の願望を叶えることに集中し一時的で時間の観点から見る。
原理とは、魂自身の界層の魂の行為を支配する。永遠で個人、グループ、モナドに分類される。
長く、理解難しいけど
凄く大切な気がする〰️🎵
お疲れ様でした😀