立春を迎えて、やっと切り替えでようやくスターティングオーバー。

どうも。それまではNothing Gonna Change My worldって、
Across The Universe だった陽華です。

皆さま、お元気でいらしたでしょうか。

人は、自分に不足しているモノがあれば、
学んで、実践に移すコトで、初めて「体感」を得る。

先日、ワタクシ陽華は、
ムナイキの9つの儀式をすべて修了しまして、
己の中の「光の存在」たるモノはなにかを知りました。



ムナイキとは、
古代よりインカのシャーマンたちに受け継がれてきた、
9つの偉大な儀式によって、光の存在の領域に変容させ、
内側になる”神性”を目覚めさせるモノ、であり、
「時期が訪れ、使命を感じたとき、人はムナイキにやってくる」
と考えられていたとか。

今回、天使のシャインアーティストみゆきちゃん がマスターだったからこそ、
受けたくなったのも正直なトコ。

私が胸元にぶら下げてるのがハイヤーセルフと繋がるベア・クロー。
>ググったらね、だいたいウォーズマンででてきますけどね。




マスターみゆきちゃんと私、
お互いネイティブアメリカンにゆかりがありまして、
その中でもラコタ・スーの人たちが崇拝しているのが
「ワカンタンカ」と呼ばれるグレイトスピリッツ。

その「ワカンタンカ」に、最後の第9の儀式で、
私もマスターみゆきちゃんもはっきりと会える前。

第6のウィズダム・メディスンマンの儀式で、
古代の叡智は高い山々にあるという言い伝えから、
山の神様に来てもらう時に浮かんだのは、「マッキンリー」

なかなか山脈の名前で「マッキンリー」は浮かばないね、
と話してて、ググってみたら
北米最高峰のアラスカ山脈のデナリのコトで
「偉大なモノ」
の意味があったとか。

今回、使ったアラゴナイトがこんなにもふっくらで。



ワカンタンカの元に、
「すべては繋がって、すべてが共有される」

それ故、「あー、この「ワカンタンカ」に会うからかあ」と、
あとから2人して納得できたり。

ムナイキで私が与えられた神の一員としてその責務は、
「何万光年もの先から放たれる”光の存在”」だった。


たくさんの情報を与えられても、
自分たちにとって都合のいい勝手な思惑だけでいると、
変化を阻もうとする大きな力が働いて、災いとなる。

そうならなかったら、妖怪なんとか、とか所為にして。

純粋なモノには果てがない。
その、到達感のない渇きこそが、
自分の中では貴重なモノだと思ってた。

どうしてあんなに遠くにいるんだろう。
どうして目の前にいても触れてくれないんだろう。
どこにいるのか、そんなの関係なかった。

言葉はまるで暗号のように、
いろんな意味で理解され、思い、伝え遇う。

与えられた自分自身をそのまま受け入れるコト、
会話して、理解した時、はじめて内的成長となってゆける。

自発的に、能動的にしていかなくちゃ、
自分でもどうなるのかわからない。

そんな光を与えられているのなら、
それらに対して奉仕しなければ、結局はなにも得られない。
レイキと同じく、使えば使うほどエネルギーのパイプは太くなるというもの。

私は、指を鳴らして、其処に在る氣を集めて、
唯、空間を総べるだけ。

でも、そこからは笑顔になって、光が差して、
時々、温かい涙が流れて、癒しが起こってる。
それがすごく楽しい。
それが私の中にある、ひとつの幸せ。

伝えたいコト、話したいコトは沢山ある。

お互いに理解していると思えど、
実際にわかってるのは、側面だけであって、
それ以外は全然わかっちゃいない。

ココロは逸るのに、頭ではついていけなくて、
周りのコトばかり気にしてて、
そこをぼかしては今度会えた時でいいやって、
ずーっとそんな繰り返しで。

次、会った時って、ホントにそれでいいのかなあーって、
流れる景色の中で考えてたら、
握ってた父の手が突然ぷつんと力が抜けちゃって、
そのままもう2度と話すコトができなくなっちゃったのを、
急に思い出したりして。

もうあんな思いはしたくない。させたくない。

変化を恐れず、自己を高めていく。
利害を超えて、その手を差し伸べてみる。

私たちの惑星が廻るから、深い空の果てに光が差し込んで、
そうして、リズムが太陽の下で動いては。


我らは感謝せん。
我らの集いの導きに、我らが人生の歌を歌えるコトを。


私、これからも強くて優しい光の存在でありますよ。


音譜Always Loved A Film/Underworld