太宰治の短編小説の中のひとつ、 満願 を読みました。
解釈の仕方は人それぞれだし、成長によって変わっていきます。なので、23歳の時にどう解釈したかを書き留めておきたくて、ブログを書きました。
まず、先生の奥さんが喜んでいた理由は、お医者さんからねやごとのお許しを貰えたからです。
ねやごとの許しがでて喜ぶことは、若夫婦であれば一般的なことです。
では、なぜあんなに喜んでいたのか。
それは、お医者さんに「もう少しの辛抱だ」と叱咤されたからです。
そして、お医者さんの奥さんがお医者さんに、"「もう少しの辛抱だ」と叱咤しろ"と指図していたと考えます。
この小説で一番のポイントとなるのが、
善玉悪玉
だと考えます。
お医者さんは、世の中のすべてを善玉悪玉の合戦と見ていて、夫婦関係にもそれを重ねていました。
例えば、
奥さんにビールを持って来てくれと命じるお医者さん自身は 善玉
ビールじゃなくてトランプゲームをしようよという奥さんは 悪玉
というのでです。
すべてが善玉か悪玉に分けられるのであれば
ねやごとをしたいという奥さんを善玉
ねやごとができるようになるまでもう少しの辛抱だと叱咤するお医者さんを 悪玉
と分けられると考えられます。
お医者さんの言う通りだと、善玉が良く悪玉が悪いとは考えにくいです。
そのため、奥さんは悪玉になることが善玉にとってより喜ばせることだと考え、お医者さんに叱咤しろと指図したのだと考えました。
なんだか、あまり論理的ではない解釈になってしまいました。
特に、なぜ奥さんがさしがねをしたのか という部分がはっきり文章の中から立証できなかったのが残念です。悪玉善玉の話からすれば、奥さんじゃなくてお医者さんが勝手に叱咤していた可能性もあるし。
もしかしたら、奥さんがさしがねしていたと立証できる文章があるかもしれないし、はたまた、善玉悪玉の置き換えがまた別にあるのかとしれないし…。
まだまだ未熟だから、今はこれが答えです。
太宰治や夏目漱石は解釈が難しいので、また何年後かに読んでみる価値があるなといつも思います。
解釈の仕方は人それぞれだし、成長によって変わっていきます。なので、23歳の時にどう解釈したかを書き留めておきたくて、ブログを書きました。
まず、先生の奥さんが喜んでいた理由は、お医者さんからねやごとのお許しを貰えたからです。
ねやごとの許しがでて喜ぶことは、若夫婦であれば一般的なことです。
では、なぜあんなに喜んでいたのか。
それは、お医者さんに「もう少しの辛抱だ」と叱咤されたからです。
そして、お医者さんの奥さんがお医者さんに、"「もう少しの辛抱だ」と叱咤しろ"と指図していたと考えます。
この小説で一番のポイントとなるのが、
善玉悪玉
だと考えます。
お医者さんは、世の中のすべてを善玉悪玉の合戦と見ていて、夫婦関係にもそれを重ねていました。
例えば、
奥さんにビールを持って来てくれと命じるお医者さん自身は 善玉
ビールじゃなくてトランプゲームをしようよという奥さんは 悪玉
というのでです。
すべてが善玉か悪玉に分けられるのであれば
ねやごとをしたいという奥さんを善玉
ねやごとができるようになるまでもう少しの辛抱だと叱咤するお医者さんを 悪玉
と分けられると考えられます。
お医者さんの言う通りだと、善玉が良く悪玉が悪いとは考えにくいです。
そのため、奥さんは悪玉になることが善玉にとってより喜ばせることだと考え、お医者さんに叱咤しろと指図したのだと考えました。
なんだか、あまり論理的ではない解釈になってしまいました。
特に、なぜ奥さんがさしがねをしたのか という部分がはっきり文章の中から立証できなかったのが残念です。悪玉善玉の話からすれば、奥さんじゃなくてお医者さんが勝手に叱咤していた可能性もあるし。
もしかしたら、奥さんがさしがねしていたと立証できる文章があるかもしれないし、はたまた、善玉悪玉の置き換えがまた別にあるのかとしれないし…。
まだまだ未熟だから、今はこれが答えです。
太宰治や夏目漱石は解釈が難しいので、また何年後かに読んでみる価値があるなといつも思います。

