5月26日金曜日、午後10時6分父が虹の橋を渡って、母の元に帰って行きました。
享年89歳と5ヶ月、要介護になって約4年位かな。
男性にしては長生きだよね。
未だに実感がない…………というのが、私の心境です。
先月の19日に総合医療センターに脱水の為の腎臓の数値の悪化に伴い検査を兼ねた入院で、脱水が改善されたら退院出来ます。との先生の言葉に安堵した自分を覚えてる………本人は、何で病院かわやに入院せんばとやろ?って少々おかんむりだった父の顔が忘れられません。
その後誤嚥性肺炎を発症し、絶飲食から、経鼻栄養になり、今月の24日に転院し、看取りの入院になります!!と説明を受けたがそれなりに落ち着いていたのである程度長くなると思っていたのですが…………
夜9時ちょっと過ぎに突然電話があり、急変されました、何分で来れますか?
何分で?どうやって行こう?いやいや分からない………完全に動転していた私はとりあえず急いで来ます!って返事して、姪っ子に電話して彼女は出先から直接病院に私は彼女の旦那と自宅から出発した。
病院到着後急いで病室へ、酸素マスクをつけ点滴に繋いであったけど間に合わなかったです。
午後8時頃高熱で呼吸が荒くなっていたので、酸素マスクを付けたが、血中酸素が落ちて血圧も、ストンと落ち心電図計を付けたが心拍数も、弱くなりやがてフラットに……………………
当直の先生から、聞きました。あとは苦しまなかったか?聞いたら最期は苦しみなく穏やかに逝かれました。との事でした…その後綺麗に整えて頂き姪っ子夫婦と共に斎場に、自宅近くを通りむかいました。
大分の兄は明け方近くに到着し、打ち合わせしながら決め事を進めた
お寺さんとコチラの事情との関係で、通夜と密葬をして頂きました。明けて28日朝から火葬場へ行き荼毘に付して頂きました。お昼すぎに自宅に連れて帰って母来て仏壇に安置しました。
葬儀は、遠方にいる兄の事を考慮し、7月に忌明けと一緒に執り行うようになりました。
変則だけど、私達を第一に計画を立てて頂いた葬儀社の担当さんのお陰と感謝しております。今日は、今から手続きやらでばたつきそうですが、父に安心して貰うために頑張って来ます。
私の拙い介護に時に喧嘩したりしながらも、最期まで全て委ねてくれたお父さんに、至らない事ばかりだったのを謝ると同時に感謝しています!ありがとう、そしてもう一度連れて帰ってあげると言いながら、違った形になってごめんなさいm(*_ _)m
だけど、穏やかに逝った父の顔が、少し微笑んでいた事に安心しました。
お父さんありがとう!!
上手く言葉がでないけど、大好きだったよ!あちらでは、お母さんとくれぐれも仲良くしてくださいね。
長々とまとまらない日誌を読んで頂きましてありがとうございましたm(*_ _)m
たくさん励まして頂いたおかげで、何とか頑張って来れました。これからも至らない私を宜しくお願い致しますm(_ _)m(涙)