Momoくんひみつきち通信~喇叭気味の毎日 猟奇的な日記
Amebaでブログを始めよう!

味覚障害~絶滅したプロレスファン

 筆者が大学生の頃から愛読していた『週刊ファイト』が休刊になってしまった。とうとうプロレス界最後の砦が落ちた感は否めない。以下は最終号(1990号)になんとか間に合った久しぶりのそして最後の投稿である。

*********************************

最近の若者はファーストフードや化学調味料の影響もあってか、かなり濃い目の味付けでないと味を感じられないと聞く。極端な話、七味唐辛子を真っ赤になるほどかけないと辛さを実感できないそうだ。

プロレスを観戦することは薄味の料理の隠し味を楽しむことに良く似ている。

K-1やPRIDEを観戦するファンのニーズは、たとえ高度でも分かりづらい地味な攻防ではなく、失神KOや踏み付けといった刺激性の強いシーンである。

そこには、逆さ押さえ込みといった返し技の妙、両者リングアウトといった奥ゆかしさ、そしてお互いを信頼し認めあうからこそ生まれる名勝負も存在しない。

現在の格闘ファンにとって、プロレスはあまりにも薄味なのだ。プロレスが提供する世界観よりも現実の方がはるかに先を行ってしまっている。

増殖したファンの多くは実は完全な味覚障害で、より味の輪郭がくっきりした格闘技へとシフトしていった。当然だと思う。プロレスを味わえるファンを自ら育てなかった時点で、プロレスが生き残る道は閉ざされたのだ。


20年以上の長きに渡り、筆者の鞄の中には必ず週刊ファイトがありました。この日常的な風景が、もうすぐなくなってしまうのかと思うと、そのあまりにも巨大な喪失感に言葉を失います。

この事実自体がプロレスがジャンルとして死んでしまったことの最大の証左なのでしょう。

週刊ファイト スタッフの皆さん、長い間本当にお疲れさまでした。また逢える日が来ることをお祈りしています。


おまえ誰なんだよ?

 お昼休みにヤマザキのパンを食べていたら、PPに印刷されている女の子のことが気になった。スージーちゃん… だって。そう言えば(なにがだ?)、 ビスコのパッケージに印刷されているのは男のコだろうか 女のコだろうか? グリコのマークのあの走っているおっさんは何者なんだ ? 一粒が300メートルもあったらパッケージはどうするねん、と お決まりのツッコミを入れながら、つらつら考えた。

 大塚製薬のオロナミンCの大村昆とかオロナイン軟膏の浪花千栄子とかハイアースの水原弘とか蚊取り線香の由美かおるとかは、いいとして(いいのかよ!)ボンカレーの割烹着のおばさんが永遠のお姫様女優 松山容子だとわかる人が今時どれくらいいるんだ。

 カレーと言えば、インド人は何でみんな頭にターバンを巻いているんだ? あれはメタル インド カレー(このメタルというのもよく分からん。なんで金属なんだ)のパッケージと演歌歌手のチャダのしわざに違いない。そう言えば(なにがだ?)、どうしてインド人はいつもビックリしていて、インディアンは嘘をつかないのだろう? 

 そう言えば(なにがだ?)、南俊明が、コマーシャルの最後におまけで言った “ハヤシもあるでよぉ~” は、本当はどこの何のコマーシャルだったか? 覚えているヒトはいるのだろうか?

 タカラのリカちゃんのフルネームが香山リカで、その由来は銭形平次の奥さん役で有名な香山美子だったり、家電のサンヨー夫人が木暮実千代だったり、アスパラドリンクのコマーシャルのわけのわからないイラン人の芸名がハニホー・ヘニハーなんていうふざけたものであったり、世の中には謎が多い。

壮大なる振り込め詐欺~単なる想像です

夢14億円分が未換金 昨年の年末ジャンボ宝くじ みずほ銀行、確認よびかけ

 みずほ銀行は十九日、昨年の年末ジャンボ宝くじ当せん券のうち、一等(二億円)二本、二等(一億円)五本、一等の前後賞(五千万円)十一本の計十四億五千万円分がまだ換金されていないことを明らかにした。(サンケイ新聞 [2004年11月20日])


**********************************


 宝くじの一等って、本当に存在するのだろうか? 実は一等・二等・一等前後賞の当選番号は、もともと発売されてないんじゃないのか。最近、うすうす感づいてはいたのだが、ジャンボ宝くじがらみの記事で、未換金ってのがやたら多い。
 交換期限を過ぎると、当りくじもただの紙切れになってしまうそうだが、実際にはこのまま当選者が現れず仕舞いに終わりそうな気がする。というのもプライバシー保護とセキュリティの観点からすれば、当選者の情報をオープンにすることはどだい無理なんだから、確認のしようもないのだ。
 半年前にこういう記事があったのを思い出した。バカな奴だなぁ と笑い話にでもするつもりでチェックしていたのだが…


*********************************

宝くじ4000枚盗んだ男逮捕 当たりは200円だけ

 東京都千代田区の宝くじ売り場から宝くじ券4400枚を盗んだとして、警視庁丸の内署は25日までに窃盗の疑いで31歳の会社員を逮捕した。
 容疑者が盗んだのは、全国宝くじ(宝くじの日記念)4000枚と、東京都宝くじ(スクラッチ)400枚で、いずれも1枚200円。
 最高で1億円が当たる宝くじだったが、容疑者は“徹夜で新聞を調べたが、末等の200円しか当たらなかった”と供述している。実際に換金できたのは約8万円だったという。(共同通信[2004年5月25日])

いかなる大義名分も無意味

南日本新聞 (2004年9月5日)
 ロシア南部の北オセチア共和国で学校を占拠したチェチェン共和国独立派とみられる武装集団は、強行突入に踏み切ったロシア特殊部隊によってほぼ制圧された。
 しかし、人質の児童ら300人以上が犠牲になり、負傷者も約700人に上る流血の惨事となった。死者の数は2年前のモスクワ劇場占拠事件を大きく上回る。チェチェン独立派によるとみられる一連のテロで最悪の結末となった。


*************************************

 子供や女性を人質にしあまつさえ人間の盾とするとは、いかなる大義名分があろうとも、このような集団は撲滅する以外の対応は必要ない。対話などそもそも成立しないのだ。
 人々の共感がえられない運動はどうやっても絶対に成功しない。無尽蔵に膨らむ憎悪以外の何ものも生み出さない。

これでは監督の思う壺だ! 『華氏9/11』 [★★★]

 初見の感じでは前作の 『ボーリング フォー コロンバイン』の方がはるかに良かった。ま、パルムドールを取るべくして取った作品である。この場合、パルムドールを与える側が世間からの評価を期待している節があってどうもいやらしい。
 大変な力作であると同時に大変危険な作品でもある。特に監督のマイケル・ムーアの場合、直接ヒットマンに狙われる可能性も出てきたという意味で、また我々鑑賞者自身も俎上に乗せられているという意味で。諸手を挙げて絶賛するのは実に簡単だが、天邪鬼な筆者は決してそうはしたくない。それでは監督の思う壺だ。
 作品全体は実はムーア監督自身のオリジナル映像は少なく、ニューズ映像が多いこと~つまりは誰にでも作れる~やみんなとっくの昔に気づいている!? ことを敢えて映画にしているような内容、アポなし突撃取材が今回は一つしかなかったこと(むしろこの手法をもっと多用して欲しかった)、アメリカ人の常識に対するコンセンサスの欠如から来る笑いそびれ(外人はやたら大笑いしていた。特に平和を守る連合軍にオランダの名前の挙がった瞬間、劇場に弾けた笑いの意味がよくわからない)、全てを言葉で語ってしまうために映像がどうしても説明的になっていること(字幕を読む量が多すぎてイライラした。もはや読むことに疲れてしまい、結局、映像などどうでもよくなってしまう。こういう作品の場合、配給会社は絶対、日本語吹き替え版を制作するべきだ)、すでに常識となりつつある「9・11はアメリカの自作自演の狂言」とする説にあまり言及していないこと、等々むしろ不満の方が多い。
 平均的なアメリカ人はこぞって戦争に行き、ブチ殺されて初めて反戦思想に転向するという絵に描いたようなバカが多いが、ここにもその類型がわんさか登場する。ただ、失うものが何もない貧しい人々が、命をカタにして一発逆転を狙う構図は、古今東西どこにでもどの時代にでもある悲しい反復であり、そこは実に的確に描き出されている。全ての原因が貧困にあること、結果として世界は貧しい人々の犠牲の上に成り立っていることを嫌というほど思い知らされる。
 作品を語らずにはいられないモチヴェーションを喚起するという意味では、いい意味でも悪い意味でも注目に値すると言えよう。

フェルメールと二人きり! [★★★1/2]

 閉館後の美術館であのフェルメールを見せてくれるという、筆者の10数年来のぴあ読者歴の中でも最大といって良い好企画が持ち上がり、しかも幸運なことに筆者はこの企画に当選できたのである。正にフェルメールが筆者を呼んでくれたのである。
 であるからして、筆者は神戸市立博物館に入場するやいなや、ほかの絵画は全て無視して、フェルメールの展示室に急いだ。するとそこには幸いなことに、他の招待客はまだ誰も訪れておらず、なんと二人きりでフェルメールと10数分間を過ごせたのである(もちろん守衛はいますぜ)。
 この作品『画家のアトリエ(絵画芸術)』は寡作な作家であったフェルメール自身が生涯、手元に置いていたという傑作中の傑作であり、およそダメなところの指摘できない完璧な作品である。多くの傑作がそうであるように、この作品も数奇な運命をたどり、一時はナチスが洞窟のようなところに保管していた時期もあるという。その作品が本当に素晴らしい状態で、筆者の目の前にある。この僥倖をどう表現したら良いものか? 正に言葉を失うとはこのことであろう。筆者は正にこの瞬間、至福のひとときを過ごしたのだ。

デリマ選手の高潔な精神に学べ!

悲劇の銅、「とても幸せ」=快走中押し倒される-男子マラソン〔五輪・陸上〕  【アテネ29日時事】

 男子マラソンでトップを走っていたブラジル人のバンデルレイ・デリマ選手(35)が、コースに飛び込んできた男に押し倒される前代未聞のハプニングが起きた。顔をゆがめ再び走り始め3位でゴールすると、パナシナイコ競技場の観客からどの選手よりも大きな拍手と歓声を浴びた。
 「あの観客が私の前に飛び出してこなかったら、私が優勝していたかもしれない。リズムを失い、取り戻すのが難しかった」とデリマ選手。しかし、「五輪のために練習を十分にしてきた。銅メダルが取れて、とても幸せだ」と話した。


*************************************

 ただただ、感動。はたして、自分が同じ立場で同じことが言えるだろうか… 今、近代オリンピックが失ってしまった全てが、彼の言動の中に生きている。アヌシュ選手のドーピング疑惑をチクって、金メダルに繰上げ当選した室伏、「だれが4位かなんて、だれも気にしない。そう思うと、レースを続ける意欲がなくなった」とコメントした女子マラソンの敗者ポーラ・ラドクリフも少しは見習え。ラドクリフは結局、一万メートルも棄権した。自分に負けたアスリートには誰も、感動はおろか同情さえしない。

『マッハ』 リアルさのカケラもない映画 [★★1/2]

 この作品、“CGを使いません/ワイヤーを使いません/スタントマンを使いません/早回しを使いません/最強の格闘技ムエタイを使います”というキャッチ フレーズで生身の人間がここまでやれる! ということを売りにしているのだが、実は致命的な勘違いがある。それは、実戦があんなにエンドレスで続けられるワケがないということと、そもそもあんなに危険なヒジ撃ちを使ったら相手は一発で即死しているということだ。
 もちろん、アクション映画なのだから格闘シーンが過剰なまでにサービス精神旺盛なのは当然なのかもしれないが、つまりはそれがホンモノを謳っていながら、実は作り物であることをことさら強調する結果になっているのである。何がリアルなのか全く分かっていない映画なのだ。
 また人気ロックグループ TOKIOの国分太一似のお兄ちゃん トニー・ジャーは、何を考えているのか全く伝わってこないので、彼のパーソナリティが全然、見えないのだ。だいたい、絶対に使うなとお師匠様からキツク言われていたムエタイを実にあっさりと披露するのも、彼のパーソナリティを理解する上で大変な障害になる(苦笑)
 ただし、この作品でのヒロイン プマワーリー・ヨートガモンは奇跡的に可愛い! ので、これだけでも十分、元は取れる。

権力の正体とは、こんなもの

21人殺害で男を送検=韓国(時事通信)[7月26日15時0分更新]

 韓国のソウル市警は26日、昨年から今年にかけて資産家の高齢者や出張マッサージの女性ら計21人を殺害したとして、柳永哲容疑者を送検した。
 この日午前、検察に身柄を移される同容疑者が警察署から姿を現すと、被害者の女性の母親が傘で殴り掛かろうとして、警察官に阻止された。母親は“警察が早く逮捕しなかったから、娘が犠牲になった”などと叫んだ。【ソウル26日時事】


*************************************

 この様子はテレビのニューズで見ていたのだが、傘で殴り掛かろうとした母親は、なんと警察官に“蹴りを入れられて”阻止されたのである。手よりも先に足の出るテコンドーのお国柄とはいえ、この映像は筆者にとって限りなく不快なものだった。盾になってかばったというのならまだ分かるが、普通、蹴りなんか入れるか??? 日本だったらこれだけで大きな問題になっていただろう。
 この母親の“警察が早く逮捕しなかったから、娘が犠牲になった”という叫びは実に真っ当なものであり、これではどう見ても、警察権力は国民を一切守らず、むしろ殺人者を援護しているという印象しか持てない。しかもこの母親、殴りかかろうとしたというのは誤報で、犯人がマスクで顔を隠していたので犯人のマスクを剥がそうとしただけだったらしい。
 筆者がさらに驚かされたのは、このマスクで覆われた犯人のまなざしがあまりにも静かだったことである。目が全く泳いでいない。ドラマで演出されたような“いかにも”という感じではなく、実際の狂気のまなざしというのは、あながちこういうものなのかもしれないなと思った。

ロック オデッセイ 2004/大阪ドーム [★★★]

 待望のThe WHOがやってきたこのイヴェント、筆者は考えさせられる問題に突き当たった。そもそもロックは“ドント トラスト オーバー 30”をスローガンにしてきた。それは反体制であったり、反権力であったり、十代の誰もが抱く世界に対する違和感や理由の分らないイライラした感情、等々がその原初的な衝動として存在した。円熟であるとかベテランといった言葉の存在しない音楽だったはずなのである。ピート・タウンジェントやロジャー・ダルトリーはなるほど、感動的で尊敬の対象ではあっても本来、ロック ファンとしてはそれこそ撃つべき象徴なのである。
 ローリング ストーンズのメンバーにしてもそうなのだが、ロックをやるために、ジョギングをしたり、栄養のバランスを考えた食事をしたり、およそロックとは無縁の規則正しい生活を送るという結果を招いている。ロックとは若者の音楽だけに、それをやる側のエネルギーたるやたいへんなもので、だからこそそれは反体制の音楽だったのだ。
 このイヴェントが本来、狙っていた“見よ! ロックの底力を”といったものに結局はならず、ロックがもはや“死に体であること”を再確認するだけのものに終わったのはなんとも皮肉なことであった。