こんにちは
そして、お久しぶりです
さて、今回は福岡市博多区にある、崇福寺と黒田家の墓所について紹介します。
僕は昨年、福岡に行ってきました
福岡には、日本の歴史を語るうえで欠かせないことが多くあります。
その中でも、僕がずっと前から行ってみたいと思っていたのが、今回紹介する崇福寺の黒田家の墓所です。
まずは、黒田家の墓所からです。
黒田家の墓所は、土曜日と日曜日の午前10時から午後4時(12月29日から1月3日は休館)のみ開いているので、この日に合うように旅行のスケジュールを考えました。
黒田家墓所は、住宅街を通った所の門から入ることができます。
門を入ると、まず官兵衛ゆかりの地と黒田官兵衛、長政についての看板があります。
墓所は広く、墓の大きさに圧倒されてしまいました。
メインは、この黒田官兵衛(如水、孝高)の墓でしょう。
官兵衛は、豊臣秀吉の参謀として竹中半兵衛とともに有名で、大河ドラマ『軍師官兵衛』でも一躍有名になりました。
関ケ原の戦い後、官兵衛の息子、長政が戦功により筑前52万石を与えられ豊前国中津から移封となり、官兵衛は福岡藩の祖となりました。
ちなみに、官兵衛の墓は作られた当時のままらしいです。
高さは、5.8mもあるそうです。
墓の前には、「黒田如水公墓碑」という石柱が立っていました。
官兵衛の左側には、福岡藩初代藩主の黒田長政の墓がありました。
僕は長政の「一の谷型兜」という兜が大好きで、僕の部屋には小さなフィギュアまで飾ってあります。
黒田家の墓地がある東京の祥雲寺にも長政の墓があり、この墓と形がよく似ています。
ちなみに、ここの墓所の南端には、改葬された時の長政の墓の笠の部分が残されています。
このように、長政と官兵衛の墓は並んでいます
この墓には、福岡藩主の4代綱政、5代宣政、6代継高、7代治之、9代斉隆、10代斉清が埋葬されています。
ちなみに、9代の斉隆は8代藩主の黒田治高に養子として出されていて、実父は一橋徳川家の2代当主の徳川治済です。
治済の子には、徳川第11代将軍の徳川家斉もいるので、黒田斉隆と徳川治済は兄弟ということにもなります。
この手前の墓は官兵衛の正室で、長政の母の照福院のものです。
今回はこれで終わりです。
崇福寺については次回も紹介していきます。
では、さようなら