梅雨ですね。
電車ので席を譲ってくれた前いいるインド人の体臭と左横日本人サラリーマンのシャツの半乾き臭で軽く気を失いそうです。
以前書いていた親族への手紙の続きを載せます。
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父の遺品は大量で、3LDK部屋は天井まで高く荷物が積み上げられて、足の踏み場もない状態でした。スーツだけでも100着ありました。人間91年の人生の片付けです。
早い段階で、一人での片付けが難しいと判断して、遺産相続もらうのマンション売値代金の半額を兄に支払って私が買取る提案をしました。
「今回自分がもらう予定だった遺産が1円でも減らないならよい。遺産が目減りしないように不動産譲渡にかかる所得税を上乗せした一括現金で違約金もお前が払うなら売却をやめてやる。払わないなら弁護士をつけて裁判をする」
これが兄の回答でした。
兄が要求する金額を一括で払うのは無理ですので、何度も話し合おうとしました。代替案をとして3年ぐらい猶予を見て遺品整理が終了したら再度マンションを売ろうと提案をしたりもしましたが、全くの無視で返答は得られませんでした。
片付けが、やっと床が見えて少しだけ歩けるようになったとき祖父、祖母、母の遺品もでてきました。とても一人では期日内にできるものではないと判断して、兄に遺品整理に参加してもらうよう頼みました。また、買主にも期日延長を申し込みました。
仲介業者に頼み、やっと来た兄の回答は「自分に必要なものは何もない 。そんなに遺品整理したければトランクルームを借りろ」でした。必要、不必要ではなく、父のために遺品整理をしてくださいと言っても聞く耳を持ちません。
買主への引き渡し期日の延長は断られ、買主からも、期日を過ぎた場合は、すぐに違約金310万と手付金155万円を払うよういわれました。支払いができなければ、支払い要求の裁判をすると言われました。
毎日怯えながら遺品整理をしていました。この当時は、M社、兄、両方から早く片付けろと責められて、眠れず、心身ともに一番きつかった時期です。仕事が終わった後、実家に行き、1日2時間の片付けを毎日3時間睡眠で続けました。
そんななか私は無理がたたってか、心身とも不調になり、心療内科を受診するようになりました。
この時は、本当に傷ついていましたね…
誰もたすけてくれない…唯一、仲介業者(M社との仲介に入った会社)の所長だけが、片づけ手伝いましょうかと言ってくださって、泣いたのを覚えています。
このときからずっと睡眠薬と友達です。
今思い出しても苦しくなります。
家族が急死してすぐ
思い出の品を
捨てろ!
捨てろ!
捨てなきゃ裁判だ!
それが兄でした。
今思えば、
いっそ私にも死んで欲しいと
思っているような扱いでした。
将来、同じことが、兄にも振りかかってくるだろうなと…姪の未来が心配です。
因果応報
そのとき、初めて
気がつくのか、
気がつかないのか…
私は知るよしもないですけど。