釈迦→貴方の心は自由を感じてますか?このままでいいのかな?何かが違う気がする。もっと自由に生きらるのではなど日々の生活の中で漠然とした不安や息苦しさを感じることはないですか?それは貴方の心が何かに縛られているのかもしれません。私達は知らず知らずのうちに様々な縛りを自分に課しています。過去の出来事に囚われ他人の評価を気にし年齢という数字に制限され、お金の心配に縛られ、そうして少しずつ本来の自分らしさを見失っていくのです。世界には数えきれないほどの生命が存在し、それぞれが様々な形で縛られながら日々、過ごしています。特に人間は外からの影響を受けやすく知らず知らずのうちに自分の心を束縛してしまう存在です。しかし、本来の人生とは、そのような束縛から解き放たれた状態にあります。まず1つ目は過去という重い鎖について。過去の出来事はもはや存在しないにも関わらず私達の心を強く縛りつけます。辛い経験、後悔、失敗の記憶など。これらは確かに私達の一部となっていますが、それらに現在を支配される必要はありません。過去は私達を教え導くものではありますが私達を永遠に縛りつける鎖であってはなりません。嫌な思い出を何度も思い起こしても気持ちが良くなる事はありません。むしろ、そのような思考は現在という貴重な時間を奪い未来への視界を曇らせてしまいます。誰かに嫌な事をされたり言われたりした事もあるかもしれません。しかし、その痛みに囚われ続ける事は自らを二重に傷つけることになります。憎しみや怒りを抱き続ける事は相手に心の支配権を与え続ける事に他なりません。重要なのは過去の出来事そのものではなく、それに対する私達の態度です。過去を変える事はできませんが、それに対する見方は変える事ができます。今、この瞬間に一歩を踏み出す勇気を持つことで過去の鎖から解放される道が開かれるのです。過去の出来事は今、現在の美しさや今、この瞬間の価値を損なうものではないという事。今、この瞬間の思考、動機こそ未来に繋がる種が蒔かれているのです。2つ目は他者の考えという鎖です。ある若者がいました。絵を描く事が好きでしたが周囲から芸術だけでは食べていけないと言われ周囲の声に押しつぶされ、その夢を諦めようとしていました。又、ある女性は結婚わ望んでいましたが、もう年だからという周囲の言葉に自分の幸せを追求する権利さえ放棄しようとしました。私達は他者からの期待や評価に過剰に敏感になりがちです。周囲の言葉に自分の本当の望みを押し殺してしまう事はありませんか?確かに善意からの助言や忠告は貴重な導きとなります。しかし、自分の直感や願いを無視する事がある場合、それは本来の自分を見失うことにもなることがあります。人は自分の価値観や期待も含めての言葉もある場合があります。他人の期待に応えようとするあまり、自分本来の道から外れてしまうこともあります。大事なのは行動を起こす際には常に、その動機が不純なものからの行動か動機が本物かどうかを自分に問うてみる事が大切です。それは本当に自分の意思によるものか、それとも単に周囲の目や評価を気にしての行動なのか?私達がこの世に生を受けたのは自分自身で道を切り開くためであり誰かの期待に応じるためではありません。3つ目は自分自身の思い込みという最も見えにくい鎖です。ある女性は幼い頃、両親の期待に答えられず、お前には才能がないと言われ続けました。その言葉は年月を経て彼女自身の内なる声となり今でも新しい事に挑戦する勇気を奪い続けています。又、ある老人は一度の失敗から、私には成功する資格がない、という思いを抱き、それ以降、人生の機会の多くを見送ってきました。これらの思い込みは見えない鎖のように私達を縛りつけます。私にはできない、私は価値がない、私には才能がないなど、これらの言葉で自らを縛りつけていませんか?このような思い込みの多くは幼少期の経験や周囲の言葉から形作られた幻想に過ぎません。私達の心は時に気づかないうちに自らの心を鎖で縛っています。自分自身に関する誤った思い込みが我々の行動や能力を不当に制限しているのです。人生の様々な段階で経験した出来事、周囲の人々の意見に基づくものかもしれません。重要なのはこれらの制限が自分自身によって作られたものだということです。つまり解き放つ力も自分の中にあるのです。自分を束縛している鎖が自分自身によって作られていると認識し、それを静かに離していく。自分は何でもできると過剰に思い上がる必要はありません。しかし、自信がない、できないという思いは単なる思い込みに過ぎない事が多いのです。自らに制限をつけず限界を超えて能力を放つ解き放つ時、思いもよらない潜在意識能力が現れる事でしょう。内なる敵、すなわち自分自身に対する否定的な信念を克服する時、外なる困難も、その力を失っていきます。自分自身で作り上げた鎖を解く事が出来るのは自分だけしかいません。人生に遅すぎるという事はありません。今、この瞬間から自分の望む方向へと歩く事ができるのです。すぐに全てを変える事は難しいかもしれませんが小さな一歩から始めて着実に一歩一歩、進めばいいんです。人生は絶えず変化し続けるものであり、その流れに逆らう事なく自らの希望によって舵をとる事ができます。年齢や言い訳なども自分を制限することも自らの可能性を見過ごす事に他なりません心が望むものがあるなら、その声に耳を傾け、その声に応じて行動あるのみです。現在の常識となったものを見直し自分の内にある新たな理解を求める姿勢こそが真の自由なのかもしれません。常識に縛られるのではなく自己の直感と理解を常に学び続ける。その過程で豊かで精神を育む事ができるのでしょう