最近、どうも腰の調子が良くありません。
もしかしたら、また尿路結石が悪さをしているかも…。
そんな不安の中で、ふと思い出した事があります。
前回、激痛に襲われた時のことです。
ちょうど日曜日のことで、
私は這うようにして
救急外来へ向かいました。
けれど、翌日の月曜日に改めて
かかりつけ医を受診することはしませんでした。
平日の昼間に病院へ行くということは、
仕事を休むということ。
時給で働く私にとって、それはそのまま
収入が減ることを意味します。
「予約なしで行ったら、何時間待たされるかわからない。
その間にどれだけ働けるだろう」
結局、私は痛みを抱えたまま数日を過ごし、
あらかじめ予約していた日に受診しました。
先生には「なんで電話一本くれなかったの、
無理しちゃダメだよ」と呆れられましたが、
その時の私には、自分の体よりも
「働かなければ」という焦りの方が
ずっと大きかったのです。
でも、ふと立ち止まって考えてしまいました。
自分の体よりお金を優先するなんて、
なんだかちょっと、寂しい生き方をしている気がする。
なぜ私は、こんなにも「働いた分しか受け取れない」
という思い込みに縛られているんだろう?
そこから、私の思考は少し不思議な方向へ
広がっていきました。
もし、この世界が「労働の対価」だけで
回っているのではないとしたら?
たとえば、私という存在そのものが「愛」であり、
周りの人と温かな気持ちを循環させて生きる存在だとしたら……。
お金を、ただの数字ではなく
「感謝というエネルギーの流れ」として捉えてみる。
私が誰かを大切にし、私自身も愛される。
そうした心の交流から生まれるエネルギーが、
巡り巡って暮らしを支えてくれる。
そんな風に考えることができたら、
どれほど心が軽くなるでしょう。
「働かなくても生きていける」なんて、
今はまだ、おこがましい夢のような話
かもしれません。
でも、そういう生き方があってもいいんじゃないか。
そう思うだけで、こわばっていた心が
少しだけ解ける気がしたのです。
一方で、最近のSNSやブログで見かける
「誰でも簡単に稼げる」という威勢の良い言葉には、
どうしても心がざわついてしまいます。
「仲間を増やしましょう」と微笑みかけられるたびに、
どこか違和感を覚えてしまうのは、
私がまだ「奪い合い」の景色の中にいるからでしょうか。
それとも、効率や数字ばかりを追い求める
「ギラギラした空気」が、少しだけ苦手だからかもしれません。
最近流行りのAIも、便利な道具ではあるけれど、
どこか寂しさを感じます。
誰かが作った情報をAIがまとめ、
それをまたAIが広めていく。
そんな風に効率化され、
平均化されていく世界の中で、
私たちが心を通わせる余白はどこに残るのでしょう。
効率や時給に追われる毎日の中で、
つい忘れそうになるけれど。
痛みを感じるこの体も、
誰かを大切にしたいと思うこの心も、
AIには代えられない、私だけの「愛」の形なのかもしれません。
腰をさすりながら、そんなことをつらつらと考えた午後。
まずは自分をいたわることから始めてみようと思います。
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さてさて、いかがでしたか?
上記の文章は私のメモをAIに読み込ませて、
「校正」してもらった文章です!
いやぁ、うまい言い回しするなぁ~Geminiさん!
思考が暴走した時に、とりあえず言葉をつらつら書き留めて、
こうしてAIに校正してもらうって、なかなかいいかも!
これ、自分のメモも載せたら比較ができて
面白いと思うんですが、
音声入力のメモなので、誤字が凄くて載せられん!
(恥ずかしすぎる!)
あまりにも酷いので、途中までは自分で誤字脱字
言い回しを直してたのですが、最後までやらずに
途中でぶち投げてしまって。
(間違ってReturnを押してしまった)
それでもかなりこちらの意をくみ取ってくれて、
うまく繋げてくれて…さすが大規模言語モデル!(笑)
とは言え、やはり「私らしさ」はないので、
このAI文書を元に、私に寄せていじらないと
若干の気持ち悪さを感じるなぁ。
「道具」として、うまく使っていけたらいいなと
思いました!