30年も過ぎると あるのが当たり前の存在となった本四連絡橋です。
その一つ、最初に開通した瀬戸大橋が昨日4月10日に30周年を迎えました。
生まれた時から橋を渡って本州に行くのが当たり前の世代も増えています。

30年前、開通時の記憶、
開通前の歩いて渡れるイベントに高校生だった長女と参加しました。
与島往復に当選していました、が
与島に着いて折り返しをすべきところを、それ行け~~、で児島まで渡り切ってしまったのです。
そこから電車で実家へ行き、母の顔を見て、下津井からフェリーでのんびりかえってきました。
30年前、まだまだ若かった。
そして、いよいよ10日に開通です。
9日に出張で宇高連絡船で宇野へ渡り東京へ行きました。
そして、翌10日は開通初日の瀬戸大橋線、マリンライナーで帰りました。
連絡船最終日、瀬戸大橋初日に利用の貴重な経験でした。
素晴らしい時短に感動でした。

母が倉敷市で一人暮らしをしていましたので、おかげで車利用だと自宅を出て30分で実家へ着けるようになりました。
開通時は通行料はかなり高額だったので専ら電車を利用しましたが。少しは親孝行出来たのも橋のおかげでした。
母の最期の3年間、施設でお世話になりました。
その施設は交通の便が悪く、車利用が必至です。
その頃、民主党政権でした。
高速道路1000円の3年間が母の施設暮らしとピッタリマッチしました。
その良し悪しは別として、私にとってはとても助けられた3年でした。
母が他界、その後実家の兄も他界し実家へ行く機会は減りましたが 今はオカリナレッスンに倉敷まで当たり前のように行っています。
故郷も近くなりました。
昔の友人との交流の機会も増えました。
風に弱いのが難です。
30周年の10日も普通にマリンライナー利用で児島往復しました。