なかむ〜さんとの出会いは、ブログを通してでした。
「この方にお会いして、お話ししてみたいなあ」と思い、今年の2月に開催されたクリアリングのシェア会に参加させていただきました。
このクリアリング〜シェア会〜を経験して、「。(かっこ、まる)」というワードに出会い、自分の気持ちを押し殺すことがなくなりました。
娘の不登校や自分の心身の不調に悩まされ、本当にしんどかった3月をなんとか乗り越えられたのは、このシェア会のおかげも大きかったと思います。
私は何か嫌なことがあったとき、「なぜそれが起きるのか」理由を探し、自分を納得させようとします。
それは、自分が腹を立てて気持ちが掻き乱されるのが嫌だからです。
掻き乱されている状態も嫌だし、それに頭のなかが支配されるのが嫌だから、理由づけをして怒りを消化しようとします。
こちらの記事に書きましたが、私は現実原則に基づいて怒りを処理しようとします。
自分が自制している分、相手がその言葉を聞いてどう感じるかを考えずに強い言葉を放つひとに圧倒されるし、腹が立ちます。
でも、その腹が立つ相手と同じ土俵に立ちたくないという思いから、自分の怒りは押し殺し、なるべく穏やかに話をしようとします。
他にもアサーションで解決しようと試みます。
昨日の仕事でのモヤモヤは、会話のなかで上にあげたような手法を駆使してもうまく伝わりあえない感じで、「それって私が悪いの??」とか、自分の仕事の仕方が理想を目指しすぎるのか?とか、色々考えていました。
ちょうどそのタイミングでなかむ〜さんの今回の講座に今日参加させていただけるというのは、ご縁だと思いました。
雨を心配してましたが、良いお天気になりましたしね
今朝までちょっとモヤモヤを引きずっていましたが、講座に向かう途中、「。」を思い出しました。
「相手も何か不快に思って攻撃的に思えるような言い方をしてきているかもしれないけど、私もそれを不快に思っている。まる。」と完結できました。
以前なら、相手の態度が〜、とか、自分の立ち振る舞いが〜、とか、悶々と考え込んでいたと思います。
でも、「。」の考え方や、この3年間で読んできた本で囚われる時間が少なくて済みました。
今日の講座の内容は、パラダイムについて、でした。
パラダイムとはなんぞや?と初めてその言葉を聞いたとき、ネットで調べていたのですが、なかむ〜さんは、「ネットではパラダイムについて調べないでください。概念は時代によって変化しているので、今お話しするパラダイムとはまた別の意味で使われていることがあります。」と言われていました。
今日の講座では、パラダイムを次のように話されていました。
価値観の枠のようなもの。
自然にあるもので、良いものでも悪いものでもない。
私たちは、何かをしようとするとき、その目的にまっすぐ向かえない時があります。
わかりやすい例を出していただいたのですが、例えばしないといけない勉強や書類作成があるのに、普段観ないテレビを観てみたり、普段しない掃除をしてみたりと目的にまっすぐ向かえない行動をとることがあります。
それが「枠のようなもの」であり、パラダイムだそうです。
パラダイムがあると、なんだか出来ない感じがしたり、することに抵抗を覚えるとのことでした。
抵抗なく目的となる行動に向かえるときは、パラダイム内にいる、パラダイムの中にいる状態だそうです。
パラダイムについて深く知りたい、という希望が参加者の方からでましたが、「今回は、フワッとした概念で、パラダイムというものがあるんだ、ということだけ理解してください」となかむ〜さんは話されました。
パラダイムは、目的に向かおうとするエネルギーを曲げるエネルギーになり、曲げるエネルギーが強固なものになると、何かをしようと思うことに対する抵抗感が強くなり、無駄なエネルギーが増す、と話されました。
パラダイムを知ることで、無駄なエネルギーを意識することに繋がり、人生や仕事がうまくいくハイパーな自分になり、成功するひとはパラダイムを掴んでいる、というお話でした。
そして、パラダイムが変わっていくことをパラダイムシフトと言います。
「常識」とされていることを変えることで良い変化をもたらすことになるそうです。
その「常識」についての例で、子育てにおける、褒めることの意味と弊害について説明されました。
長くなるので、記事を分けます
②では、褒めることと認めることの違いについてです。
②はまた明日、更新したいと思います
今日は朝から活動し、一旦帰宅してからバイト先の夜診で働いてきました。
最近超早起きが続いているので、かなりの連勤が続くので、明日はちょっとゆっくりめで普通の早起きをしたいなあ、と思います。
娘は部活の初朝練で6時半には家を出るそうで、娘も朝活です
それでは、また。
おやすみなさい