こんにちは
本日2つ目の記事です
最近書いて整理をしたいことが色々あり、連投になっています。
お休みの日なので更新が捗ります
ただいま、電車移動中です。
さて、この記事は仕事について、なかでも介護と看護について書きたいと思います。
私は今は「仕事ができる人」と言われたりしますが、新人の頃は、「果てしなく仕事ができない人」でした。
それが悔しくて悔しくて。
必死で「仕事ができるひと」になろうとしていました。
「できない側」だったから、できない悔しさや、何をどうしていいのかわからない戸惑いといった気持ちは深く理解できます。
負けず嫌いで自分に厳しい性質から、出来るようになるために試行錯誤してきました。
家に山のようにある看護の本は、私のその頑張りの過程が見えるもので、今みて「なんじゃこら」と思う本も、苦笑してしまいますが可愛い存在です。
時がきたら役立つものもあると思うので、捨てずに置いています。
褥瘡の本だけでも三冊も買っています。
それぞれ切り口が違うので、失敗ではないのですが、そこまでのめり込まなくとも…、と過去の自分をヨシヨシしてやりたい気持ちになります
これらの本は、今の職場に寄贈しました
今の職場は勉強熱心な方が多く、看護的観点からの利用者さんの状況を聞いてこられる方がいて、その方達の役に立てばいいな、と思いました。
あと、若手の方にとっては、何を勉強したらいいかのヒントになるかな、と思いました。
勉強熱心な方が同僚にいると、「自分も勉強しないと」という刺激になります。
私自身も刺激を与えられる存在になれたらな、と思います
多くの介護施設は夜間帯は看護師が常駐ではなく、看護師が不在の時間があります。
私の施設もそうです。
日中も複数フロアを見るので、正直目が届かない部分もあります。
それは病棟看護師時代には考えられないことだったので、それが一番施設で働き始めてから戸惑うことでした。
そのような状況なので、介護の方からもらう情報はかなり重要で、介護の方がスキルアップしてくれると自分自身のケアの質の向上にもつながります
この4ヶ月、色んなスタッフの方と話して、色んな視点を聞いて、よく見ているなあ、と感心することや、逆に「惜しいな」と思うことがありました。
介護と看護では同じ対象をみるのでも、“みる視点”が違って興味深いです。
介護の方のなかには、看護師的視点を持って仕事をされている方がいます。
「介護はセンスだな」と思うので、すべての方にできることではないかもしれませんが、これ、とても大切なことだと思います。
センスがある方は、めちゃくちゃ質問してこられます
「利用者さんのことをより深く理解したい、そのために知りたい」という熱意に、利用者さんの把握ができていない時期はタジダジしてしまうほどでした
今は色々情報交換できるのがとても楽しいです
介護と看護の関係が良いのは、先輩方の看護師としての働き方のおかげで、良い職場にはいれたなあ、としみじみ思います
介護施設には、特養と呼ばれる特別養護老人ホーム、老健と呼ばれる老人健康施設、私が働く有料老人ホームなど様々な形態があります。
この辺りの区分と役割の違いについてが次に勉強したいことなのですが、介護制度は高齢者の増加と医療費の増加に伴い、次々と変わっていっている状態です。
以前は身体介護に携われる範囲の違いによりヘルパー1級、2級などの区分でしたが、今は初任者研修、実務者研修といった名称に変わっています。
また、社会福祉士や介護福祉士、ケアマネジャーなどの役割が注目されており、介護の経験に応じてステップアップしていくことが望まれる流れになっています。
介護職の給与についても、業務内容に対してはまだまだですが、上昇傾向にあります。
優秀な人材の確保や育成のために必要な流れだと思います。
“できる”介護職は、自然と看護の視点が身についていきます。
介護職から看護師への転職も多いです。
また、看護師も本来介護の視点を持つ必要があると思います。
看護師は3Kと言われていた時代がありました。
危険、汚い、キツイ、です。
昔は医師のお手伝い、という視点だったのが、先達の看護師さんの頑張りにより社会的地位があがりました。
医療の複雑化により、看護師の業務が増え、介護職が看護師の仕事の一部を分担するようになりました。
そのような流れのなかで、昔医師が看護師を従えていたように、看護師が介護の方に対して上から物を言っている場面を時に目にします。
そして本来看護師の仕事であることを看護の仕事から切り離しているひとも残念ながら目にすることがあります。
看護師が仕事を選び、介護の方に仕事を振るのをみると、と思ったりします。
自分は雑談しているのにナースコールが鳴ったときに忙しそうな介護職の方に「ナースコール鳴ってる」と言ったり
シーツ汚染があった時、「これは介護さんの仕事だから」と手伝わなかったり…
なかでも、オムツ交換を介護の仕事、という看護師を見ると、私はそのひとは看護師失格だと思ってしまいます。
オムツ交換は情報の宝庫です。
その方がどれだけ身体を動かせるか、健康状態の指標となる尿や便の性状、肌の状態、様々なことがわかるからです。
そこを介護のひとに丸投げにするのは違うよなあ、と思うのです。
仕事での悩みはしんどい面もありますが、幸せなことでもあります。
それだけ熱中できている、ということなので
ただ、不必要な悩みもあるとは思います。
人間関係での悩みが仕事の悩みのなかで多くを占めると言われます。
仕事だけではなく、ひとの悩みのほとんどはそうかもしれません。
人間関係も質があると思います。
仕事に関しては、人間性にまで口を出すようになったらアウト、というのが私の判断指標です。
私は仕事が好きすぎて、そしてADHDの可能性があって、突っ走ってしまうことがあります。
今考えると、「正しい」を押し通して実際それでトラブルを引き起こしたこともありました。
自分の気持ちばかり押し付けないようにしないとな、と思います。
また、自分の身を守ろうとして断固としてミスを認めないひともいます。
そういう方をみると、「勿体ないな」と思います。
そういうひとはひとからのアドバイスをきこうとしないし、他のひとのやり方を見て学ぼうとしないからです。
「自分は悪くない、自分は間違ってない」と思うからです。
そういうひとに対してひとは教えようと思わなくなります。
ただ気をつけたいのは、威圧的であったり、ミスをあげつらうような環境では保身的な行動が増えるということです。
指導や指摘をするときにそのような態度になっていないかを意識するようにしています。
…仕事が好きすぎて、仕事に関して書くと止まらなくなります
介護や看護の仕事はそのひとの人柄や人生経験が反映されやすく、その意味でも興味深いです。
そして、果てがないというか、勉強しても完璧になるということはありません。
将来A Iの普及により、なくなる仕事もあると言われています。
介護や看護の場にも介護型ロボットなどができてくるかもしれませんし、それに助けられることもあるかもしれません。
でも、対象に対して愛情や優しさを持って接する、相手の立場にたち、自分の身に置き換えて考えるということが介護や看護の基本である以上、介護や看護の仕事がなくなるということはないと思います。
今の職場は研修制度やミーティングの機会に恵まれていて、知識欲、勉強欲が強い私を満たしてくれます
こう書くと偉いよね、と言われがちですが、私はそんなに高尚な志があるわけではなく、ただ知りたいという“知りたがり”、そして知らないことがあると悔しいという“負けず嫌い”なだけな気がします…
ADHD気質からか、色々なことに手を出したくなる私は、ここまで認知症に関心があるのなら、認知症認定看護師を目指してもいいのかな…と思ってみたりしています。
以前受けた研修で、認定看護師さんが講師を務め、お話を聞く機会がありました。
その時すごく感銘を受け、自分の見地が広がりました。専門の知識を持つとどのような視点から認知症をみることになるんだろうと興味があります。
今はまだ時期尚早ですが、いずれ手を出してるかも…
目的地に到着しました
今日は会いたいひと二人に会うので、また夜に更新するかもしれません。
それでは、また