マンガでやさしくわかるアサーション
(平木典子 著、星井博文 シナリオ制作、サノマリナ 作画)


こんにちは
今日も良い天気ですキラキラキラキラ

早いもので、1月も下旬。
暦の上での春、立春も近づいてきており、陽射しの暖かさからも寒い冬から段々と春に近づいてきているのかな、と感じます

とはいえ、世間はインフルエンザ、受験シーズン真っ只中ですねあせるあせる

お知り合いのブロガーさんのなかには受験生や受験生のお母様もおられ、皆さまの頑張りにエールを送っておりますキラキラキラキラ



さて、今日は、アサーションについての記事です。
後半、例により私事が含まれますので、本の内容は前半部分をお読みください

ブログを始めた当初に、アサーションについては一度取り上げています。
ダウンダウンダウン

アサーションについて、リブログでご紹介した本からの説明です。

「自分も相手も大切にした自己表現」ということです。もっと具体的にいえば、「自分の考え、欲求、気持ちなどを率直に、正直に、その場の状況にあった適切な方法で述べること」ということなのです。すなわち、アサーションという言葉には「相手のことも大切にする」という意味があり、「自己主張」という日本語では、その意味が抜け落ちやすいのです。そこで、通常はこの言葉を日本語に訳さずにそのまま「アサーション」あるいは「アサーティブ」と述べ、あえて日本語にする場合には「(さわやかな)自己表現」と表記することにします。



私は、この(さわやかな)自己表現という部分が好きで

看護師をしていて、いくら治療上必要なことであっても、患者さん自身が納得され、協力を得られないと治療成果はあがらないということを実感しました。
“真面目”な看護師さんや医師が患者さんとバトるのを見たりねーねーねー

医療を提供する側には想いがあり、もちろんそれはとても大切なことなのですが、それが押し付けになっては「良い医療」とは言えないと思います。

また、「わからないからお任せ」となってしまうのも、特に抗がん治療を受けられる方は、予後を考えたり、患者さんが人生のラストステージを生きる上で望ましいことではないな、と思います。

患者さん、ご家族さん、医療者がチームとなって治療にあたる。
これが医療の本質であってほしいと、医療の片隅に身を置く身であり、父を癌で亡くし、祖父が認知症を患った元患者の家族としては願います。

そのために、患者さん、家族さんの想いを引き出しながら専門家として必要なことを伝える技術は必要なことだと思います。
アサーションは、そのために必要な技術だと考えています



…最初から堅苦しい感じのご説明になってしまったのですが、アサーションは、医療者に限らず、すべての人間関係において有効なコミュニケーション技術だと思いますニコニコ

「ナースのためのアサーション」は、ナースの、と銘打っていますが、一般の方にも参考になる本だな、と思い以前ご紹介させていただいたのですが、今回ご紹介させていただく、「マンガでやさしくわかるアサーション」は、よりわかりやすい内容かと思います。

以下、内容です。
下矢印下矢印下矢印

キャビンアテンダントとして働く主人公の悩みを解決していく様を描きながら、アサーションについて学んでいく形式になっています。



「自分の気持ちや考えを表現する」=ワガママと考え、自分の気持ちを飲み込む。

それは誠実で優しいことのように思えますが、「自分を大切にしていない」ことに時になります。
そして、「相手を大切にしていない」ことにもなるのです。

自分が心からそうしたいと願っていたり、そうするのがベスト、と感じるのならば、自分の考えを飲み込むことも時に必要なことです。

でも、勇気を出して言ってみた一言がきっかけで事態が好転することもあります。

何もせずにただ自分の気持ちを飲み込むことは、「非主張的自己表現」となり、厳しい言い方をすれば、状況を良くするための努力を怠っているとも言えます。


かといって、なんでもかんでも自分の言いたいこと、やりたいことだけを主張したのでは、人間関係に支障がでます。

威圧的に何かを求めるのは「攻撃的自己表現」と呼ばれます。
これは、何か伝えたいと思う相手の表現を妨げる表現方法にもなります。

「攻撃的自己表現」は、わかりやすく改良の余地があるコミュニケーション技術だと感じますが、
「非主張的自己表現」を続けていると、ストレスを無意識に溜め込み、怒りという形をとって、「攻撃的自己表現」に転ずることもあります。

ジェンダー・バイアス(文化的・社会的性差による差別、偏見)や差別意識のあるところでは、無意識のうちにどちらかの表現が使われやすいと本書にはありました。





アサーションは、3つのステップから成っています。
①まず、自分の「どうしたいか」という気持ちを確認し、自分の気持ちを大切にすること。

②次に、自分に気持ちがあるのと同じように、相手にも気持ちがあり、自己表現をする当然の権利があることを理解すること。

③その上で、自分の気持ちを表現すること(しないこと)を選択し、相手の立場に立った思いも持って表現すること。
(同意はできなくとも、共感はできるという姿勢を示すこと)

アップアップアップ
私はこのプロセスが、自分も相手も大切にしている感じがして好きだなあ、と感じます。

アサーションは、人権尊重の考え方でもあるのです。
「違い」は「間違い」ではなく、「個性」である、それがアサーションの基本的な考え方です。

以前に「学校に行ってないは○○?!」をリブログさせていただいた不登校カウンセラーようこさんが「★そんなの常識」をリブログしてくださった記事です。
リブログのリブログ返しも変かな、と思ったので控えたのですが、感銘を受けたので、この機会にリンクを貼らせていただきます↓
「違いは違いであって“間違い”ではない」




よくある場面や状況で、自分がどのような態度をとっているかを知る、チェックリストもあります。

これはテストではなく、自分を知るための手がかりのためのチェックリストである、と説明があり、アサーティブになるということは、自分を知ることだな、と改めて感じました。


アサーション愛が強すぎて、かなり本の引用をしていますが(無断転用にあたるのかなと思う今日この頃…。)、アサーションの基本的概念はこのような感じです。


「マンガで優しくわかるアサーション」では、漫画形式で主人公がアサーション・トレーニングを受け、変化していく様子と合間に詳しい解説が書かれています。

アサーション権についてや、具体的なアサーション権の行使の仕方、アサーティブ・トレーニングについても書かれていますので、興味を持たれた方がおられれば、手にとっていただけると嬉しいな、と思います
回し者ではないのですがねー
アサーションは、自己尊重・他者尊重に役立つ考え方なので、必要な方に届けば嬉しいなと思います




ここからは、覚え書きとしての私事です。

昨日、娘に適応指導教室の話をしました。
夫も起きていて、三人でお昼ご飯を食べれるタイミングだったので、「ここかな」と思ったので…

予想通り、鈍い反応。

娘は新しい場所や新しいことに抵抗を示すので、とりあえずそういう場所があることが伝えられたことでひとまずはよし、です。


来月初旬には中学の制服採寸があるのですが、今学校に行っていない状態で、同級生が多く集まる場に行けるかなあ、という話をしました。

「来週からは行けるかもしれないから」という娘。

「業者さんに連絡してお店に直接行けば採寸してもらえると思うし、無理しなくていいよ〜」と伝えました。

娘のなかでは「中学になったら頑張る」という思いがあるので、それは大切にしたいなと思います。

ただ、セーフティーネットのような場所はあったら楽かなあ、と思っています。


今通っているカウンセリングも、一昨年初めて行くときには拒否があって、「ママも相談してみたいから行ってみよう」とお願いする形で最初訪れました。

今では楽しみにしているようなので、カウンセリングについてどう思っているのか尋ねると、「(カウンセリングは)味方がいてくれるって気がする」という答えが返ってきて、そうか〜ほっこり、と嬉しくなりました。

カウンセラーの先生は穏やかで、優しい雰囲気の方です。
最初のカウンセリングの時に、娘が自分の気持ちを話すことが苦手なことを話しました。

すると、箱庭療法であったり、オセロを通して「遊ぶ」延長からカウンセリングをしてくださっています。

今では娘もだいぶ自分の気持ちを話せている気がします。



娘が不登校になってから、夫が優しくなったなあ、と思います。
本来優しいところがあるひとなのですが、前よりも優しさを感じるようになりました。

娘を気遣って夫が意識していることもあると思うのですが、娘のおかげで私も夫に協力を求めるようになり、自分の素直な気持ちを話すようになったのもひとつなのかな、と思ったりします。

以前の私は、「自分の責任は自分でとるから」、と他のひとの意見を聞きはするけど聴いてはなかったな、と思うようになりました。

娘の不登校という未知の世界を経験するなかで、色々な方の話を聞いたり、ブログを通して色んな方の経験談や想いに触れさせていただくなかで、「教えていただく」という感覚が湧いてきました。
今までどれだけ自信満々やったん、っていうにやり

齢41にして、「謙虚さ」という言葉の意味がやっとわかった気がします。


「私は、私」、「娘は、娘」という“【自分軸】を持つ大切さ”を思う気持ちは変わらないのですが、以前は我を張り、我を通すことが多かったのが、今は色んな違いや色んな考え方を知るのが楽しくて仕方ありませんニコニコ

そこに「自分の考え」は、いらなくて、ただ、「そうなんだ」と新鮮な驚きを味わうということの面白さ、心地よさを味わっています



彩ふ読書会の影響も大きいかな、と思います。

彩ふ読書会は、私が参加した当初に比べ、何十倍ものコミュニティになり、新しい参加者さんが日に日に増えています。

新しい方との出会いも増え、新しい価値観との出会いも増えました。

ヅカ部や特撮部といった、自分の引き出しにはない部が誕生し、ひとの多様性や、そこにハマる方々の面白さを知りました。

私は神社仏閣部の創立の声かけをしたのですが、そこから先日も旅行先で巡った神社仏閣の写真をシェアしてもらったり、「バーチャル○○」という、自分は行っていないけれど、行ったつもりになれる写真のシェアに楽しくなりました

私は夫が仕事の関係上休みがあまり取れず、私一人で旅行に出たりは夫が望まず、私もそこまでは熱意がないので旅行があまりできないのですが、ひとり旅を楽しまれるブロガーさんの記事を読んだりすると、「心にどこでもドアを持ってるみたいラブラブラブラブ」と、なんだかワクワクしますラブ

神社仏閣部の「バーチャル○○」のおかげで、どこでもドアが手に入ったみたいで、とても嬉しいですキラキラキラキラ


考え方をひとつ、と決めないのも、「どこでもドア」かな、と思います。
以前は、「信念を持たないとダメ」と思い過ぎて、それがかえって自分を縛り付け、窮屈にしていた気がします…。

自己啓発・ビジネス部では、自己啓発本、ビジネス書を月に一度メンバーの1人が課題本としてあげ、それを皆で読むという活動をしているのですが、自分では手に取らないような本をオススメされるのも楽しいです
実は今回、1月の課題本選定役を仰せつかり、課題本にするならアサーション系がいいな、と思っていたところ、部員の方からオススメされて「マンガでやさしくわかるアサーション」を手に取ったのでした。

改めてアサーションについて学ぶ機会を与えていただき、感謝キラキラですキラキラ


ブログを始めてアウトプットの楽しさを覚えて、だいぶアウトプットした感があるので、今はインプットがまた楽しくなり始めましたキラキラキラキラ



担任の先生とこの間お話できたときのように、色々なひとに助けを求めたり、お話を聴かせていただくことで、自分が知らない世界が広がるな、と感じました。
↓「見てる、知ってる、考えてる」と先生とお話できた話


新年から体調を崩し、色々考えるなか、「学校に行けない君へ」を読んだあとから自分が少し変わった気がします。
(この記事、多くの方に読んでいただけているようで嬉しく思います。ありがとうございます)

「学校に行きたくない君へ」


最近、日々、「知らなかった自分」に出会えるのが楽しいです


娘が不登校になったことで学びの機会や、新しい出会いをもらえています。

娘が苦しそうな状態からは脱し、自分も仕事を再開できたからでしょうか。

肩の力を抜いて、ゆるりゆるりと生活を楽しんでいる感じです

春に向け、色々慌ただしく動いていく日々なのですが、ゆるりゆるり春に向かって行けたらいいなあ、と思います


それでは、またニコニコ音譜音譜