学校に行きたくない君へ
大先輩たちが語る生き方のヒント。
(全国不登校新聞社 編)



新年になり、約2週間が経過しましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
仕事や学校も始まり、新年気分から日常の生活に入られているかと思います。

私は新年早々落ち込みがあり、アメブロも全く開かずでガーン、新年初の投稿です。

遅ばせながら、今年もよろしくお願い致します


新年一つ目の記事は、ガッツリ不登校記事です。
よろしければお付き合いください。

気持ちの整理のための近況の書き上げが長くなるので、まずは本のご紹介からさせていただきます。



今回ご紹介する本は、「不登校新聞」のインタビュー記事をまとめたものです。

「不登校新聞」は、1948年から「登校拒否を考える会」という親の会を、1985年からフリースクール「東京シャーレ」を開設された奥地圭子さんが始められたものです。

タブロイド版八頁だて、月二回発刊の「不登校新聞」の20周年を記念して、数あるインタビュー記事のなかから、20名の方のインタビュー記事が掲載されています。

樹木希林さん、羽生善治さん、辻村深月さん、荒木飛呂彦さん、宮本亜門さん、茂木健一郎さん、萩尾望都さんなど、錚々たるメンバーが名を連ねています。


印象に残った方のインタビュー記事を取り上げていきます。

まずは、樹木希林さん
インタビュー記事でも、なんとも言えない味があります。

夫・内田裕也さんについて、樹木希林さんが映画「神宮希林 わたしの神様」のなかで、「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話されていたことから樹木希林さんに取材申し込んだというところから話は始まります。

あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。お釈迦さんの弟子でダイバッタという人がいます。でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、「ダイバッタは自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。
 私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。
 今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、私がたくさんのダイバッタに出会ってきたからだと思います。もちろん私自身がダイバッタだったこともあります。ダイバッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人生に卑屈になるのではなく受け止め方を変える。
  自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうかね。


樹木希林さんは、いつも友だちがいなく、しゃべらないことで有名だった子ども時代や、女優を目指した理由、親として子育てをするなかで心がけていたことなどについてもインタビューのなかで語られています。



インタビュアーの方自身が不登校を経験しており、ありのままの自分を生きると決めたものの、どこかで将来の不安をぬぐえない部分もあるという話から荒木飛呂彦さんの「孤独」についての話をはじめとしたインタビューから引用です。


 私自身の話をすれば、マンガ家として一人でマンガを描いています。そうすると、「孤独に耐えねばならないとき」がかならずあるんです。たとえば、自分が自信を持って描いたストーリーが読者に受け入れられなかったとき、「何でだろう、世の中の人は何を考えているんだろう」と自信をなくし、「私は一人だ」という孤独感がさらに強まることもあります。そういうとき、音楽でも、芸術でも、天才と呼ばれるような先人たちの生き方や姿勢などに、勇気づけられることがあるんです。
(中略)
しかも、そこまでこだわって描いたからといって、かならずしも絵が売れるという保証はどこにもありません。でも、そうした確固たる意志だったり、信念に沿った行動が、私にとって励みになるんです。


『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部に出てくる吉良吉影に共感するとともに励まされたというインタビュアーの方の話から、『ジョジョ』への思いが語られます。

『ジョジョ』の登場人物というのは、主人公も敵役も、自分に自信を持って前向きに生きている人たちなんです。吉良吉影というのは、いわゆる、“殺人鬼”で、その生き方を自分でも否定していません。「それならそれで自分の幸せを追求しよう」と生きているんです。もちろん自分勝手な悪の論理ですから、社会的に受け入れられるものではありません。
 しかし、そういう人間模様を描写する、それが『ジョジョ』のねらいの一つなんです。一言で言えば、『ジョジョ』のテーマは「人間賛歌」なんです。私自身、主人公はもとより、敵役の「折れない心」を描いて勇気づけられることがありますし、そういった部分が読者の方にも響くんだと思います。




インタビュアーは、不登校を経験したひとがボランティアで行っており、「自分が話を聞きたいひと」をインタビュー候補に挙げ、インタビューをしています。

型にはまったインタビューではなく、聞きたいことを聞いているのがわかる記事で、どの記事も読み応えがあります。

柴田元幸さんの「小さい頃から、世界は筋が通らない場所だと思っていた」という考え方。

リリー・フランキーさんの【自尊心】についての考察。

西原理恵子さんの【家族】についての話。

田口トモロヲさんの「自分のハードルを下げる」という生き方。

臨済宗妙心寺派福聚寺住職・玄侑宗久さんの、「“揺らいでいい”という自覚を持つことが“無常という力”」という言葉と、「誰が正しいなんかよりも、それぞれのひとと“どう付き合えばいいか”」という言葉、「“あなたが学校に行こうと行くまいと、私の人生に何の関係があるの”という、ほとんど太陽のようなあり方をしていた方がいい」という言葉。


インタビューを受ける著名人の方のなかには不登校を経験していたり、また違った視点から不登校について述べられていて、色々な考え方に触れられる一冊です



ここからは近況で…。
下矢印
三学期に入りましたが、娘はまだ学校には行けていません。

冬休みの宿題は頑張って終わらせて、本人も「新学期から頑張る」と言っていたのですが、始業式に行けず、お休み。
私はPTAの会議に出席するため、学校に…。

翌日登校するつもりになったものの、朝からはしんどく、「給食から行く」と言っていましたが、まさかの嘔吐…。
前日から気分が悪いと言っていたので、体調的なものなのか、心因性なのかわからないまま、2日目お休み。

3日目は朝から行く意欲がなく、お休み。
私は進学予定の地区の中学校の説明会に…。

4日目、親子で意を決して昼から登校しようとしたところ、担任の先生がまさかのお休みで、その状態では…、とお休みしました。



自分の調子がいまひとつななか、娘の調子も上がらないまま小学校や中学校に行くことで、鬱々としてしまいました

娘を信じて自然に動き出せるのを待っているつもりでしたが、冬休みを挟み、学校に対しての気持ちが薄れているように感じられ、テレビやYouTubeを見て楽しそうにしている様子を見ると、娘から「学校に行く」ということが抜け落ちていっている気がしました。

「無理はさせたくない」「娘なら大丈夫」と思っていたはずなのですが、家の中だけで娘の生活が完結しているのを見ると、小学校6年生の娘の世界を広げる努力をしなくていいのかな、学ぶチャンスを失わせているのかな…、という迷いが出てきました。

ママ友のなかには高校受験を控えたお姉ちゃんがいる方もいて、受験に必要な内申点の話などを聞くと、娘の中学校での内申点はどうなるのかな…、と思ったりもしました。


フリースクールの見学に行く予定の日に娘が嘔吐してキャンセルしたので、説明を聞きに行けなかったのですが、取り寄せた資料によると、中学校でもスクーリングがあり、出席した日数は在籍する中学校の出席日数としてカウントされるとのことでした。

ただ、スクーリングの回数を増やすと費用もかかるわけで…。

自分の体調が万全でバリバリ働けるなら強気になれると思うのですが、現状そうではないので、不登校が続いても娘の将来に向けて親として十分なサポートができるのかと悲観的になっていました。

一応火曜日から学校に再度チャレンジ予定なのですが、18日から私が仕事を再開することもあり、どうなるかな、というところです。



娘の様子を見るために12月から仕事を休んでいましたが、自分を振り返る時間になりました。

しみじみ感じたのが、「自分は家事が好きじゃない」ということ…

仕事をしていないので時間があるはずなのですが、メリハリがつかず、ダラダラと過ごしてしまい、意欲も湧かないんだな、と思いました。

あと、今まで自分が傲慢だったのかな、と思いました。
娘はいわゆる「自慢の娘」で、今まで娘によって誇らしい気持ちにさせてもらうことが多く、親子関係もまずまずうまくいっているのかな、と思っていました。
ある意味驕っていたのかもしれません。


気持ちが弱るといつも、今は辞めた娘の習い事での出来事がふと思い起こされるのですが、その時のことや、不登校になってからの学校に対しての自分の発言を振り返っていました。

自分の正義感だったり、子育ての方針からの主張することが多かったのですが、協調性という面で、私がもう少し譲ったり柔らかい対応をしていれば、娘は辞めずに続けたんじゃないか、また、娘が学校に対する拒否感を訴える、ある意味頑なな部分に影響しているんじゃないか…。
そんな風に思ったりしました。

自分の気持ち優先で、謙虚さや、投げかけてもらえる言葉に対しての感謝の気持ちが足りなかったのではないかな…と反省していました。

子育てというものの奥深さを感じて、自分自身の子ども時代のわがままさを反省したり、自分を育て上げてくれた両親に対して尊敬の気持ちを抱いたりしました。



私は「不登校」を否定したくないとずっと思っています。

でも、「不登校」になることは、周囲から取り残されていくような気持ちになるんだなあ、としみじみ感じました。

卒業、入学という一般的には晴れやかに感じるものに対して、不安がつきまといました。

今まで感じたことがない気持ちで、今までいかに子育てで悩んでいなかったかを知りました。

考えてみれば、初めての子育てです。
今までは若く体力も気力もあって、生じる問題も自分の手の内に収まる範囲のものだったんだと思いました。

だから今までは強気でいられたのですが、経済的なことや娘の将来というものがどんどん迫ってきて、自分の手の内に収まりきれなくなっているんだな、と痛感しました。


うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。

うまくいかない時期をどう乗り切っていくかなのかな…、悲観的になるときもあるけれど、押しつぶされないようにするしかないんだな…、と思いました。


完璧主義なところがある私に、娘が課題として差し出してくれているのかな、と思います。



また、ポジティブに捉えようとするあまり、見たくない現実から目を背けていた部分もあるな、と振り返りました。

自分の想いとは違う言葉をはねつけていたところもあると思います。

「聴く耳を持っていなかった」のかもしれません。 
夫とも十分に話し合いができていなかったなと反省しました。

娘を裏切ることに思えるから、弱音を吐いたり、悲観的になるのは良くないことだという思いもありました。


年末にも少し書きましたが、娘を支えるために「理解ある親」でいたいという想いが思い込みになり、必要以上に背負いこんでしまっているんだな、と感じました。


「不登校」ビギナーだから、気持ちが揺れるのは仕方ないのかな…、と思ったりもします。

ただ、自分の感情のまま行動して、娘を振り回さないようにしないとな、と思いました。

立派な親を目指すことで苦しくなって、娘に不必要な苛立ちや言葉をぶつけてしまわないように。

視野が狭くならないように、色々なひとの言葉を聴いて。


娘にとって、どんな道を選ぶのが最適なのかわかりませんが、娘の気持ちを聴きながら、できるだけのことをするしかないし、自分自身もできることをするしかないのかな、と思います。

自分の気持ちのモヤモヤや不安の正体を色々考えて、少しスッキリしました



今年一年は、娘、私自身、家族全体にとって変化のある年かなあ、と思います。

昨年から不調な娘と私を見守りながら平常運転で生活してくれている夫に感謝です。

ちなみに、十日戎に家族で西宮神社に行き、御神籤を引いたのですが、人生初「大福」を引きました

なんでも、大吉の一つ上だそうで…びっくり

病気 すっかり治るの文字に小躍りしました
新年早々調子悪かっただけにねー


笑う門には福来るですねウシシウシシウシシ
最近しかめっ面が多かったので、笑顔爆笑、時には難しいですが、大切にしたいなと思います

娘が露店で買い求めた福飴。
飾るかと思いきや、帰るなりバリバリ食べておりましたがもぐもぐ


今年も長い記事から始めてしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございます


世間は三連休ですねほっこり
ご予定がある方も、お仕事の方も良い一日をお過ごしくださいニコニコ音譜音譜

それでは、またキラキラキラキラ