ののの@彩ふ読書会・午後の部のレポをお届けしたいと思います
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今回の課題本は、「星の王子さま」。
のののさんの選書のセンスはいつも素晴らしいなと、思います
かなり盛り上がったので、長文になります
一つの記事にまとめきれるかな…
⚠️最初にお断りしておきますが、長いです
いつも一時間程度で思いつくまま記事を書いているのですが、今回は珍しく構成も練りました
でも、参加者の方の意見交換をメインに書いているので、読み応えはあるのではないかと…
お時間がある時に読まれてみてください
午後の部では、不肖わたくしめが司会を担当させていただきました
参加者は、午前から続けて参加された方が3名で、そのほかの方は初参加の方ばかりでした。
のののさん、私を加え、合計15名での開催でした。
午前の部同様、自己紹介からスタートだったのですが、個性溢れる方々が参加されていました
のののさんと別の読書会でご一緒されていた方や、大学時代に「星の王子さま」を研究される方の講義を受けられた方、フランス🇫🇷から帰省中の方など……、自己紹介の時点でかなり盛り上がりました
「星の王子さま」は、作者のサン=テグジュペリ氏を連想させる、不時着したパイロットである主人公が、訳あって自分の星を出てきた王子さまと出会うところから物語が始まります。
王子さまが自分の星を出てから出会ったひとや、王子さまの星について話しながら二人は絆を深めていきます。
二人の間で哲学的な会話が交わされるのですが、物語のどこに注目するかによって、抱く印象が変わる奥深い作品です。
王子さまが地球にたどり着くまでに訪ねた六つの星と、その星の住人。
王子さまが地球で出会ったキツネ。
王子さまが自分の星に残してきた薔薇。
これらが注目される存在です。
なかでも、参加者の多くの方が印象的な場面として挙げられたのがキツネとのシーンでした。
「星の王子さま」は、内藤濯さんをはじめ、河野万里子さん、谷川かおるさん、池澤夏樹さんなど多くの方が訳されています。
私の手元にあるのが内藤濯さんの訳のものなので、内藤濯さん訳でのキツネの台詞を抜粋していきます。
(以下、印以下は参加者の方のご感想を意訳しています。)
🦊「人間ってやつぁ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ。あきんどの店で、できあいの品物を買ってるんだがね。友だちを売りものにしているあきんどなんて、ありゃしないんだから、人間のやつ、いまじゃ、友だちなんか持ってやしないんだ。あんたが友だちがほしいなら、俺と仲よくするんだな」
🦊「しんぼうが大事だよ。最初は、おれからすこしはなれて、こんなふうに、草の中にすわるんだ。おれは、あんたをちょいちょい横目でみる。あんたは、なんにもいわない。それも、ことばっていうやつが、勘ちがいのもとだからだよ。一日一日とたってゆくうちにゃ、あんたは、だんだんと近いところへきて、すわれるようになるんだ…」
🦊「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ。バラの花との約束をね……」
王子さまがキツネと会話して知ることがたくさんあったように、参加者の方々も気付かされることがあった、と印象的な台詞を読み上げていただきました。
言葉が時には妨げになることがあるのだと感じた。
“人間には時間がなさすぎている”ということは自分の生活を振り返っても感じる。
王子さまは地球を訪れる前に六つの星に訪れています。
その星の住人である、王さま・うぬぼれ男・呑み助・実業家・点燈夫・地理学者の順に王子さまは出会います。
【実業家の星】では、数字を追うことを大切にしています。
それは、現代社会で仕事をする上で業績をあげようと数字を追いながら生活をする姿に重なります。
実業家が大切にしている「数字」が、王子さまには理解できません。
この【実業家】について、参加者の方々から意見が出ました。
実業家は自分の利益をあげることに価値を見出しているけれど、王子さまが大切にしているのは「周りのもののお世話をすること」だから理解できないのではないか。
会社で働く上では数字を追うことは大切だけれど、会社という場を離れたとき、【ひとりの人間】になる。
【ひとりの人間】としてどうあるのか、を考えることも大切だと思う。
現代社会を生きるということは、数字を追うということだ。
「星の王子さま」では、大人が失ってしまったことについて語られているけれど、逆にこどもは持っていないけれど、大人は持っているものもあるのではないか。
こどもの時は、同じ価値観にばかり触れている。
違う価値観に触れるということも大切なことで、その時共通の物差しとなるのが「数字」なのではないか?
「数字」もコミュニケーションツールとして必要なものだ。
「数字」というものは何かを評価するのに手軽なものではあるけれど、数値に表れないものもあると思う。
例えば大手の塾は、入塾者数や進学者数を塾の実績としてだすけれど、入塾者が多くいる反面、退塾者もいる。
生徒数としては、入塾者−退塾者が表に出るものなので、プラスの人数がマイナスの人数を上回った場合、そのマイナス部分は数値には表れないから見逃される。
【地理学者】は、自分で直接何かを見に行く、ということはしません。
探検家達が見聞きしてきたものをまとめます。
海を見に行ったりすることはないので、自分の星に実際海があるのかどうか、地理学者は知らないと言います。
ただ、「海がある」という“証拠”となるものを持ってくる、提供する情報が確かだと思われる探検家の話を聞き、海があると書き記します。
また、記録として残すのは、永く時間がたっても変わらずそこに存在すると考えられものだけで、例えば王子さまが星に残してきた“はかない”薔薇のようなものは記録の対象にはなりません。
この地理学者が印象に残った方もおられました。
地理学者は、机上の空論を言っているだけではないか。
地理学者にも、何かをまとめて残す、という役割がある。
探検家の役割、地理学者の役割というものがあり、地理学者にも存在意義はある。
訪れた星の住人のうち、【点燈夫】に対しては、王子さまは好意を感じています。
その理由として参加者の方は次のように推測されました。
王子さまが点燈夫に共感を覚えるのは、点燈夫が『自分自身以外のことに一生懸命になっている』からではないか。
点燈夫は、自分の仕事を全うしようとし、自分の仕事を大切にしている。その点に王子さまは共感を覚えたのではないか。
王子さまが星に残してきた薔薇については次のような意見がでました。
王子さまは、地球でも自分の星の薔薇と姿形が似た薔薇に出会うけれど、その出会いにより自分の星に残してきた薔薇が“かけがえのないもの”だと気付いた。
“愛すること”って一体どういうことなんだろう、と思った。
薔薇は口煩い存在のように時に描かれているが、薔薇は、サン=テグジュペリ氏にとっての親友・レオンを想定して描かれたものではないか。
「星の王子さま」は、前書きも印象的です。
サン=テグジュペリ氏は、この物語を親友・レオンに捧げる旨を前書きに残されています。
その意味は、この作品が書かれた時代背景や、親友レオンがユダヤ人であったこと、サン=テグジュペリ氏が亡命している、ということを踏まえるとより胸に響くものとして伝わってきます。
王子さまは、自分の星を置いて出てきて、残してきた薔薇を気にしている。
それは、亡命した自分を王子さま、残してきた薔薇を友人に喩え、サン=テグジュペリ自身の思いがそこにのせられているのではないか。
王子さまが地球で迎える結末は、「ヘビに自分を噛ませる」というものでした。
この結末に対しても、様々な意見が出ました。
王子さまは、自分のからだが重いから置いていくためにヘビに噛ませる、というけれど、地球に来るまでに多くの星を巡っている。
それを考えると、ヘビに噛ませる必要性がわからない。
今までは移動できていたのになぜ?と思う。
物語に統合性がないように感じる。
その意見に対し、解答のように出された意見もありました。
王子さまは主人公が知り合った友だちのように描かれているけれど、実は主人公にとって、 『過去の自分』の象徴なのではないか。
地球に辿りつくまでに訪れてきた星は、【過去】の象徴で、過去には戻れないから、王子さまはヘビに自分を噛ませる必要があったのではないか。
「星の王子さま」の物語に共感を覚えるひとが多いのは、読むひとそれぞれが、王子さまが訪れた星の数々で“理解できない人物に出会う”ことが子どもの時の経験に重なったり、キツネとの会話にしても、何かしら自分の経験や記憶を呼び起こすものだからではないか。
最終的な、この物語のメッセージについても様々な意見が出ました。
キツネが言う、【絆を持つ責任】の、“責任”てなんなんだろう?
この問いに対し、私が思う“ひとと関わる責任”について、意見を出させていただきました。
私は、ひとに関わる責任とは、
“最後まで関わること” だと思っています。
だからこそ、自分が背負えないと感じた責任については背負わないようにしています。
転職についての結論もそこに起因していて、
“投げ出すくらいなら、最初から関わらない。中途半端に関わることは、ひとを傷つけることになる”と思っています。
そして、自分が持っている一番の責任は、“娘を養育すること”だと思っています。
でも、その責任は、私にとって、“責任を持たせてもらう喜び”を感じさせてもらえるものでもあります。
ニュースなどで、娘を失うことを想像するような内容の事件を観ると、娘を失う怖さを感じます。
娘の世話ができることは、たとえ困らされることがあったとしても、世話をできるという現実が、幸せなことなのです。
この“責任”を「義務」と感じたとき、責任を持つことに対して、しんどさを覚えるのかもしれない、と思います。
それは、前に記事にした、「わたし おかあさんだから」から感じるしんどさ、に繋がるものです。
私は、娘の親になれたことが自分の人生における最大の幸せだと感じていて、そう思える自分は幸せなんだろうなあ、と思います
そう思わせてくれる娘に感謝ですし、娘に出逢わせてくれるきっかけをくれた夫にも感謝しています。
読書会ではここまで言えなかったのですが、そのことを改めて再認識させてもらえて、今回の読書会は私にとって特別なものになった気がします
他の方の“責任”に対する答えはこんなものがありました。
“責任”というのは、「一緒にいる時間をつくる」ことだと思う。
関わった相手が、“生き生きとしていられる”ことが、ひとと関わる責任だと思う。
そして、それが自分の喜びだったり、自分のためになると思う。
この方のご意見は、ひとと関わることにとても誠実な、優しい意見だなあ、と思いました
ほかに印象的な意見として、挿絵についてがありました。
「星の王子さま」で使われている絵は、作者であるサン=テグジュペリ氏自ら描かれたものです。
フランス的な、印象的な絵だなあ、と子どもの頃から思っていた。
そう仰るのがよくわかります
「星の王子さま」は、子どもの頃になんとなく読んだ記憶がある、という方も多い作品だと思います。
面白いな、と思ったご意見がありました
子どもの時に読んだ時は、大人目線で書かれてるこの作品がシャクに触った。
わかる気がします
大人に何がわかるねん、って思った経験、皆さまもないですか?
でも、この方は、次のようにも言われています。
でも、今読み返すとすごく胸に響く。この物語の良さがわかる、というのは、自分が大人になった証拠なのかな、と思う。
この、「大人になったからこそわかる良さ」が、「星の王子さま」の最大の魅力であり、名作とされる所以なのかもしれないな、と思います。
他にもこんなご意見が
王子さまが最後に出した結論に、「なぜ?」と思ったし、他に終わり方はなかったのかと思った。
サン=テグジュペリ氏は、長時間一人で飛行機を操縦することが多かった。
だから、色々なことを考えたんだと思う。
そして、「子ども時代のことを忘れずにいて、【子どもの部分を持ったひと】だったんだと思う。
このご意見を出された方は、フランス文学者で「星の王子さま」を研究されている稲垣直樹さんの講義を学生時代に受けられたことがあるとおっしゃっていました。
稲垣直樹さんは、「星の王子さま」に関して考察された著書を執筆されているそうなので、より深く「星の王子さま」について考えたい方は読まれてみてもいいのではないでしょうか
「大人目線」、「子ども目線」という意味で、参加者の方のうち、 大学院生と、今年学生から社会人になられる男性お二人がおられたので、どちらの視点も持っておられるのではないかと思い、最後に意見をお伺いしました
予想以上に、いい締めをしてくださいましたよ〜
最近の若い方、優秀な方が多いなあ、と20代の方とお話しすると思います
時代ですかね〜私、同じ歳の頃、そんなこと考えてなかったよ!と、自分の若い友人と話していても、いつもびっくりして刺激を受けます
責任をもつ、ということは大変なことなのか?と考えた。
仲良くなる、ということは、責任をもつことになるから、しんどさを伴うことでもある。
最近は、SNSが発達して簡単にひとと繋がることができる一方で、簡単に繋がってしまえるゆえにひととの繋がりが薄くなってしまっている部分もあると思う。
ひとりぼっち、を選択することもできる。
でも、ひととの繋がりを持っている限り、「子どもらしさ(自分らしさ)」を持っていられるのではないか。
参加者の皆様が、おーと唸った意見で時間もちょうど終了のお時間となりました
…長かったですね
最後までお読みいただき、ありがとうございます
私はまとめていて、ひたすら楽しかったです
私のなかで、一つだけ残念というか、リクエストしたかったのが、フランス在住の方に、原書を朗読していただきたかった…ということです。
日本語訳を様々な方がされていて、翻訳ならではの良さもあるのですが、作者のサン=テグジュペリ自身が紡いだ言葉と、フランス語の響きを堪能してみたかった〜
贅沢なリクエストですねっ
いえ、これはワガママに近いものなので
本当に、十分すぎる満足感でした
課題本形式の読書会は、のののさんも言っておられますが、同じ本を読んでも違う印象を受けることを知り、それを共有することで更に深みのある読み方や本の魅力を味わえるものです
次回の課題本は、「銀河鉄道の夜」ですよ〜
最後までお付き合いありがとうございます
皆さま、良い1日をお過ごしください
私は今日も仕事頑張ります
でも、半日だから、午後からはやりたいことをやるぞ〜
ではでは