あけましておめでとうございます。
今年も元気にいろんなライブ・舞台を見に飛び回る楽しい年にしたいと思います!そんなにフットワーク軽いタイプじゃないですが。
さて今年初観劇はエムキチビートさんの「赫い月」。
すっかりストレートプレイにもハマっており、カンフェティで舞台を探していてメインビジュアルに目を引かれての選択でした。
今回は公式ページも見ず、あらすじもふわっとしたものしか読まず予習ほぼなしで観てきました。
■あらすじ(公式より拝借しました)
1945年8月、太平洋戦争末期。
玉音放送が放送される前夜、クーデターが起きる。
若い陸軍の将校たちは皇居を占拠し、玉音放送の放送を阻止して終戦を阻止しようとした。
彼らは口を揃えて「赫い月」を目指すのだといった。
そこに祖父が居たという物語。
祖父は続ける。
今も大切な仲間が二重橋の先で、何かを待っているのだと。
二重橋の先、板下門の手前、そこは赤い月が昇っている場所。
彼らはずっと待っている。
何を待ているのかも忘れるほど疲れ果てて、絶望して、希望して、待ち続けているのだという。
何かを―――
話を続ける祖父の話と、待ち続ける二人の妄想が交錯していく。
どこまでが真実で、どこまでが妄想なのか。
たった70年前の微熱の世界。
戦場を、皇居を、大切な時間を走り回った青年たちの物語。
終戦前夜のクーデター宮城事件を元に、「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした舞台。ゴドー観たことないですが…
まずステージそのものが、前後左右に傾いており、天井とつながっている白い布に覆われいて、非現実というか足元が揺らぐというか、リアリティを主とした舞台ではないんだなあと思わされました。いい意味で。
一番初めは二人が誰かを待っていて、それが現実のことだと思っていたんですが、最後の最後でそれがあの世だと分かるっていう。
現実と空想(妄想)をふらふらとしているのが、全てが終わってから分かるんですよ。
この妄想って言葉が、セリフではいいニュアンスを帯びて使われていて、これは当時もそうだったのかな。
サチコさんは妄想の産物なのに、彼女への初恋を今でもひきずっているトウゴは認知症だからなのか、昔から真実だと信じていたのか。
赫い月は禍々しいイメージがあるけど、それが希望として彼らが認識しているのがすごく不思議でした。
月まで歩いて行くには4672年?かかるというセリフがあって、最後に「もう70年歩いてきました」の答えが「じゃああと4602年ですね」というもので、すごく鳥肌が立ちました。
そうかこれからもまだ歩いていかないといけないのか……
事件は終わったけど終わっていなくて、待っている二人はまだ待たないといけないのか……
玉音盤を探している最中がちょっと漫然としているかなーと思いましたが、実際待っている彼らにはその時間が流れるのが遅く感じたのだろうから、きっと私の感じ方は正解なんだろうなと思ったり。
舞台全体を通してずっと流れている、全てが判然としない雰囲気がすごく好きな感じでした。
彼らがある意味自分たちに酔っている雰囲気なんだろうな…
表に出ていない役者さんがステージの脇に座っているのがメタっぽい感じでもあり。
話に出てくる宇宙飛行士が、直接役者さんに絡むでもなくただフラフラと舞台や客席を歩いていたり。
終わって時間が経ってから咀嚼して、もう一度最初から見たい舞台でした。
登場人物がほとんど軍人ということもあり、声を張っての演技が多く、聞きなれない単語が頻出することもありちょっとセリフを捉えづらいところがあったのが残念。
あとアスカが、現在と過去を行き来させる聞き手としての存在なのは分かるんですが、子供が出来ないくだりの意味がまだ理解できない…
「愛してる」って電話口で言うのも。それまでの会話で相手が彼氏なことは分かるので、日本人があんまり言わないこのワードは必要だったのかな?と。
それとも最近の人は皆言うんですかね…私が言わないだけですかね…
プロジェクションマッピング(かな?)を使った演出がカッコよかったです。
最初の皆でセリフを斉唱する場面も、彼らの勢いと純粋な意思が強く感じられる映像でした。
掴みきれない部分が結構ありましたが、結局最後にはぐすぐす言わされた舞台だったので、この劇団の他の作品も観てみたいなー!
覚書として紹介記事。
エムキチビート3年ぶりの新作「赫い月」に主演・秋元龍太朗が手応え - ステージナタリー
秋元龍太朗主演!エムキチビート3年ぶりの新作『赫い月』ゲネプロレポート | エンタステージ