何につけても、出し惜しみせず、

見返りを気にせずに

ただただ、出来得る何かを提供し続けると

必ず形となる。


それは、人間関係やご縁であり、

心であり、愛であり、

金銭であり

色々に及ぶ。


これらは、

私が体験し、学んでいる事。

 

この出し惜しみなくと言う

価値観の原点は、実の父から。

こねくり回さず

シンプルに継続するのは母から。


底なし沼の様に優しい父は、

いつも

「出し惜しみせんと、

損得抜きに、人にはやってあげたいと

思うだけやればいい」

「何かをしてやろうと思う事に、

後で何かをして貰おうと思ってするなら

辞めておけ」と言って 

見返りを求めた愛じゃなく

自分の注げるものは惜しみなく。

という人だから

幼い頃から、

常に私を肯定してくれたし、

極上の優しさを与えてくれた。

父から、頭ごなしに否定された記憶が無い。

 

母は、

楽天的にいつも前向きさを添えて

引き立ててくれた。

姉は、献身的に深い深い愛情いっぱいで

サポートしてくれた。


嫁いでからも、

義理の両親には、あり得ないぐらいに

私の好物を覚えて貰え、一番先にに用意して貰えていたり、

とにかく大切に扱って頂いた。

 

全て、優しい世界という環境から

気づき学ばせて貰えていた。


この受け止め方に辿り着くまで

色々やさぐれた時期もあり、今に至る。ですが、

本当にありがたいことです。

 

もちろん、

一人の頑張りだけでは成し得ない、

側にいてくれる人々の愛に触れ、

その想いの中で成長し、

自分のハートで感じた分を鼓動でキャッチし、

感動が情熱となり

又、循環を呼ぶんだと思う。

沢山の人に触れさせてもらえたお陰で、

わかる色々があるっ。

 

本当に色々な形の愛があるんだよね。


私が分かった気になっていた

「愛」と言うものが

良い意味で心地よく

あらゆる感謝を伴い、変化してゆく。


離婚後に気づけた事には

素晴らしい意味がありすぎる〜笑

と思います!


受け取ることに

意味を付けなくていいね。とか

素直に受け止めるだけでいいんだね。って

 

私なりの価値観やこれまでの経験を通して

ようやく気付けて来た。

 

何事も受け身でいた時代、

犠牲的なまでに優しさや愛を注ぐことが、

自滅を招くことも経験した。


そんな中で、

自分の本質は・・・

そもそも、

人に奉仕的に何かをするのが

大好きだと言うこと。

その先に【循環】【共存共栄】することしか

意識が向かないこと。

(淀んだ水ではなく澄んだ心地よい、

一白水星だから??w)


出し惜しみしないと言う事には

自分の素を

そのまま出している行為行動に繋がっている。


自分が楽に生きていると

どんどん腑に落ちる。


人は経験の数だけ

他者を理解出来ると言われるのも

しっくり来る。


そんな風に感じる。