夏休みですね☀

最近は暑いし
幼稚園は半日保育だしで、

昼御飯必須の日々です。

いつもリオがいるから
作らないことはないのだけれど、
野菜帳尻あわせのメニューだったり
朝ごはんに食べなかった分で補っていたり
意外と適当で。

私自身も食べてるのか食べていないのか微妙なレベル。


でもタツキがいるとそうはいかない。


朝もガッツリ。昼もしっかり。

成長期の男子は適当な飯じゃ満足しないのです。


そうなると出番が多くなるのは麺類なのですが

お野菜も一緒に食べてほしい母の選択肢は
冷やし中華に片寄るわけです。


しかもタツキもリオも大好きだから。
(リオは卵焼きとトマトと麺しか食べないけど)


あの酸味のあるしょうゆ味が最高なんだとか。



今週は2回作ったな~


でも私、どうやら冷やし中華が苦手みたいなんです。


食べると、なんか、込み上げてきちゃう。

味は大好きだし、具も大好き。
今まで好きだと思っていました。


でもどうやら、食べるとイライラするんです。
そして

食べたいのに苦しくなっちゃって
途中で食べたくなくなっちゃう。


実はタツキが1歳の頃からそういう症状が出ていて、
何でだろうとずっと考えていました。


食べたくなるのに

食べるとイライラしちゃう。

食べられるはずなのに
食べたくなくなる。



おかしいな。

なんでだろう。


今週のはじめ、
残してしまった冷やし中華を処理しながら
よく考えてみました。


そしたら

ひとつだけ考えられる原因がありました。



それは私が7歳か8歳の頃の記憶。

夏で、
冷やし中華を母が作ってくれたある日の記憶。


母が台所で作ったものを私が運び、
テーブルにお皿をおいている光景。



その日は何日間かお昼に冷やし中華が続いた日で。

当時の冷やし中華は乾麺の物で今のような生麺ではなくて
イメージするなら
インスタントラーメンの冷たい物って感じのやつで。

しかもあまり具の種類がなくて
きゅうりと卵焼きだけだったり
時々何も乗っていなかったりして。
(母は肉が好きじゃない)

私はそれがあんまり好きじゃなくて
きっと不満を漏らしたんでしょうね。
母は「じゃあ食べなくて良い」とか「自分で作れ」とか
なんか言われた記憶があるんです。

そして母はすごくイライラしていて。
イライラしながら食べていました。


仕方なく食べる
好きじゃない乾麺の冷やし中華は
当然ですが
美味しくなくて、
ただスープの酸味がやたら強くて
いまでも味が思い出せるくらい
鮮明に印象に残っています。



あれから年月がたち


今の立場になって思うと



母は

昼御飯を作ることが
相当しんどかったんだろうな、と。


そして
夏休みで、私が毎日家にいることと暑さとで
イライラがピークだったんだ、と。

まあ、他にもイライラの原因があったのかもしれないですが。

でも
子供にとっては
夏休みだからずっと家にいて
親に迷惑かけようとか思っている訳じゃなく
ただ自分の家にいるだけだから

そういう時期だから
仕方ない訳で。


それ以外の選択肢がないから
そうしているわけだから、しょうがない。



しかし
7歳の私には
きっと辛い嫌な出来事だったんでしょう。
母がイライラしていることは日常茶飯事だったから
なんとも思っていなかったはずなのに

無意識に

その母のイライラと冷やし中華の酸味が
味覚に記憶として刷り込まれてしまったのでしょうね。


食べたくなるのに
食べるとイライラして食べられなくなる。

それほど

家という狭い世界で
母という存在に刷り込まれた記憶は
人に、人体に影響するのだと


改めて考えさせられました。



親の行動の影響は大きい。
親が与えた物の影響も大きい。

小さいうちは
親が全てで
家こそが世界。


たとえば
あの夏の日の数時間後か次の日までに
何かフォローされていたなら
ここまでひきずることはなかったのかもしれない。

でも残念ながら
あの冷やし中華は何年間か続きました。


私が台所で食事を自由に作れるようになる
小学校中学年位まで。



私はメインの具が足りない冷やし中華は絶対に作りません。

なぜかはわからないけど
これが冷やし中華という料理と
子供に教えて好きキライさせないためだと思っていましたが

そのこだわりのルーツは
もしかしたらこの出来事があったからだったのかもしれません。


これが解決できてから
私の冷やし中華は酸味が一切無い
ゴマだれにすることにした。


ゴマだれにしたら全部食べられて

ちょっと感動でした。



無意識の子供の頃の記憶。


そういうものが
子供を育てていくなかで思い出されていく。

小さな自分が苦しんでいることを
大人の自分が補って治してあげる。


そうすることで
そのあとの人生を
少し楽に生きられる。

そういうこともあるのだと
体感した一件でした。


夏休みが始まりましたが

できるだけ家族にイライラしないで
楽しく過ごしたい。

そんな気持ちを込めて
自分自身への戒めとして
記録に残しておこうと思います。