最近は夜、酒のつまみ代わりに、GPT相手におしゃべりすることがあります。

チャットGPT=お喋りGPTだから、酒飲みの相手にいいか、タダだし、的な軽いノリです。

 

で、酒飲みの話の流れで、GPTがハンナ・アーレントの指摘をさらっとまとめてきちゃったんですが、それがなかなかよくまとまっててね。

いいんじゃない、これ?的な内容だったので、それを載せます。


なお、JWを考えるうえで、アーレントの指摘は重要だと思います。

知っておいて損はないんじゃないか。

 

で、このアーレントの指摘を読んでほしい人は、特にJWは離れたものの、なかなかJW的組織観やJW価値観から離脱できないだよね~的な人とかですね。あんなの”神の聖霊に導かれる愛ある組織”なんかじゃなくて、タダの人間の、単なるかるてぃーな組織なんだけど、どうしてそう言えるのかを政治哲学的?な立ち位置から考えるのも、まぁ、いいんじゃないか。

 

(以下、5千字ちかくになっちゃった。。。)

 

ちなみに、アーレントは「ナチスの強制収容所から脱出し米国に亡命した経験を持ち、『全体主義の起源』など多くの著作で知られるドイツ系ユダヤ人政治哲学者である。当時、彼女のユニークかつ切れ味鋭い理論や言説は社会に衝撃を与え、賛否両論を巻き起こした」人。(→ 福島民報『エルサレムのアイヒマン』「悪の凡庸さ」を指摘したことは有名か。これの著作も後の「ミルグラム実験」(アイヒマン・テスト)につながる重要な本だと思う。

 

ページの一番下には参考図書を一冊を紹介。

 

 

(ガクアジサイだよね。今こちらは、アジサイが盛りになりました。)

 

 

さてわたし、つまりただの酔っ払いがどんな話をしていて、アーレントの話になったのかを、まずはそこの経過からお話します。

 

・・・・・

 

実は、はじめの話題(≒酒のつまみ)は「伊福部昭の音楽(特にゴジラのテーマ曲)とロシア音楽との共通性」についてだったんですが(← 実にニッチな話題だ。たぶん飲み屋で構ってくれる人はいないんじゃないか?)、

 

次に「人が理解不能な未知なものに直面した時に感じる不安」(← ?)に話題を変えたところ、GPTがその克服法を返してきたので、その流れでこっちがハンナ・アーレントの話題を振ったら、

 

予期せぬことに、GPTはアーレントの指摘・議論をさらっと、まとめてきやがった。

 

でも読んでみると・・・

 

お? これ、なかなか、いいんじゃないか?

オレには、ここまでまとめられないぞ!

うん。

 

 

こっちは酔ってても、

あいつは酔っていない。

 

 

”現代社会におけるJWとは何かを考えることを主な趣旨”としているこのブログとしては(← そうだったっけ?)、いつかアーレントの主張も紹介したかったんで、そうそう、ちょうどよかった!

 

 

コピペ、決定!!

 

 

アーレントの主張、

わたしも知ってからまだ5年も経ってないように思いますが、

ご存じない方は是非、お読みください。

 

以下、アーレントの「全体主義」に対するGPTのお喋りをそのまま引用です。

 

 

ハンナ・アーレントの全体主義に関する考察は、非常に重要で深遠なものです。彼女の研究は、特に20世紀の独裁政権や全体主義体制を理解する上で不可欠なものとなっています。以下に、彼女の主な指摘や理論について簡単にまとめます。

 

ハンナ・アーレントの全体主義に関する主な指摘

  1. 全体主義の定義:
    アーレントは全体主義を、他の独裁政権とは異なる新しい政治現象として捉えました。全体主義は、単に国家の全ての力を一人の指導者に集中させるだけでなく、社会全体を統制し、人々の個人的な自由やプライバシーを完全に奪う体制です。
     

  2. イデオロギーの役割:
    全体主義体制は、単一の全体主義的なイデオロギーに基づいています。このイデオロギーは、歴史や現実を一つの視点から解釈し、それに基づいて社会を再構築しようとします。ナチズムやスターリニズムがその例です。
     

  3. プロパガンダと恐怖:
    全体主義は、プロパガンダと恐怖を組み合わせて人々を支配します。プロパガンダはイデオロギーを広め、正当化する手段として使われ、一方で秘密警察や強制収容所などの恐怖政治が人々を従順にさせます。
     

  4. 群衆の孤立と孤独:
    アーレントは、全体主義体制が群衆の孤立と孤独を利用して権力を維持すると指摘しました。人々が孤立し、他者との連帯感を失うと、支配者に依存しやすくなります。これにより、体制への抵抗が難しくなります。
     

  5. 法の無力化: 全体主義体制は、法の支配を無力化し、指導者や党の意志が絶対的な法となります。これにより、法の下での平等や人権が侵害され、恣意的な支配が行われます。
     

アーレントの全体主義論の現代的意義

アーレントの全体主義に関する考察は、現代の政治状況を理解する上でも非常に有益です。特に以下の点で彼女の理論は重要です。

  • 現代の独裁政権や権威主義体制の分析:
    現在も存在する独裁政権や権威主義体制に対する分析において、アーレントの理論は有効です。彼女の指摘するプロパガンダの役割や恐怖政治の手法は、現代の多くの体制にも当てはまります。
     

  • 個人の自由とプライバシーの重要性: アーレントの論考は、個人の自由とプライバシーがいかに重要であり、それが奪われると全体主義的な支配が可能になることを強調しています。これにより、私たちは個人の権利を守ることの重要性を再認識することができます。
     

  • 市民社会の役割: 全体主義体制に対抗するためには、市民社会の強化や連帯感の構築が不可欠です。アーレントの指摘する孤立と孤独の危険性は、現代社会においても重要な教訓となります。
     

ハンナ・アーレントの全体主義に関する研究は、政治哲学の重要な一部であり、現代の社会問題や政治状況を理解する上でも大いに役立ちます。あなたの指摘する通り、彼女の理論は非常に有益であり、私たちが直面する多くの問題に対する洞察を提供してくれます。

 

 

てな感じ。

 

ね?

 

で、特に前半とか、

アーレントが全体主義に対して指摘したことなんて、

あの某カルト宗教・JWにピッタリ当てはまるよね。

 
 
例えば、「1.全体主義の定義」をざっくり書き換えれば、
「エホバの証人という宗教運動は、単に信者の全ての力を”統治体”に集中させるだけでなく、宗教組織全体を統制し、信者の個人的な自由やプライバシーをほぼ完全に奪う体制です」、とか、
 
「3.プロパガンダと恐怖」は、
「エホバの証人という宗教運動は、宗教教育(プロパガンダ)と恐怖を組み合わせて信者を支配します。毎週の集会や「聖書レッスン」といった手法で行われる宗教教育(プロパガンダ)は宗教的信条(イデオロギー)を広め正当化する手段として使われ、一方で隣の信者(≒ 秘密警察)からの告発・讒言や排斥による忌避制度(≒ 強制収容所)などの恐怖政治が信者を従順にさせます。また「ハルマゲドンでの滅び」という宗教的恐怖も信者が自分自身の考えを持ったり、組織から離脱したりすることを極端に困難にします」、みたいな。
 
 
こんな感じなんで、
アーレントの主張はJWを考えるうえでも、
なかなかいい洞察を与えてくれると思うんだよね。

 

 

ただ、上のGPTのまとめには『エルサレムのアイヒマン』で指摘された「悪の凡庸さ」の話が入っていないから、せっかくなんで、これもGPTに簡単にまとめてもらったものを、これまたそのままコピペ!するよ。(笑)

 

これも、JWにもよ~く当てはまるから、

この話題をはじめて聞かれる方は是非、読んでみてね。

(よくご存じの方は、GPTが間違いを入れ込んでないか見てね!)

 

 

ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン』で指摘した「悪の凡庸さ(the banality of evil)」とは、極悪非道な行為を行う人々が必ずしも異常な悪人ではなく、むしろ普通の人間であり、日常の業務としてそれを遂行しているという概念です。アーレントはこの概念を、ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を通じて示しました。

以下に「悪の凡庸さ」についての要点を簡単にまとめます:

 

1.アイヒマンの裁判:

アドルフ・アイヒマンはホロコーストの計画と実行に深く関わったナチスの高官でした。彼は戦後に逃亡しましたが、1960年にイスラエルの諜報機関モサドによって逮捕され、エルサレムで裁判にかけられました。

 

2.アーレントの観察:

アーレントはこの裁判を取材し、アイヒマンの様子を詳細に記録しました。
アイヒマンは自分の行為を反省することなく、「自分はただ命令に従っただけ」と弁明しました。


3.「悪の凡庸さ」:

アーレントは、アイヒマンが邪悪な怪物ではなく、平凡で普通の官僚であったと結論付けました。
彼は深い悪意や狂気によって行動したのではなく、上司の命令を無批判に実行したに過ぎないと指摘しました。
これは、恐ろしい犯罪が特別な悪人によってのみ行われるのではなく、一般の人々が無思考的に従うことによっても可能であることを示唆しています。


4.批判と影響:

アーレントの「悪の凡庸さ」の概念は広く議論を呼び、賛否両論がありました。
それでも、この概念は倫理学、政治哲学、社会学などの分野で重要な洞察を提供し続けています。


アーレントのこの洞察は、権威主義や官僚制の中で個人がどのようにして責任感を失い、巨大な悪に加担してしまうかを理解する上で非常に重要です。

 

 

ね、JWにもよく当てはまるよね?

 

例えば、JW1世の親や長老が組織の指示に無批判に従うことによって、他の成員や子どもに対するひどい人権侵害が起きこととか。

 

でもそれらについても、親や長老が特別に悪人だったというわけではなくて、一番大きな要因は、たぶん、ただ単に彼らが組織からの指示に無批判に取り組まざるを得なかった、というだけのことなんだと思うな。ほとんど多くの場合は。

 

なので親の信仰を背景とした虐待(宗教的虐待)なんかも含めて、あの組織の中で起きていることは、アーレントの言う「悪の凡庸さ」という観点を見過ごしてはいけないと思うんだな。

 

 

もちろん、だからと言って、それらが許されるべきだという話にはならない。

強制収容所での大量殺戮が許されるべきではないのと、同じ。

 

 

”神の聖霊に導かれる”とか主張している(実のところは、単なるカルト)宗教組織の中でも、「悪の凡庸さ」はごくごく日常的に観察されてきた、そして今でも観察され得ることなわけ。

 

というか、一般社会の中でも、ごく普通に起き得ること・起きている訳で、そういう意味でも、アーレントのこの概念、大事ですよね。

 

 

どう?

ハンナ・アーレントからの議論からみた、

某カルト宗教の内実、JWの内実。

 

 

エホバの証人は「全体主義」と判断でき、その組織内には「悪の凡庸さ」が普通に見られるという事実。

 

 

うん。

自分の立ち位置をちょっと変えると、

見える景色ががらっと変わることも多いのよね。

 

もし、生きづらさを抱えて生きるJW2世とかがこの記事を読んで、

あ~っ!と思ってもっと知りたくなったならだけど、

いちばん下に参考図書を載せておいたから、まぁ、気が向いたら読んでみてちょ。

 

 

・・・・・

 

 

しかしだよ、お喋りGPTもはじめのころは、何しゃべってんじゃこいつ?的に感じることもよくあったんですけど、なんか、最近(モデル-4o)は格段に進歩しているように感じるのよね。

 

 

なんなの、これ??

 

 

オレは酔っぱらい、

やつは情報をまとめ、提案する。

 

 

なんか知性の差をさえ、感じるようになってきた。。。

ヤバいんじゃないか、オレ?(← そーだ。酒の量は減らせ!)

 

 

いや、問題は酒の量じゃなくって、GPTの能力よ。

 

 

確かに上手く使えば、非常に便利なんだけど、

オレ、いや社会はこれをこれから、どう使うんだ??

なにか、社会が変わりそうな予感。。。

 

 

人は理解できないものに直面すると不安を感じる。

(↑ 冒頭にあげた、今回の第2の酒のつまみ ≒ 酔っ払いの話題も回収成功!)

そして実に、今のオレがそれ、不安のただ中にいるわけ。(笑)

 

 

実に、そら恐ろしい。

 

 

つーか・・・・・

 

GPT相手に酒飲んでると、

こっちが脳みそフル回転させないといけないから、

酔いがすっかり、さめちまったじゃねーか!!

 

 

うん。

そうだ。

オレがGPTの使い方を間違ってるのだろう。

 

 

今度はGPTに「酔っ払いお相手モード」を指定・設定して、

会話してもらえばいいのか?

そうすれば、気持ちよく酔えるような気もする。

 

 

・・・・・

 

 

いや、それもなんか違うんじゃないか?

自分が、なんとも救いようのないように思えてきた。(笑)

 

 

(参考図書)

前にも紹介したっけ?

この本、わかりやすくって、良かった。

「NHK100分で名著」のテキストを加筆してまとめたものらしい。

 

この本はアーレントの著作『全体主義の起源』と『エルサレムのアイヒマン』を中心に、当然「ミルグラム実験」(アイヒマン・テスト)などにも触れられていて、すごく興味深く読めた。

 

それにin/exどちらであってもJWであれば、元アウシュヴィッツ所長のアイヒマンの裁判とその論考には、関心があるんじゃないか?

悪魔みたいな所業を行ったかの強制収容所の所長は、決して悪魔みたいな人間ではなく、単なる普通の役人であったという。

 

宗教2世・JW2世の方にも、あの宗教やご自分の体験をちょっと違った角度から客観視してみたい方には、おススメね。

 

(記事の終わり)

 

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最近は稼ぎが悪いので、全部アメブロにもっていかれてますが。(笑)