いったん公開したんですけど、あれ?なんかヘンだな?

オレ、ナニ書いてんだ?と思ったので、書き直しました。

ただ最後、樺太戦の所があって、そこは気が滅入るかもしれませんので、かなり端折りました。

 

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先日、札幌に行く用事がありました。
久しぶりの春、暖かく、晴れた天気は気持ちがいいです。

 

でも駅前を見てみると、新幹線と関連してか、工事が続いています。

どこか。ほかの街みたい。

 

 

道庁赤レンガの改修工事も終わって、一般公開もされています。

確か、半世紀近く前に家族で訪れたような記憶もあります。

 

 

確か、中に博物館みたいなものがあったはず。

せっかく札幌に来たんだから、行ってみよう。

 

 

この建物は一回燃えちゃった庁舎を再建したもので、明治21年(1888)完成なんだって。北海道開拓も佳境に入ってきた時分かな?

入場料、300円。

 

 

入ると、赤いじゅうたんが敷かれていて、

自分自身が「賓客」になったかのような気分。

なかなかいい感じ。

 

 

階段をあがる。

ほう。実にいい感じ。

上に長官室の入り口が見える

 

 

長官室入り口の右手に大きな絵がある。

松浦武四郎」が阿寒湖畔にいた時の絵なんだとか。

彼はまぁ「北海道」の名付け親みたいな人だから、ここに飾られているんだね。

 

 

でも絵の右下、よく見ると、

ソフトバンクの「お父さん」がいる!

こんな時代から宣伝してたのか!!(← ちがいます。)

 

 

長官室に入る。

 

 

いい感じじゃないか。

こんなところで仕事をすれば、みんなよりよい仕事が出来そうだ。

環境って大事だよね。

 

 

次、「アイヌ文化と歴史」のお部屋。
と言いつつも、なんか違う感じがする。

 

展示のメインは松浦武四郎等が完成させた「東⻄蝦夷 ⼭川地理 取調図」かな。

それが床面に、でーん!

 

 

すごい。北方領土も書いてある。

内陸部まで、ずいぶん詳しく調べたじゃないか。(← 上から目線な言いぶり)

山や川の様子、地名、道路(通り道)なんかが、びっしり書かれている。

 


 

これを完成させた安政6年(1859)は、まだここが蝦夷地と呼ばれた江戸時代。

全道人口も現在の2%未満の10万人未満らしい。国道だって存在しない未開の大地での十数年に及ぶ詳細な調査。ある種の使命感がなければできなかったんじゃないか。

 

で、当時の小樽付近を北から見ました。

小樽がどこにあるか、

わかるかな?(拡大 ↓)

 

 

 

小樽、わかんないでしょ?

 

 

だって、書いてないもん。(笑)

 

 

え?

 

 

「ヲタルナイ」を見つけた?

 

 

すご~い!!

でも実はそこ、いまの「銭函」。

小樽じゃないのよ。

 

上の地図に現在の地名とJR駅の場所をざっくり書き入れてみました。

詳しく見ていくと、あれ?ちょっと違うかな?的なところもありましょうが、まぁ、それはご愛敬。だいたいこんな感じ。(↓)

 

 

しかし、こうやって現在の地名や駅を書き入れてみると、松浦武四郎さんのこの地図、ずいぶん正確です。海岸線埋め立て前・小樽運河建設前の浜辺の様子がしっかりと捉えられていますよね。

 

もちろん陸地の外形は、伊能忠敬らが寛政12年(1801)測量、文政4年(1821)完成の地図(大日本沿海輿地全図)が元でしょう。(これ↓)

 

(東京国立博物館研究情報アーカイブズより)

 

でも、これだと「形」はいいんだけど、地図の「中身」がほぼスカスカ。

「形は分かるけど、中身がわからんじゃないか」

ということになります。

 

 

じゃあ、ダレが中身を調べるんだよ・・・

 

 

道だって、踏み跡程度しかないよ・・・

 

 

ということで、松浦武四郎が十数年におよぶ蝦夷地探検の上、伊能の地図が出された38年後の安政6年(1859)に完成させたのが、先の「東⻄蝦夷⼭川地理取調図」

いや、脱帽です。

 

 

次、「北海道の遺産・文化」の部屋。

 

 

温泉は大事。(→ 鬼はいらんと思うが)

 

 

でも最近、わたしが興味惹かれているのが、こっち。

北方民族博物館?

そんなのあったの?

 

 

どこにあるんだ?

調べると、網走か!

とおいい!!

 

 

なぜかアバシリ。

次の仕事は、網走に探すか?

いいかも。(CS患者が働ける環境なら)

 

 

実はわたし最近、北方民族、いや特にオホーツク人に関心があるんですよ。

だから、常呂遺跡とか、モヨロ貝塚なんかは外せない。どっちも網走近郊だ。

アバシリ、いいじゃないか。

 

 

で、次。

1Fに行くため階段を下がって・・・入口ホールを見下ろすと、

ここもなかなかイイじゃないか。

 

 

で、次。「地域の魅力発信室」

 

 

各市町村の一品が展示されているようだ。

 

が・・・、いくら探しても小樽市が見つからない。

まぁ、いいや。どっかにあるんだろう。

しかし、これはアリか?(↓)

 

 

様似町の展示品は、橄欖(かんらん)岩。

いや、「ペリドットの塊」と言えばありがたいかな?

もちろん、宝石にはならないけど。

 

様似町には、地下30㎞以上深い所にある上部マントルの岩石が地表に飛び出てきちゃったアポイ岳(ジオパーク)がある。それは世界的にも、ものすごく新鮮な(変質していない)橄欖岩で、海外から研究者が来たり、(宝石じゃなくって)溶鉱炉の炉材として鉱山で採掘されたり、と聞いた記憶あり。

 

 

・・・でもさ、どうであれよ、これは喰えないよ。

 

 

次。

地下に「北方領土展示室」がある。

行かなくちゃ。

 

 

う~ん。。。

 

 

まぁ、樺太千島交換条約がどうだとか・・・

返還要望の署名台があるとか・・・

 

 

なんかね。

 

次。

隣に「樺太関連資料室」があるらしい。

これは行かなくっちゃ。

 

だって、私のばあちゃんの一人は、

樺太生まれと聞くもの(料亭一族の娘)。

どんなところだったんだろう?

 


あぁ、間宮林蔵、幕府に命じられて2度の樺太探検なのね。

 

 

樺太が「島」であることを発見し、そこにはアイヌ語が通じない他の先住民族(ウィルタ族)がいることを報告したのか。え?伊能忠敬のお弟子さんにもなって、測量にも尽力・協力したんだ。

 

ふむふむ。

こういう人達の努力もあって、

今の北海道が成り立ってるのね。


ここで少し100年の激動を振り返ってみる・・・
 

1801年に伊能忠敬が測量を始め、間宮林蔵が情熱で樺太を駆け抜け、松浦武四郎が使命感に駆られてこの地の「形」を必死に書き残した。

 

和人がわずか2家族しかいなかった札幌に、開拓使設置、やがて屯田兵が各地に入り、そして札幌農学校ができ、開拓使麦酒醸造所でビールを醸造(ここ大事!)

 

やがて小樽港から空知の炭鉱まで数々の技術的難関を乗り越え鉄道が走り出す・・・

 

官設ススキノ遊郭ができたり、厳しい環境の集治監(刑務所)が作られ囚人とされた人たちが厳しい労働に駆り立てら命を落としたりと、光も影も入り混じった、凄まじいスピードの開拓史。

 

その熱気、汗と涙のひとつの到達点が、1888年(明治21年)完成のこの「赤レンガ」庁舎なのではないか。

 

そう思うと、このレンガの色一つ一つも少しずつ違って、より濃く見えてくるような気もします(いや、同じ色のはずではありますが)。

 

 

・・・話が長くなりました。

 

 

あ~、ビールが飲みたくなった。(→ いいえ、宅飲みはしません!)

 

 

続きです。

 

 

樺太南部が日本領だった時は、結構、賑やかだったみたいです。

私のばあちゃんは、

こんなところで生まれ育っていたんだろうか。

 

 

樺太が日本領だった時は、稚内港は言うまでもなく、小樽港も樺太航路の中継地点で、きっと大繁栄だったはずだ。いまじゃ、寂れる一方で寂しい限りだけど。

 

「道樺連絡最捷路 稚内-本斗連絡線案内」(↓)

 

 

私のばあちゃんは美人だったらしいのですが、

この方とはちょっと系統が違うかな。

 

・・・

 

樺太庁の庁舎か?と、思ったら博物館だった。(↓)

 

 

これ、どう見ても、お城系の建物。

中国の長春で関東軍が作った満州国政府関係の建物をいくつも見たけど、

これと似た感じでした。(海外植民地には、お城系の建物?)


最後、樺太と言えば、戦争。

 

 

その展示もそこそこありました。

でも、一旦は書いたのですが、ここは思いっきり端折ります。

だって、苦しくなるもん。

 

ただ一点だけ。

樺太戦で有名なのは、この地図左中で被害が集中している真岡町で起きた

九人の乙女の悲劇」でしょうかね。

 

真岡郵便局の展示

 

 

 

 
Youtubeの画像に見るような年端もゆかない乙女たちの最後。
いや、実に痛ましい。
目を背けるべきことではないのでしょうが、胸締め付けられ、悲しくなります。
 
 

あ~、戦争は、イヤだわ。


 

どこのリーダーだよ、最近、戦争はじめたのは。

 

 

・・・・・

 

 

でも思うに

あの亡くなった九人の乙女たちも本当は、

こんなきれいな絨毯がひかれた場所を

 


こんな美しい青空の下、素敵な街中を

 

 

 

きっと、みんなで楽しく歩きたかったに違いない。

 

 

・・・・・

 

 

ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

 

 

(主な参考資料)

 

東西蝦夷山川地理取調図 ~はじめての北海道詳細図~

 

(記事の終わり)