読書はしている。だけど、感想は書かない事にしている。
基本的に、人それぞれの読後感があるものだし、
己で読むという事が大事。
当然、本は、文字が並んでいるだけだから
己の理解力・想像力だけが頼みの綱
自分の器でしか読めん!
今回、たまたま、宮本輝の「水のかたち」を読んでいたのだが
その中の一節が響いた。それは
自分を自分以上のものに見せようとせず
自分以下のものに見せようとしない、
のは至難の業だ
ちっちゃいけれど「見栄を張りたい」ときもあるし、
実際の自分よりも、大きい器の人間と思われたい時もある。
その反面、「自分の器」がちっちぇ事を知っているのも自分だから
妙に「卑下」というか「卑屈」になってしまったりして。
自分の事を正しく「自己評価」できる人間になりたいものだ。
公園のデカい桜の木を見て思う。
自分という人間の根っこを、己できちんと把握できていれば、
雨にも風にも動ずることなく、高みを目指す樹木のように
まっすぐ伸びる事が出来るのだろうか・・・
そう思うそばから
さしずめ、私の場合は、ちっちゃくて、形がいびつな盆栽どまりだな・・
と思う自分がいるのである。
卑屈さは自信がある
「自分の器」を正しく判断したいものだ。
世間では「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とかいうのであるから
たとえ、中身がカラッポでも
年齢だけは重ねているので、謙虚でいこう
基本的に、人それぞれの読後感があるものだし、
己で読むという事が大事。
当然、本は、文字が並んでいるだけだから
己の理解力・想像力だけが頼みの綱
自分の器でしか読めん!
今回、たまたま、宮本輝の「水のかたち」を読んでいたのだが
その中の一節が響いた。それは
自分を自分以上のものに見せようとせず
自分以下のものに見せようとしない、
のは至難の業だ
ちっちゃいけれど「見栄を張りたい」ときもあるし、
実際の自分よりも、大きい器の人間と思われたい時もある。
その反面、「自分の器」がちっちぇ事を知っているのも自分だから
妙に「卑下」というか「卑屈」になってしまったりして。
自分の事を正しく「自己評価」できる人間になりたいものだ。
公園のデカい桜の木を見て思う。
自分という人間の根っこを、己できちんと把握できていれば、
雨にも風にも動ずることなく、高みを目指す樹木のように
まっすぐ伸びる事が出来るのだろうか・・・
そう思うそばから
さしずめ、私の場合は、ちっちゃくて、形がいびつな盆栽どまりだな・・
と思う自分がいるのである。
卑屈さは自信がある
「自分の器」を正しく判断したいものだ。
世間では「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とかいうのであるから
たとえ、中身がカラッポでも
年齢だけは重ねているので、謙虚でいこう