すごく悩んでいる人に頑張ってというのは残酷な気がする。
その人なりに、精いっぱい頑張っているからこそ悩んでいる時もある。

よく、あの人だって頑張っているとか、もっと大変な人もいるんだからとか、
第三者を引き合いに出す場合も往々にしてある。

でもなぁ、そこは違う気もして・・・
他人が頑張れるから、その人も同じように頑張れというのはキツイ気がする。

例えば、鼻が低いと悩んでいる人がいたとする。
その人にとっては、世界の終りでも、はたからみれば、つまらない事だったりして
でも悩んでいる人にとっては、立派な悩み。
小さくても悩みだし、悩みに変わりはないともいえる。

そこで、もっと鼻が低くても頑張っている人もいるとか
ましてや、鼻が二つ付いているよりいいでしょうと言われても・・・

悩んでいる本人が、もっと鼻が低い人だって頑張っていると
自発的に思うならいいけど、第三者が言うべきことではないと思っている。

そもそも、鼻が二つでも悩んでなければ問題は無い。
鼻が低かろうが、高かろうが「悩んでいる」事、それ自体が苦しいんだから。

どうすることが、励ましと言えるのか、難しい事である。
いろいろ考えて声を掛けてあげたいと思う割に、どうすればいいのかわからない。

結局、話を聞く事しかできない。
悩んでいる人の気持ちに、寄り添っていられたらいいのにと思う。
他人なので、理解しようもないのかもしれないが
苦しい時に「苦しいんだね」と受け止め、
何の根拠もないのだが、「大丈夫だよ」と安心させてあげたいものだ。

ただただ、見えない不安の影に、気持ちが死んでいかないように
その人が、前を向ける日まで待ってていたいと思う。

気持ちに寄り添っていたいと思う事自体が、励ましになればいいのに。