因果を考える

 

 

辞書で因果を調べると「原因と結果」また「仏教では今ある事物が以前の何からの事物の結果であり、また、 将来の何かの事物の原因であること」などが述べられています。

 

私達が生きている限り、ビジネスや私生活で幸運や災難など、良いことも悪いことも起こるのが人生です。 

 

当たり前に考えれば、因があれば必ず果がある。 

 

仕事でも私生活でも原因の因を作るのは自分であったり、他人でもあったりします。

 

しかし中には、自分が起こした災難を他人のせいにする人も中にはいます。 

 

そのようなことでは、人間の精神的な成長は見込めないのも当然です。 

 

多くの偉大な経営者の考えを見聞きすると、従業員が起こした災難を経営者が背負うことが述べられています。

 

当たり前ですが、多くの人はなるべくなら火中の栗を拾いたくないものです。 

 

まして、他人が起こした災難ならば当然です。 

 

しかし、偉大な経営者は人間の器が大きいことから従業員の起こした災難でも自社の最高責任者として、 部下に任せず自ら率先し火中の栗を拾うことが述べられています。 

 

やはりそのような方には、必ずというほど大きな幸運も伴ってくることも述べられています。 

 

とある方が「人格とは、精神を磨く」といっておられます。

常に人は人の後ろ姿を見ています。
人の考え方と運などの巡り合わせとは面白いものです。

尚、私の書いているブログは、テクニックやスキル、ノウハウの類いは書いておりません。

 

 読んでいる方の物の見方の参考に少しでもなれば幸いです。 

 

今回もブログを読んで頂きありがとうございました。

 

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運とは何だ

 

今回は趣向を変えて、私なりの運について述べたいと思います。 

 

 

辞書で運を調べると「人知ではかかり知れない身の上の成り行き。めぐりあわせ。」などと書いてあります。 

 

井戸端会議で「、あの人は運が良かった」とか「悪いとかったとか」などという噂話しをあなたも聞いたことが あると思います。

 

私自身も運が有る無いで考えてみると割と運によって救われていると思います。 

 

あなたはいかがでしょうか。 

 

日本でも著名な経営者の方々も運が良いということは人生に於いて、とても重要だと話しています。

 

 脳科学者や心理学者も運について色々と調べているようです。 有名なところでは、イギリスの心理学者リチャード・ワイズマン博士が、運について書いている本があり ます。

 

私は仕事柄 30 年以上前から脳科学や心理学について学んでいますが、残念ながら運に関して科学的に考え ても私自身割れきれなさを感じています。 

 

運は誰にでも平等にあるともいわれていますが、己の生まれた時代や場所によっても異なります。

 

 前回のブログで述べたように、ひとりひとり個性はまた違います。

 

 物事はその場の出来事によって、また取り方や考え方ひとつで大きく運が変わります。 

 

つきなみですが運をよくするには改めて自分自身を振り返り、物事の考え方と気持ちの持ち方をよく考え る必要があるとも思っています。

 

この世の中、誰一人自分で一人で生きては行けません。

 

 生きている限り大なり小なり必ず人にお世話になっているはずと私は考えています。 

 

誰しも自分の命が明日あるとも限りませんから精一杯悔いがないように生きることが最も望ましいとも考 えています。

 

尚、私の書いているブログは、テクニックやスキル、ノウハウの類いは書いておりません。

 

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今回もブログを読んで頂きありがとうございました。

 

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人はそう簡単に育たない!

 

 

今と昔では、仕事に関しての考え方や捉え方に凄く違いがあります。

私は歳をとっている割に昔の仕事の慣習的な考え方や捉え方に少なからず違和感を感じ持っていました。
昔は当然のごとくサービス残業など当たり前の時代でした。

残業代は仕事の定時の時間が終わった後 1 時間後から始まり残業が終了しても貰う残業代もスズメの涙 ほどの金額だった覚えがあります。

今ではこれらの昔の出来事も現在は苦笑してしまうような思い出になっています。

また、昔の運動に関して今の若い人達に考えられないようなルールがあり、以前はクラブ活動の練習中に水を 飲むことは禁止など、今から考えると体罰に等しいような慣習でした。

それと同じように今と違って昔は仕事に於いても精神論や根性論が私の周りでもはびこっていたように思い
ます。

そういえば、昔は仕事でミスをすると「反省をしろ」とか「何でミスをしたのか」「根性が足りない」などと 先輩達や上司に言われたりと、私の周りでは多く聞きました。

 

 当然ですが、今とは社会環境も違っており仕事於いても情報の高度化や物事に関しての価値観などの考え方 が昔とは随分違っています。

 

昔のこと述べた訳は、先ほど述べたように今では仕事を含めて全てのことが高度化されている時代ですから 例えば、部下が仕事でミスやカバーが出来なかったことに関して「反省しろ」とか「根性足りない」などと いうことは感情論で終わっているので建設的なアドバスではないと思います。

 

仕事に於いて上司や先輩達の叱りたいという気持ちもよく分かりますが、やはりここはグッと堪えることが 大切です。

 

尚、ミスやつまずいた部下などに対して甘やかしてよいという意味ではありませんので。

 

昔から言われているように、どのような人間でも仕事などに於いて多少のミスやつまずきはつきものです。

 

人がミスやつまずいたその時こそ、その人が成長するチャンスになると思います。

 

だからこそ、指示しをした人はミスをした相手に感情的にならずにミスに対して的確で建設的なアドバイス を行うことが重要なのです。

 

人は言葉が通じれば、自分が言っている考えや気持ちが相手に通じて分かるものだと考えている方が残念な がら少なからずらいます。

人は親子でも兄弟でも価値観や信条が違うのが人間です。

当然、遺伝子そのものが違うように親や兄弟でも育った環境や年代が違えば考え方も当然のように同じはず がありません。

 

言葉自体が同じでも、その人その人によって受け取り方が全く異なり変わりますから、注意を促すにも相手に 合わせる話し方や言葉遣いをしなければ、せっかく行ったアドバスも意味がありません。

 

それほど、人を理解しアドバイスを行うということは難しいことだと現在も考えています。

 

今、私がアドバイザーとして相手に意識して話していることは、私が営業指導のメンターに8~9 年近く指導 されたやり方にならい、相手に考えさせることになるべく重きをおくようにしています。

 

とにもかくにも部下や後輩が仕事でミスをしたら、ミスした原因に対して考えさせるようにしないと人は育 たないと私は考えています。

 

難しいことかも知れませんが、とにもかくにも手探りながら相手を分かりたという考えを持ちながら、相手と 向き合うことが大切だと考えます。

 

もし、仕事などでミスが起きた時、原因や要因を考えて次に修正できる人はそれだけ考える力を持つ能力 のある人だと考えます。

 

随分昔に私が聞いた言葉でフランスの哲学者パスカルが「人間は考える葦である」と話したとしています。 

 

時間は掛かりますが、ミスしたら考えさせて、答えが出なかったら答えに近づくヒントを与えて考えさせる こと、この繰り返しが人が育つ元になると私は考えます。

 

尚、今の私は教えを頂いた当時の営業指導のメンターよりも歳をとってしまいましたが、自分でも述べるのも 何ですが、尊敬をやまないメンターの能力には、現在もほど遠いようです。

 

過去にメンターと約束をしたので、私が気に入った方数人にボランティアとして教えていますが、なかなか 一朝一夕に人の考えや行いは変化はしません。

 

基本的な物事や仕事に関して、私もメンターに育てて貰ったように教えることは、相手に対して考えさせて、 考えさせ続けることしか無いように今は考えています。

 

人を育てることは、タイトルで述べたようにそう簡単ではありません。

 

時間が掛かると思いますが、相手に教えて行く際は考えさせなが ら助言を与え続けて頂ければと思います。

 

今回は、長々となりブログにお付き合いして頂きありがとうございました。 

 

株式会社プリーゲンでもブログをブログを書いていますので、是非お立ち寄り下さい。

 

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行動する前に仮説を立ててみる

 

 

行動する前にとりあえず自分なりに行うことに対して、結果の仮説を立ててみる。 

 

辞書で仮説について調べると「いろいろな事柄の関係が実際に確かめられていない場合、それを統一的に説明 するための理論的な仮定。」などと述べられています。

 

 仮説を立てた結果が自分にとって良くても悪くても考えておく準備は重要だと思います。

 

 前もって考えておくことで、現実の結果に対して良くも悪くも一喜一憂すことなく自分自身に対して客観視 ができ冷静に対処できると考えます。 

 

特にビジネスに関して、自分自信が行った結果に一喜一憂しているということはその仕事に自分が冷静に客 観視できていないということです。 

 

人間である限り物事について感情の上げ、下げがあるのはしごく当然のことです。

 

 しかし、多くのビジネスに関して、自分一人だけでは物事が進んでいるハズがないと考えます。

 

 だからこそ、良くても悪くても自分なりに仮説を立てておき、 良くても悪くても、仮の答えを作っておくこと で物事に対して冷静に客観視できる自分があると良いと考えます。

 

 今回もブログを見て頂きましてありがとございました。 

 

尚、私のブログでは物事について別な視点から見て頂ければと思っていますからノウハウやスキル、テクニ ックに関することについては述べてはいませんので宜しくお願いします。

 

株式会社プルーゲンのブログでもマーケティングとデザインに関して仮説について私なりの考え方について 述べていますので、興味のある方はお立ちより下さい。

 

 

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木を見て森を見ず

 

 

仕事の中で、よく「木を見て森を見ず」という言葉を聞きます。 

 

辞書で調べると「事物の末梢的部分にこだわりすぎて,本質や全体をとらえられないことの例え」と されています。
 

最近、地元の新聞の経済記事にもこの例えが使われていました。 

 

また、お恥ずかしいのですが私は若い頃に営業の極意を教えて頂いたメンターに、これに近い 言葉で「あなたは、仕事で枝葉のことばかりに気を取られている」と言われていました。

 

 残念ながら私以外の方々でもよく近視眼的にものをみるクセがある人が多いようです。

 

 思慮深い人は「木を見て森を見ず」という言葉を良く理解していて、その木自体の根っこをしっかり と捉え考えているように私は思います。 

 

先回からブログで書いているように土に隠れた木の根っこのように物事の本質などは表面上では、捉えきれられないところに潜んでいることがあります。

 

 とても難しいことですが物事に対して複眼的な思考を持つように心がけることがもっとも重要になってきます。 

 

これも少し前に述べましたが、尊敬できる経営者がいつも語っていた「鳥の目と虫の目」を持てる ような思考が人には要求される時が必ずあると考えます。

 

 私も反省の意味を含め確証バイアスに囚われないように物事を近視眼的に考えるのではなく、複眼的に捉えるようにして行きたいと思っています。 

 

先回からのブログで述べたように人は思い込みなどのバイアスに囚われやすいこともあり注意が 必要です。

 

尚、私の書いているブログはスキルやテクニック、ノウハウ類に関して述べてはいません。

 

 読んでいる方に別な視点から考えて頂ければ、ありがたいと思っております。

 

今回もブログを読んで頂き、ありがとうございました。

 

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具象化を考える

 

 

なぜ、物事に対して具象化しなければならないというと、前回「思考とは何だ」で樹木の病気を例にお話しをしました。

 

病気の巣が目の届く樹皮や葉、枝などにあれば、すぐ分かります。

 

目のかない土の中にある 場合を考え、樹木の構成や構造を考える必要があると述べました。

 

このように日常の現実である物理世界で起きる物事に関して、自己の思考性を深めて考えて行く必要性が あると考えます。

 

私たちの脳のクセとして、起きる物事に対して往々にして物事を単純化して捉えてしまうことがあります。 

 

特にクルマで起きる事故などはヒューマンエラーがその一つの例だと私は考えています。

 

日頃から起こる物事の問題に関して考えを単純化せずに常に起こるであろう問題の存在に対し構成や構造 を顧みて、問題の本質を捉えて行くような思考を持てるように心がけて行く努力が大切だと思います。

 

私も若い時にこのような考え方を持てればよかったかもしれませんが、ある程度歳をとってから様々な書物 などに触れて行く中で、自分なりに物事に対して単純化せずに少しは考えるようになりました。

 

若いうちに様々なことについてもう少し深く考えることができていればと後悔しています。 

 

時折まだまだ知識の研鑽が足りないと感じながらこのようにブログを書いています。 

 

尚、私の書いているブログは、テクニックやスキル、ノウハウの類いは書いておりません。

 

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物事を構造で考えると分かりやすい

 

 

辞書で調べると構造とは「さまざまな要素が相互に関連し合って作り上げている総体」 としています。

 

例えば、構造物として植物、樹木で考えると、根と幹、枝、葉になると思います。

 

 樹木が病気になり簡単に視認できると範囲としては、それは幹の表面である樹皮、枝、葉です。

 

地中に伸びている根っこなどは土を掘り返さなければ、根っこ自体に病気があること を視認できず分かりません。

 

これは物事に於ける問題の本質を考えることについても、同じように考えられるのでは ないかと思います。

問題が樹木のように視認できるような範囲で、簡単に理解して分かればよいのですが、
以外と深くて視認ができない地中深くに問題の病巣があるかも知れません。

このように問題点を様々な角度から見る習慣をつけると思いがけない発見があると思います。


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時代の波に呑まれるな

 

 

 

先回、地頭のことについて述べましたが、私が 40 数年前に美大やデザイン会社で覚え習得した当時の技術などは今の時 代にはそぐわない技術になりました。 

 

それは先々回にも述べたように巷でいわれるような陳腐化した技術になります。
 

1985年頃に国内で Windows が発売されパソコンに搭載されたことにより、仕事でパソコンを使えるようになり私達にも使用するように求められました。

 

1995 年にインターネットが一般に普及したことによって Web で検索などを上手に利用するようにならなければなりませんでした。
 

そのように時代の潮流は、いつも人が望む望まないに関わらず人や仕事に変革を求めてきます。 

 

今後も時代の流れに答えられないと、これからも私達は仕事を失う場面に出くわすかもしれません。 

 

残念ながら仕事をして行くということは、それに向き合って人生を進み行くものだと考えます

。 

 

当たり前ですが、資本主義は会社と会社、人と人の競争の中で成り立っているのが現実です。 

 

私達が時代の波に飲み込まれないために個人々がその時代の要求に合わせた考え方や仕事のテクニック、スキルを持ち 合わせることが肝要だと考えます。

 

約10 年近く前ですが、今後人工知能やロボットによって消える仕事やなくなる仕事について

、オックスフォード大学の マイケル・オズボーン氏達が述べています。
 

また、野村総合研究所が2020 年 3 月 10 日に発表した「NRI未来年表」は2020~2100 年の産業や生活の変化についての レポートです これら大学や研究所で発表されたことや最近の経済ニュースで伝えられている人工知能の進化などを併せて、それらを 勘案しながら自分の持っている能力を伸ばす努力を積み重ねるように私達は考えて行くことになります。

 

 特に最近、1990 年代後半から巷でいわれていたドッグイヤーよりも、もっとスピード感が増しているように思いますが あなたはどう感じていますか。

 

当然、1 人々移り変わる時代の受け止め方は違うと思いますが、変わり行く時代に関して、ある場面ではとても有り難く感じる時や反面残酷に感じる時に遭遇する場合もあると思います。 

 

押し寄せる時代の波に対して、自分にとっての人生の海路図とそれに対する羅針盤をしっかりと持っている方が自分な りの生き方ができるのではと、この歳になってくるとよく分かるようになってきました。 

 

私の周りを見わたすと、どんな境遇でも地道に勉学に励み知識を得て行く人が自分なりの小さな幸せにつながって行く と思いますがあなたどうでしょうか。

 

今回もブログを見て頂きまして、ありがとうございます。

 

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テクニックは陳腐化する

 

     

 

先回のブログでも述べたように仕事を長く続けるためにはテクニックやスキルよりも地頭を良くした方が 長く仕事できると話しました。


今後 ChatGTP などに代表される人工知能や量子コンピューター、ロボット開発など途方もない勢いで進んで 行くと思います。

 このような状況を合わせて考えても職業で使われるの初歩的なスキルなどはすぐに陳腐化されてしまいます。 

 

例えば、私が仕事で経験したことを 1 つ述べると、以前はグラフィックデザインの基礎を学校で勉強し、職場 の仕事で筆と烏口や溝引きを使用して手書きで描いていた文字も今やパソコンソフトを使えば誰でも簡単に 美しい文字が描き作れます。
 

今では、手書きによる文字作成の要望も圧倒的に少なくなっていると思います。

 

 現在では、パソコンのソフトでグラフィックを制作するのは、常識になっています。 

私のおぼろげな記憶で約38~39 年前に印刷会社の担当業者からデザイン室長に対して伝えていたのが、グラフィッ クソフトで代表的なソフトAdobe のイラストレターやフォトショップなどの話しを聞いたのが初めてでした。

 

 その時に「手書きに必要なポスターカラーなどで水分調整などの手間で大変な思いをすることがなくなる日 が必ず近い将来にやってくる」と思い、作業が楽になると考えながら聞いていました。
 

それから約 6~7 年後には、私はパソコンでデザインやイラストの制作をしており、学校や職場で苦労して身 に付けた手書きのテクニックも現在では役に立たないとは思っていますが...

 

 今ではソフトの使い方を知ってしまえば、美大やデザイン専門学校を出なくても、ほとんどの人が様々な表現 ができるようになっています、制作物の質の程度の差はあると考えますが。

 

 文明に於いて、科学や工業技術の革新は一般的に人が想像する以上に素早いスピードで驚くほど社会を変え てしまいます。


但し、仕事の必要性としてのテクニックの知識は絶対持つべきだとも考えています。

 

 自分の仕事である業界の知識も重要だと思いますが、たまには別分野の書籍を読むと視野が広がり知識も増 えて行くと思います。

 

知識の足り無さは人生に於いて、損をする

なぜ、このようなことを述べているかと言いますと今となっては、とてもお恥ずかしいのですが若い頃の私は 一般的な教養といわれるものではなく、自分の表現ができるイラストの専門書やS F系の小説、マンガ本ばかり 読んでいました。
 

尚、S F 小説もマンガからも学べるところもあり、それを全面的に否定しているわけではありません。 

 

義父が多くの本を読んでおり、義父と話すことで自身の知識の足り無さを痛切に気づかされ後悔しました。

 

 様々な知識の足り無さに気付いてからは、自分なりになるべく多くの本を読むようにもしています。 

 

先日も訪問先の社長から私の読書好きを知っており、販売に関するとある本を差し出して一度読んでみると よいと勧めて頂き、とてもありがたいと思いました。

 

 仕事柄、多くの経営者の方々と会う機会があり、ほとんどの経営者が少ない時間の中で多くの本を読んでいま す。

だからこそ会社を賢く運営できるのだとも考えています。

 

 私が今、尊敬している経営者も少ない時間を使い多くの本を読んでいます。

 

 数人のお弟子さんにも、会うとあなたの人生に役立つ好きな本を読んで下さいといつも伝えています。 

 

以前に述べたかも知れませんが、約二十年ほど前ですが、地元の株式上場している企業の会長から「鳥の目、魚 の目、虫の目」について教えて頂きました。

 

 教えて頂いた、「鳥の目、魚の目、虫の目」はものの例えですが、自己の視野を鳥の目のように社会経済を俯瞰し、 魚の目のように社会経済の時流を考え、虫の目のように注意深く社会経済を細かく観察をする細かく捉える と解釈をしています。

 

 私の中で、その方との出会いが少しばかり遅かったので、その方の見方や考え方など様々な話がもっと聞きた かったと今となっては誠に残念に思っております。

 

人生で様々な人との出会いや書籍、美術館めぐりなどを含めて体験・経験に於いて仕事の質を高め、人生を豊 にすることにつながりますから、私としては決して生き方に対してムダにはならないと考えています。

 

今回もブログを読んで頂き誠にありがとうございました。


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あなたのそばにもいませんか

 

 

 

 

日本の諺で賢く謙虚である人に対する例えで、「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があります。

 

少し話しが逸れますが最近の Web blog 記事には、テクニックを中心に書かれているように思います。 

 

仕事を続けるための知識やテクニックを得ることは必要だと考えます。 

 

しかし長く仕事を続けるためにはテクニックよりもスキル、さらにそれよりも時間は掛かりますが、地頭を 良くすることを考えた方がより良いと思います。 

 

プロなら仕事に関する知識を持つのは当然ですが、私が思う「仕事ができる人」は知識そのものを応用 できる方だと考えます。

 

また、本当に仕事ができる人は何事にも己を律して謙虚だと思います。

 

ありがたいことに、私は今までの人生でとても尊敬できる二人の師匠を持つことができました。 

 

その二人の方は学歴は高くありませんでしたが、その道のプロであり日頃から、とても知識欲が高い人達でした。 

 

そして教えて頂いた師匠の二人は周りに対して、とても謙虚な方達でした。

 

 今から考えると師匠達は地頭のとてもよい方達だと思います。 

 

仕事ができる人とは、地頭の良さがある方だと考えています。 

 

人が地頭をよくすることは一朝一夕にできるとは思っていません。 

 

先日、私の尊敬している経営者が経営者のたまごである方に対して「時間の許す限り様々な本を読みなさい」と 話していおりましたが、私もその通りだと思います。

 

 私も師匠達のように歳を重ね命のある限り知識を得るように研鑽を重ねて、それを知恵に変え、様々な体験を しながら地頭を良くして、人として謙虚になって日々の努力を重ねて行きたいと思っております。

 

今回もブログを読んで頂き誠にありがとうございました。


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