実家に帰った私と息子。この頃の事は私は記憶があまりない。

私が病院を決めて受診したかったのかな?母が決めてきた病院は、入院施設のある、精神科専門の病院だった。
何故か私はそこの病院に行きたくないと、車から飛び降りようとしたり、頑なに拒んでいた。夫にまだまだ文句を言わなければいけないと思っていた記憶は今蘇ってきました笑い泣き

病院についても、頑なに受診を拒否していた私。気がついたら、タンカーに乗せられ、体を抑えつけられていた。辞めてと抵抗する私。看護師さんが私に乗っている。多分鎮静剤みたいのを打たれたのだと思います。

目が覚めたら

真っ暗な部屋。

隣の人は見えないが叫びながら扉を叩いている。

何かのテレビで見た刑務所?の様な部屋。トイレもある。
ただ、手首は拘束されていました。
保護室?隔離室?と言った名前でした。

ご飯はオリの様な下の隙間から配られる。
紙の容器で何に何が入っているかもわからない。

母親も酷い事をしてきたな。
この感情はしばらく思い出すときもありますが、今は許せています。

母親は色々な手続きをして、(入院させてからしたのか?)私を保護入院ににしていたのでした。

4.5日は隔離室にいたのでしょうか?いや、もっといた?

やっと隔離室から出た時は棟の皆さんの視線。私も入院したのははじめてだったので、色々びっくりしたのだけれども。(お互い様照れ)

何して隔離室入ったの?
何の病気?
措置入院?

など質問攻めでした。隔離室のあとは、ナースステーション横の回復室で、1人部屋でした。

入院した頃は39キロ位で、45キロになるまで退院は出来ないこと

色々な検査を受けること 等医師から言われました。保護入院のため、両親のOKがでないと退院が出来ない事も。

まさかこんな事になるなんて。息子は大丈夫だろうか?今私がこんな事になってるのも夫のせいだと、私は売店で買った便箋に長々と文句を書いた記憶があります。

入院してる間に色々な検査の結果

双極性障害二型と摂食障害と診断される。発達障害の検査は問題なし。

双極性障害?って感じだったし、摂食障害は受け入れられなかったです。

吐いてもいないし、食べたい時に食べてるだけ。食べたくないから食べないし。

それが私の場合偏りすぎてて、摂食障害なんだと後からわかる。

45キロなんて直ぐに行くだろうと思っていたけれど、これがなかなか体重が増えない。
体重が増えないと退院出来ない。

この実家に戻る前は、私は住んでいたマンションを引き払ってるのに、また仕事に戻れるとずっと思っていました。職場にも入院していますが、また戻りますと電話していました。明らかに職場の皆さんは無理だとわかっていましたよね。

記憶が飛んだりしているのですが、躁の時期って恐ろしいと私は今ならわかるのです。

そして長かった躁が治まると鬱に。

こうして、私の入院生活は4ヶ月位にわたります。

入院して、鬱期に入った頃でしょうか?

こんな母親で情けない
息子に会いたいけど、このような場所(表現が乏しく申し訳ありません)に来させて良いのか?
ちゃんと寝れているだろうか?

とにかく息子のことを考えていました。

医師にもこの話ばかりだったと思います。

お母さん(私)が元気になったなら面会は可能だし、外泊もできる。そのOKの合図は先生から出してくれるとの事。

日中は軽い運動をしたり、作業をしたり。

色々な方がいるんだとも実感したり、私は違うと思ってみたり。

でも皆共通しているのは、病気になりたくてなっている方なんて1人もいないということ。

退院のために頑張り、親の許可もおりて無事退院。

しかし、家に帰ると喪失感だったり、息子に充分構えなかったりで、私は保護入院のあと、2回自分の意志で入院します。

もちろん、会社にも辞める事を告げ、逆に短期間で色々あったことを受け入れられず入院するのでした。
息子はたまたま空きのあった保育園に入って、私の母が送迎をしていました。息子の屈託の無い笑顔を見ても辛くなり、この世に私がいない方が幸せなんだと悩みました。

この時の先生はその悩み1つ1つを聞いてくれて、的確なアドバイスをくれました。

次回はこの続きから真顔


今日は振り返ると調子の良かった日かもです。
仕事を頑張りすぎず、頑張れた。夕飯を作れた。
体重がちょっと増加気味。薬?野菜を多く明日からは摂ろうピンクハート

皆様おやすみなさい