ー鴻巣友季子
・翻訳とはいっとき他人になること
他者の言葉をめいっぱい生きたあと、最終的に自分に戻ってきて書く。
・こなれた読みやすい訳文を目指さない。
司馬遼太郎さんが執筆する時は膨大な量の資料を読み込んだと伝えられています。
だからこその臨場感があり、読者がその場で、その人物の思考を感じるように読み進めてしまう。
昔、子どもの頃に伝記物をよく読みましたが、違和感を感じていました。
リアルに書いてあるから、リアリティを感じられなく、けっこう創作かな、と。。
忠実に言葉を、想いを、考えを他者に伝えるのは容易ではないかもしれないけど
…遥か昔に言葉を介せずに想いを伝え合っていたのは、その時代にはネガティヴがなく、言い換えると、同じような考えの人の間だから、誤解が生じることもない土壌があったから。
今現在でも、波長の合う人の間では、スムーズにコミュニケーションが成り立つように。
現在この世は様々な波長の人がいて、調和的なコミュニケーションが難しい層が多層的にあることを例えるなら、
登山の景色。
狭い意識の子ども時代には、親の愛の行為を理解出来ないことは
低い位置からは、上の位置から観る景色が分からないように、上の視点・意図は分からない。
上からは、下が見えているけれど。
なぜ、こんなことが起こるのか
上を目指さないと決して見えない景色
その途中に死んでも、その時にいる位置に相応しいあの世につながり、意識はジャンプすることは無いよう。
そして、起こるすべては
最も相応しい佳きことが起こるという摂理。
…昔、とある聖者が、弟子に燃え盛る火を押し当てやけどを負わせた。
本来なら焼け死ぬ運命を、小難に変えた事を、知る由も無いのが、普通。
斎藤一人さん曰く、普通って、辛いんですよ。と。
真理を知らずに生きるのは、何よりも不幸…幸せが一瞬後に不幸に変わる可能性を秘めている人生を、希望という恐怖と共に歩むことだから…
平安なこころで
みんなですすみいけますように。
そう、
何があっても大丈夫。


