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以前ブログを書いていた時に

フォロー・アメンバーやいいね

コメントでとても困ったので

皆様のご気分を害する文章になりますが

お察しください…

すいません。


プロフィール


私は6年と少しの間、元夫と別居をし


やっと離婚ができました…


何故そんなに長く別居をしていたのか…


それは、別居が出来たのが

私の兄と母のおかげだったのですが


「お前らに追い出された」

や、別居後も「離婚をしたら殺す」や

「全部なくしてやろうか?」「覚えておけ」「何も無くすときは道付にするからな」等

ずっと脅されており

前にニュースで5年別居した方が裁判で

「離婚」を勝ち取られたのを見て

とにかく我慢をしようと耐えていました


そのせいで

現在精神を病み…未だ心療内科に通い

その上ストレス性更年期障害になり

一晩にして白髪になる(何故か内側側面だけ)と言う経験をしました…


とても人が怖くなり

現在いろんな複合的な精神疾患で

苦しんでいます…


もう耐えられず死のうと思った時に

下の子がまだ小学生だったので親権や

下のその子がDVの元夫が育てると

考えたとき…死ぬ事が出来ないと思い

弁護士事務所を探し相談をした結果

すぐに来るように言われ

6歳離れた既に18歳になっていた長女が付いていくというので長女を連れ弁護士事務所に行きました。


そのお陰と兄の後押しもあり

なんとか離婚できることになりました…


現在離婚今年の11月で10年になります


ですが、上記に書いたように

私は病んだままでトラウマを刷り込まれてしまい…

先生にかけられたストレスは癒やされるのに倍以上年数がかかるかもしれないし

一生抱えるかもしれないと言われています…お陰で人が怖くなり電車にもタクシーにもバスにも1人では乗れず…

ずっと歩いていましたが

今では雨が降ろうが原付きで移動を

しています


そもそも元夫の事が好きだったのか


私にはわかりません


もう、先生を相手に仕事をしたくなかった

子供ができたとき家にいてあげたい

(私は母が働いていたので…)

そんな思いと打算で結婚をした気がします

相手に好きだ結婚して欲しいと言われて

真面目だし…まぁいいか…そんな感じでした…

まさかDVだとは思いもせず…

(親には反対されていたのですが…

押し切ってしまいました…

向こうの親にも母子家庭だからと反対されていたのですが…今思えば辞めておけば良かった…後の祭りです

子どもたちは優しく育ちましたそれだけが救いです…)


何故真面目な人間を選んだか…

それは私の実父はろくでもなく

給料も入れない

少しでも腹が立つと食事の机を

ひっくり返す

少しでも気に食わないと物が飛んでくる

浮気や借金も当たり前

しかもサラ金から借りて

見つかれば逃げる日々…

それに振り回されて

小学校を4回変わりました…

なので同じ所を勉強させられたり

逆を言えば習ってない所をわからないまま

進めないといけなかったり…と

とても大変で


いつもどうせまた引っ越すのだから

と、友達は広く浅く付き合ってきましたが

幼馴染は高校の友達一人だけになります

たまたま同じ中学で合唱部でしたが

私も相手も人数が多く覚えていなかったの

ですが、これもたまたま私が卒業した

高校に就職したので教育実習で出会い

色々教える立場になりました

(高校に就職をしましたが事務ではなく

100人以上の先生や非常勤の先生達の

教務助手を1人でやっていました)

その時にお互い仲良くなり

今ではとても仲のいい友達です


現在、私の大事な友達は3人だけですが

それで充分です

沢山友達が居た時はとても疲れていました


沢山友達がいても私のことを理解してくれる人は少なくその3人はすべて理解してくれて、合わせてくれています…


この話もふと思い出す話なのですが


もっと思い出す思いがあります


まだ結婚をしていたとき


義理の父と母がいっぺんに認知症に

なった時のことです…


その時は子供も本当に小さく


塾やスポーツ指導をしていたので

(開放だったので無償)


その試合や練習…


ただ、私は既にその時は

ヘルパーの資格を持っていました


子育てがひとりひとり違って

育児書では育たない状態と同じで


認知症に同じ症状は無いのです

義理の父は海馬が縮む認知症で

直ぐに物を無くしたり

物を無くしたり

散歩にどこを歩いたかわからず

出たらいつまででも歩き

家にだけはたどり着くものの

とても疲れてしまっていました


義理の母は

アルツハイマー型の認知症で

まず私の悪口を義理の姉に話していました

その上自分の夫がわからなくなってしまい

ベルトの束で「そこは〇〇さんの場所だから出ていけ!」と

殴っていました…


私達はそれに気が付かず


私は子供にもDVをする元夫から

子供を必死に庇っていました


そんなある日


義理の父が家にやってきて

(バスが分からず徒歩で来ていました)

私達に助けを求めてきました


来た時のその腕は血だらけで

「〇〇がおかしいんや、助けてくれ」と

言って来ましたが

多分以前からおかしかったのです

覚えていられなかったので

私達に助けを求めるのが

遅くなったのだと思います


何故その日はやってこれたのか…

(覚えてられたのか)

それは、血だらけの腕…です


殴られてすぐにやってきた

だから覚えてられたのだと思います


私は元々義理の父と母には

あまりよく思われていなく

よく嫌味を言われていましたが

我慢をずっとしていました…

だから嫌いでしたが

そんな素振りは見せていませんでした

だから助けを求めにやってきて


そんな義父ですが

血だけの義父を見て

玄関で涙してしまいました…


まず治療と血だらけの服を洗い

実家に元夫と義父、子供たちと

行きました


すると普通に対応されました…

ですが義父に対しては態度が一変

やはりベルトの束を掴んで

殴ろうとしました…


その時の母を見た時…

あぁ~認知症になってる…と

思いました…


殴るのを止めようとして

結果私が殴られたのですが

どこからこんな力が出るのか分からない

ほどの力で殴られて

やはり殴られる時庇うのに

腕で自分を庇うのだなと

思いましたが


痛さが尋常じゃない!

私も血だらけになりました…


すると義母は違う人間を殴ったことに

気が付き治療をしてくれました


息子である元夫は何も出来ず

ぼーっと自分の両親を見ていました…


私は子供も連れて行かないと

いけなかったので

子供に手を出されては困るので

元夫に子供と義父を連れて隣の部屋に

行くように言いました…


本来なら直ぐに言われなくても

やって欲しかった…


私は義母と話をしました

完全に認知症だと確信が持てました


なので

まだ凶暴でない義父を実家に残して

義母を連れて帰ってきました

嫌がりましたが

そこは口八丁手八丁です


ここは孫を使うのが1番だと思い


「明日学校で行事があるから

下を見ていてほしいんですけど

朝早いので今から付いてきて欲しいので、着替えも持って一緒に来てもらえますか?」と


言うと「あっそうなの?じゃあ行くわね

用意をするから少し待っててくれるかしら?」と


その時は放置をせず

用意も手伝うことが必要です

なので「あっ!手伝いますね」と

手伝いながら服などの量を横から増やして

元夫にこっそり渡しました


するとタンスの中から

たくさんの通帳が出てきました

隠していたのです


コレはアルツハイマーの方によくある事で

金庫があってもそこに入れているのも

心配で誰かが取ると思い込んでいて

隠し…隠したことを忘れて


「無い!〇〇に取られた!」となるのです


その相手が私でした…


あとから聞いた話


義理の姉に随分前から

私が通帳を取って勝手に使ってると

話していたそうです…

それを鵜呑みにしていた義理の姉…

おかしいと思わなかったのでしょうね

そんな状態でたとえ私が悪く言われていたとしても「こんなこと言ってきてるけど」と早く話してくれていたら


その時点で認知症だとわかって

初期段階で受診ができたのに…

その後は義母を家に預かり

大きな病院に予約を入れ

病院に行くのを嫌がるだろうと

わかっていたので


「実は私の検診があるのですが

一人だけ受けるのが怖くて…

一緒に受けてもらえますか?

そうしていただけたら、私も怖くなく

検診を受けられるので…」と


説得したら素直に「そんなに怖いなら

ついていってあげるわよ」と

付いてきてもらえることに…しめしめ


そして私は義母を認知症の検診に連れて行くことができました


受診をしながら

常に私がついていき

義母が呼ばれたら「私はまだみたいなので先に行ってくださいね。」


「あら…悪いは…」というので

「私は義母より若いのであとにされてるんだと思いますよ笑」と

笑いに変えては検診にどんどん

回ってもらいました


私が義母の検診より先に外にいることに対しても「あら?まだなの?」というので

「もう終わりましたよ~なんせ若いので( *´艸`)フフフ」「本当に冗談ばっかり(๑´∀`๑)」と言うので

「だってそうなんですも~んw」と

次々とそんな感じで検診は進み

ホッとしていました


もちろんその時に元夫も付いて来ています

子供を連れさせてついて来させていました


何故かと言うと

両親が同時に認知症だと言うことが

飲み込めてなかったようだったので…


最後の診断の時…

私の検診に付いてきたという事だったので

私だけが義母の症状を聞き

MRIでの脳の画像を見て

ひと目で縮んでいるのがわかりました…


もちろん後から元夫にも説明をしてもらいました


その間は私は子供と義母を見ていました

「どうだったの?」と聞かれたので

「全然大丈夫でした(*´꒳`*)」と

「良かったわね( ◠‿◠ )」と言われましたが

心の中では「あなたは認知症でしたけどね」と思っていました


元夫が肩を落として出てきました

私は先生に「義母に認知症だと伝えてください」とお願いをしました…


何故かと言うと


その当時認知症の進行を少しだけゆっくりにすると言われている薬があるということだったので

それを効く効かないは別として

飲ましたかったからです…


実はその時義理の姉もついてきていたのですが

何をするでもなく本当についてきているだけでした


認知症だと伝えられた義母は

愕然としていました

そこで薬の話をしてもらいました

認知症でも外にいたり何かの時には

接点が合うのか普通なのです


そして薬の話をしてもらって

私は義母に「飲まれますか?これは

ご自分で決めてください」と

言ったとき


義理の姉が「それを飲むと亡くなる方が多いと聞きました!なので飲ましたくありません!」と言い出したのです…


先生は「身内の方に一人でも反対の方がおられるのなら出せませんね。何かあった時こちらのせいにされるので…」といわれ

少し焦りましたが

「あとで文句など言いません!なので少しでも進行が遅くなるかもしれないと言われているのなら出して下さい」と言うと

また姉が「でもそれでも…」と言おうとした時


急に義母が「〇〇さん黙りなさい!

これは私の事を思って言ってくれている椛さんと先生と私の問題ですよ!あなたが

口出す問題ではない事です!!」と

怒ってくれたので助かりました


そして義母は

「少しでも進行を遅くできるかもしれない薬があるなら飲みます!それで私が明日死のうが何も言いません!」と言い切りました…

すると先生が義理の姉に対して

「確かに亡くなる方は多いかもしれません…ですが認知症になられる方が高齢だと言うことで亡くなられるということも

理解してください」と言われました


「ご本人と面倒を見られる方が望まれているので出します」と言って出して頂きました


そうなのです

このいつ暴れだすかわからない義母を

預かることになっていました

小さい子もいることも理解してくださって

私達の気持ちを理解してくださった

結果です


義父に関しては

後日万が一何かあったら困るので

一応検診を受けておきましょうか?

と言い連れていきました

そして「海馬が縮む方の認知症ですね

物事が覚えられないのはこれが原因でしょう。脳に関してはとても綺麗なので問題はないでしょう(アルツハイマーの事)」

義父も愕然としていましたが

少ししたらすぐに忘れていました…


ここから

私の本当の地獄が始まりました…


長くなりましたので

この辺にしておきます…

続きはまたいつになるかわかりません…


中途半端ですいません

ここまで読んでくださって

ありがとうございます((*_ _))ペコリ