しばらく旅行やその準備で忙しくしておりました。

 

旅行に行けるくらい回復した!

 

という意味で、まずは良い旅行でした。

 

そして、発達障害の診断を受け

その後抗がん剤治療を受けてから

初めての運転をしてきました。

 

心身と脳へのダメージが大きすぎて、

運転を辞めようと思っていましたが

それも克服。

 

障害が分かる前に当たり前だった日常を

取り戻しつつあります。

 

トラウマ治療で自分らしさを取り戻すと

失っていた力も一緒に取り戻せることが

分かってきました。

 

ここまでは良い部分。

ここからは悪い?部分。

 

ただ、それと同時に

失っていた自分自身の存在を感じるのです。

 

私の場合、だいぶ長い期間

自分不在だったので

どの時代を振り返っても

自分がそこにいなかったことを

冷静にでも確実に感じます。

 

意識的に、

肉体の自分から本当の自分を乖離させていたので

トラウマ治療から回復して

感情的な思いがなくなった後

何を依り代に存在していいのか

分からなくなる時があります。

 

いつも後悔ばかりの人生なので、

 

〇〇ちゃんと仲良くしたかったのに

それも出来なかったな

あの時ああしたかったのに

それも出来なかったな

 

とあの時感じないように

有耶無耶にした

昇華できなかった感情が

ふと湧き上がるのです。

 

何も得ることも積み上げることもできない

人生だったのを、

何も感じないことで逃げ切ってきました。

でも今は、感じることが増えたために

喪失感を感じることも増えました。

 

全てが落ち着いたら

腰を据えて話したいと思っていた兄も亡くなり、

回避性で共依存したがり相手の気持ちが分からない

アダルトチルドレンな父と話すと病むので

なるべく避け、

自己愛の異父兄弟とは二度と話すつもりもなく、

自己愛の異父兄弟大好きな母方の叔父叔母とは

喋りたくもなく、

実質天涯孤独な状況の今。

 

自分に何があるのだろう

何が残っているのだろう

と考えると、本当に何もないんですよね。

 

自己も肉体も何もかもを

とかげのしっぽのように切り離しながら

なんとか生き延びてきたので

友達も親兄弟も学歴も職歴も

やりたいことも健康も若さも、

私には残っているものが何もないんです。

 

その現実にきちんと目を向けられる

ようになったのは、

トラウマ治療のおかげなのですが。

 

もっと早く気づきたくて

ここまでがんばってきたのですが、

想定の倍の時間がかかってしまっていて。

 

何もない人生の前半戦と、

解決できない人生の後半戦で

脳が発達しないまま

肉体だけがダメージを負い過ぎてしまって

正直ここから何かをがんばるのは

しんどいなぁ・・と思ってしまいます。

 

それでも以前よりも現実を見ているので

救われているのだろうな

 

生まれ変わるなら、

絶対に仲の良い家庭に生まれたい

 

今の希望はそれくらいですかね

 

あとは、もし同じ人生をやり直すとしたら

どの段階でどう逃げるか

今度こそ絶対に別の逃げ方を試そう

と妄想してます。

8歳からどう逃げるか考え続ける毎日だったので

思考回路は常に「逃げる」でしたね。

 

 

そういえば旅行で民泊を利用したのですが、

隣ではしゃぎ回る子どもたちの声を聞いて

「あぁ、我が家ははしゃぐと怒られたな」

と思い出しました。

 

24時間親に守られながら遊び回る

よその子ども達と

24時間言論統制の下にいて

独裁者(親と自己愛の異父兄弟)の

機嫌次第でいつでも粛清される我々兄弟で、

同じ感覚の人間に育つ理由(わけ)がない。

 

運次第でいかようにも変わる人生ゲームにおいて、

亡くなった兄と私はただただ運がなかったのだろうな

ま、しょうがないっすね

 

今はそんな風に思います。

 

しょうがないで終わりたくなかったから

昔の自分からは考えられないほど努力したけれど

努力も正しい方向を向いていなければ

ただのあがきにしかならないわけで。

何も分からないまま、

恐怖に怯えながら
何かに憤慨しながら
死ぬわけじゃないだけ

まだマシなんだろうな
と思うことにしています。