自分の中にも上下左右前後に時間や気分の浮き沈みに体調の変化がある中で、軸ってどこに立てるのだろう。



何となく自分のことを平和を望む側の人だと思っていたけど、自分の心を紐解いていくと敗者とか少数派が嫌ってだけだった。
心の強さと心のよろいの強さは、似て非なるもの。

トラウマはトラウマ、つらいことはつらい、苦しいことは苦しいと認めることが出来て、初めて解決への一歩目となる。

無理に笑ったり、人に隠しているから強いわけではない。
自分の中心から逃げず隠さず、認め、向き合い、葛藤し、ありのままを受け入れるようになるしか本当の解決はない。

ただ、その一歩目の認められるようになる本当の冷静さを取り戻すまでには、人それぞれの多種多様な結果からの時間がかかる。

自分に見せつける自分の心のよろいから、人への心ない行動を起こしてしまうことが一つでも減りますように。

今までモヤモヤしていました。

癖で晴らし方や、前向きになれる方法等を模索していました。

日記を書きながらふと気付きました。

モヤモヤすることがあったことと、モヤモヤしそうな展開も起こりうる今を生きているのだから、モヤモヤするものだと。

 

これで私の感覚で得たものは、モヤモヤする原因への対処や対策方法ではなく、自分の心を無視しようとしていた根本的なことを改めて分かったことです。自分を見失っていたのです。虚勢です。これを人に向けると見栄になります。

それに気付いてから、モヤモヤの原因への対策をするのと、ただ居心地の悪さから逃れるために同じことをするのとでは、結果がどうあれ、その後の心の状態も変わってきます。

これは、前回のブログに書いた『納得』にも関係のあることです。

 

私自身、自分の心を理解した日からの浅さ、理解出来ている範囲の狭さと浅さと数の少なさから、まだまだ自分から逃れようとする癖は抜けません。なぜなら、便利な言葉で『甘え』ているから。

『甘え』が悪いのではなく、湧きおこる感情の元(外で起こる事象ではなく自分の心)を見てあげないというネグレクトをして、自分で自分を傷付けているのです。

 

先ほど、知っていたけど見失って見失ったことに気付かず、改めてこうして気付いた瞬間、胸の奥が軽くなる感覚があったので、しばらくは本物の心が晴れた状態、前向きな状態でいることが出来そうです。

生きていくために必要なことと、生きていく上で必要なことは違う。
密接に複雑に、そしてルールや育った環境等で決められたり決めたことで、生きていく上で必要な物を、生きていくために必要な物と思い込みながら、生活している人は少なくないだろう。
このことを知ったり、理解したとしても、やらなければならない物事に変わりはない。
ただ、自分の中で納得がいっているのかどうかが大事なこと。

納得がいっていない状態で日々を過ごしていると、無意識というのか、意識できていない所からのストレスを、自分で自分に与えながら生活をしていくことになる。
納得がいっていない状態で繰り返す日々の中、常に湧き起こる思いの一つとして(こんなはずではない)というものがある。
この状態から、抜け出すか抜け出さないか、抜け出せるのか抜け出せないのかに関わらず、ストレスは蓄積されていく。
ストレスの発散方法を試行錯誤したとしても、湧き続けるそのストレスを吐き出すには限界がある。

だからといって、無理に納得させようとしてもできるものではない。
納得のいく行動をするには、自分の本質、本質からくる純粋な思い、その思いからくるどうありたいのかを知っていなければならない。
これらを持ち合わせた上で、その環境や状況の中で、そうあろうとするための最高や最善を尽くすことでしか、納得はいかないから。