新年のご挨拶の文字入り写真を用意していましたが

それどころではなくなりました。

まずは、震災で被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。

 

私は東北の震災の時には東京にいました。

今までに体験したことがない揺れと時間の長さは

本当に恐ろしいものに感じました。

止まらない揺れに不安を抱き玄関の外に出て、大きく揺れる高層マンションを

呆然と眺めながら死を感じたのも初めての経験でした。

震度5前後の関東では2つの地震(震源地合計3箇所)が立て続けに起こった結果

揺れている時間が長かったのだと後で知りました。

とにかくまた大きな地震が来るのではないかと怖くて

コンロの火を使うことができず、お湯を沸かすことも躊躇し、

しまいこんでいた電気湯沸しを引っ張り出して使っていました。

あれだけ大きな地震だったのにも関わらず、電気、ガス、水道が

使えたのはありがたいことでした。

結局、家から外に出ることもできずに、TVをつけっぱなしで

3日後くらいにスーパーに買い物に出て驚いたのは

マンションの敷地内にほとんど被害を目にすることはなかったのに

敷地外に出た途端、液状化?と思われる被害があちこちにあり

スーパーの建物と歩道との段差が目立っていたことでした。

そして、すぐに食べられるものをと買い物に出たのに

残っていたのは粉類だけでした。

これを目にした未来は買えないことがトラウマになったのか

食品を溜め込むようになりました。

一人暮らしをしていた友人はやはり死ぬかと思ったらしく

このまま結婚もせず、子供も持たずに死んでたまるか!と

急に婚活を始めました。

東北の被災地でなくても、あの地震で価値観が変わったとか

人生観が変わった人はたくさんいるんだろうなと思います。

 

北海道の地震の時には小樽にいました。

深夜中の深夜だったにも関わらず、なぜか起きていて

警報音→停電→揺れという順番だったため、震源地は近くはないと

思いましたが、実際にはそれほど遠い場所ではありませんでした。

ただ、震度5の経験があるため、揺れ自体は大したことないと感じました。

問題は地震後のブラックアウトです。いつ復旧するのかもわからず、

地震発生直後から電灯がついていた近所のマンションが羨ましかったです。

その時、初めて気がついたのですが、電気が使えないと

お風呂に入れないということです。給湯器のスイッチが入らないからです。

モモンガの会社はとりあえず電気が使えるようになるまで自宅待機となりました。

翌日の午前中(まだ停電中)開業してる銭湯があると知って、急いで行きました。

浴室内の洗い場で列ができるという混みようでした。

もう一つ問題だったのが携帯が使えないことでした。(充電の話ではなくて電波)

携帯が使える場所を求めて観光地を彷徨い、たまたま知り合った

新婚旅行のカップルと2時間以上も雑談をして、名前も知らないまま

お互いに頑張りましょうねと言い合って別れた、なぜかほっこりした

気分になったことは災難中のいい思い出。

結局、短いところで1日半、長いところで丸2日、停電状態でした。

結果的に2日間であっても、いつ復旧するのかわからない状態というのは

相当なストレスになります。

地震当日にマンションの郵便受けの上に

ご自由にどうぞとメモ付きでビニールで包装されたままの

ブリックパック(24本くらい?)が置いてあったことも忘れられません。

 

今回の地震(東京滞在中)はあれ?地震?程度の横揺れから始まり、

揺れ幅がだんだん大きくなって時間も長かったせいか地震酔いをするほどでした。

開けっ放しになっていた廊下とリビングの間にあるドアが

大きく揺れ続けたほどです。

これも初めて体験する揺れ方だったので、もしかしたら遠くで大きな地震が

あったのではないかとすぐにTVをつけました。

そしてその後の飛行機の事故。あぁ、なんということでしょう。

 

地震の当日、ツイッターを見ていたら住所明記でのSOSをたくさん見ました。

その後、何やら注意喚起も多くなりました。

すぐに食べられるものを買いたくても物がない不安は体験してみないと

わからないと思います。ましてや被災地の人たちの思いはいくら想像しても

想像に過ぎません。

 

思う(心配する)気持ちを忘れないこと。

被災地の人たちの声を聞く姿勢を保ち、その上で自分ができる行動をすること。

それが大事かなと思います。

 

PHOTO BY JuJu