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No title

■適当
■予定
■愚痴

とりあえず開店直ぐに、ヤマダ電気に突撃してみました。


そう、新年セール的なやつです。



もちろんひとりで突撃したわけだが・・・



「やべぇwww単独で行動してるの俺だけじゃね?www」




ここから、私の精神は壊れ始めた。



「あぁwwwたくさんの店員さんたちが僕を見てるwww殺されるwww」



「あぁwww絶対みんな僕をかわいそうな人だと思ってるwww」






とりあえず外へ脱出してみました。



タバコを3本吸ったら落ち着きを取り戻したので




再びゲットインヽ(゚◇゚ )ノ







無理無理www落ち着いて商品とか見れないよwww



トコトコと、店内の奥に進む私、、。



もう、挙動不審レベルは尋常なものではない。



やりました!!ww完全に通報される一歩手前ですよwww



「やっとここにたどり着いたか…」


私の前に広がる景色は、たくさん表情をもったパソコン達。





【ヤマダ電気エピソード2】へ続く

別にふざけてタイトルつけたんじゃないよ| 壁 |д・)


これ、1950年に作成された映画らしんだけど…


これを見てから「最も美しいものは何か」っていう


テーマで文章作らなくちゃいけないんだよね(^O^)/オワタ


ほんっとに分からないwwww完全に詰んだwwww


メモ的な感じで作ったんだけど、よけいに混乱しましたwww


っていうか理解してませんwwしにそうです。どうでもいいです。


美学・芸術学「最も美しいものは何か」~神の道化師・フランチェスコ~

(1) そもそも、美とは何か

l 形而上学的な問題

l ありのままの美など、説明できない(何らかの外的な力が加わっている)

l 美は人間が関与しなくてはならない

l 美は、ジャンル分けが可能なものである

⇒最も美しいものは、ジャンルに捉われてはいけないもの

l 美は、主観の一時的な状態によるもの(審美的コンテクストによって決まる)

l ものには一定の固有色はない。空気、光によって決まる

l 美とは、見る者の眼の中にある

2)完全なる歓びとは何か

l 「キリスト教を不信な者全てに布教させることは完全なる歓びではない」等々

⇒完全なる歓びとは何か

⇒屈辱や試練に耐えること

3)自然が最も美しいのか

*映画では、自然をよく描いている作品であった(小鳥に話しかけている点も、自然と同化している)

*自然と同化しているように思われた。(自然を愛していた。同時に友とも思っていた)

*しかし、自然が「最も美しい」と言えるだろうか

4)人間が最も美しいのではないか

l そもそも、我々人間は卓越したものなのではないだろうか(自然、人間自身も)

l Bが、想像していたことと違う行動を取るAを見る(王との対峙シーン)

l 謙虚さ

l 生き方から実証される、その人自身「人間」に現れてくるもの

⇒最も美しいものではないだろうか

l 人間には徳愚、善悪の限界を有してはいない

5)自然よりも、人間が最も美しいと言える根拠

確かに、自然は裏表がなく、純粋なもので美しいものであるが、美しいと思うのは我々人間が関与していなくてはならない。

自然は我々に対して絶対的な存在者である。(噴火、地震、津波)しかし、我々は同化する事も出来る。

我々は自然と共に生きることが出来る

我々が生きていく上で、必要なものは何か。⇒感情、心と心の交流

考える力を持っている。自己の発見。初めて見る人間の行動

新たな感情が生まれる。

生き方から実証される、その人自身「人間」に現れるもの

それに魅了され、従う者。そこから生まれる新たな感情。


正義とは一体なにか。それを一通り踏まえた上で、社会の在り方を以下本論に展開していくことにする。


 正義とは、社会の成立や維持には必須のものである。


例えば、法律に正義がないのならば社会の秩序を保てないからである。

しかし、正義だけでは効果がない。


力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的だからである


故に、正義と力を一緒に置かなくてはならないのだ。


ということは、正義が正しいか、力が正しくなくてはいけないのだが、正義は議論の種になる。反対に力はハッキリしているものである。力が正義に反対したため、正しいものを強くできなかった。正義を強力化することができなかったのだ。


では、正義の「議論の種」、力の「ハッキリ」とは一体どういうことだろうか。


これは、内的なものか、外的なものか、という分類が可能だろう。


内的なものに関しては、目には見えないものなのでその力量などが測ることが出来ずに、戦い、内乱が生じてしまう、いわば「議論の種」であって、

外的なものに関しては、ただ単に数を数えさえすればいい、目で確認することが可能なので、明確、「ハッキリ」しているのだ。(力>正義)ここでは、「腐敗した理性」との関連が読み取れる。(理性・内的で判断⇒内乱)

 



このように、力によって支配的な一党(社会)が決定される。しかし、力というものは決定力があるが持続力がない


ここで、戦いが続くのを欲しない支配者は、民衆などが気に入る方法で受け継がれていくように制定する。そしてここから、

想像力

習慣」といったことが、重要な役割を占めることになるのだ。

<力による社会決定⇒力では持続できない⇒想像力の網+習慣による維持>という社会の様子が読み取れる。また、真正の法、自然法を、腐敗した理性ですべてを腐敗された社会、とも言えるだろう。