わかる、という表現は正しくないかもしれない。
しかし、日常会話の中で頻繁に耳にするのも否定することが出来ない事実。
では、わからない、という表現はどうだろうか。
個人的に「わからない」という言葉の方が、現実問題多く使われているのではないかと思った。
改めて考えてみると「わかる」「わからない」の境界線は
知っている、知らないという判断基準ではなく
知ろうという姿勢か、知らないでもいいという姿勢
なのではないだろうか。
22歳という年齢になれば、ある程度個人の判断基準は定まってきているはず。
これを肯定的な目線で見るか、否定的な目線で見るかは各個人の勝手だろうが
私の中では、否定的な目線で見た方が、自分を成長することが可能なのではないか、と思っている。
知らなくてもいい、という暗黙の了解を、自分自身で決定していないだろうか?
もしかしたら、有効な情報を読み落としているかもしれない。
一度自分をリセットして、高い目線を持つようにし、広角的な目線を獲得できるよう心掛けることにしよう。