mokyan です。
ふと、
深く考えさせられる出来事が。
私、基本サンダル好きでして、
日本からサンダル持ってきたんです。
こっちだと履きやすいのが無いの知ってたので。
で、先週その愛用のサンダルが切れてしまったんです。
まぁ履きつぶしちゃったんですが。
かなりハードに耐えてくれましたが、寿命4ヶ月。
あぁ~あ、新しいの買わないとなぁ。。
と思っていた時、たまたまそのタイミングで友人が訪ねてきて、
「サンダル壊れちゃったから新しいの買うのついてきて」って言うと、
え!?
買うの??
って驚かれたんですね。
直せるよこれ、って言うんです。
そいで路上の靴屋さんのとこに行って、修理をお願いし、
20分もすれば完全に元通りに使えるようになりました。
履きやすかったので大分落ち込んでいたんですが、
全く問題無くまた履けるようになってすごい嬉しかったんですね。
で、この、
また使えて「嬉しい」
っていう感覚が、すごく新鮮だったんです。
サンダルですよ。
あんまり直すって発想ありませんよね。
サンダルじゃなくても、セーターでも電子レンジでも冷蔵庫でも同じだと思います。
大体壊れたらまた新しいもの買いません?
おじいちゃんおばあちゃんのような年配の方とか、
ものすごい地方だと別かもしれませんが、
基本、今の世代って生まれた時からモノが安価で溢れてますから、
まぁモノで困る事ってないです。
でこのまた使えて「嬉しい」って感覚は、
「愛」だな、って思うわけです。
あるモノ自体に対して、自分の身の周りのモノに対して
一人の相棒のように「愛」があるなと。
でもなんで、じゃあ今は壊れたモノを直さないでまた新しいモノを買い替えるかと言えば、
「直すくらいなら新しいモノを買った方が安い」とか「値段がほとんど変わらない」
とかいう言葉がよく出ると思います。
小さい頃は、ちょっと壊れただけで見た目ゴミとは程遠い「モノ」を捨ててしまう事に
小さな違和感を感じたでしょうが、結局新しいモノを買った方が安い、得、
という事を自然に教えられながら育っていくので、
そういった感覚や価値観はだんだん消されてきてしまうわけです。
「モノ」に対する愛情や価値観は明らかに下がっていっていると思います。
でないとファストファッションなんてのはこれだけ流行らないですよね。
おそらく、「モノに対する思い入れ」という観点から今の自分達の感じている世界と、
少し昔の人達が感じている世界は全然違うんでしょうね。
で、
これらってただの見方の違いだけであって、
「直してまた使いたい」って思う、
そこには損得勘定は無いわけです。
あるのは純粋なモノに対する思い入れだけ。
「どうせなら新しいモノを買った方が得」と思う、
そこには損得勘定が存在するわけです。
ではではその損得勘定の基準とは何か?
何?
それは「お金」と「それから得る快楽」。
まぁその快楽はお金という価値観の土台にのっかっているので、
突き詰めると「お金」価値観の世界とも言えるわけです。
これが今私らの多くが住んでいる世界。
別に壊れたモノ、理屈抜きに直してもいいんです。
でもそこに「お金」という存在が介入すると、途端にそれは「ゴミ」に変わってしまうという、
まあ!なんてトリッキーな手品でしょう!フランソワ!
そう、一瞬でゴミに変わってしまうんです。
不思議ですよね?
不思議ですよね?
でもしかし、
そうする事で経済が速く回っていくし、
速く回せば回すほど「お金」が入ってくる社会なんです。
そう、一番大事なのは最後の「お金」。
私らの多くはそんなちょっと、というかかなり、
不思議な形にシステム化された中に住んでいるという事ですね。
言いかえれば使わないゴミを出せば出すほどお金という紙キレが多く手に入る社会。
そして多くの人がその紙キレを求める社会。
誰もがなんとなくそんなもんだ、
となんとなく漠然と思っている。
なんだか奇妙奇天烈ですねw
復活したサンダル~ ↓
ふと、
深く考えさせられる出来事が。
私、基本サンダル好きでして、
日本からサンダル持ってきたんです。
こっちだと履きやすいのが無いの知ってたので。
で、先週その愛用のサンダルが切れてしまったんです。
まぁ履きつぶしちゃったんですが。
かなりハードに耐えてくれましたが、寿命4ヶ月。
あぁ~あ、新しいの買わないとなぁ。。
と思っていた時、たまたまそのタイミングで友人が訪ねてきて、
「サンダル壊れちゃったから新しいの買うのついてきて」って言うと、
え!?
買うの??
って驚かれたんですね。
直せるよこれ、って言うんです。
そいで路上の靴屋さんのとこに行って、修理をお願いし、
20分もすれば完全に元通りに使えるようになりました。
履きやすかったので大分落ち込んでいたんですが、
全く問題無くまた履けるようになってすごい嬉しかったんですね。
で、この、
また使えて「嬉しい」
っていう感覚が、すごく新鮮だったんです。
サンダルですよ。
あんまり直すって発想ありませんよね。
サンダルじゃなくても、セーターでも電子レンジでも冷蔵庫でも同じだと思います。
大体壊れたらまた新しいもの買いません?
おじいちゃんおばあちゃんのような年配の方とか、
ものすごい地方だと別かもしれませんが、
基本、今の世代って生まれた時からモノが安価で溢れてますから、
まぁモノで困る事ってないです。
でこのまた使えて「嬉しい」って感覚は、
「愛」だな、って思うわけです。
あるモノ自体に対して、自分の身の周りのモノに対して
一人の相棒のように「愛」があるなと。
でもなんで、じゃあ今は壊れたモノを直さないでまた新しいモノを買い替えるかと言えば、
「直すくらいなら新しいモノを買った方が安い」とか「値段がほとんど変わらない」
とかいう言葉がよく出ると思います。
小さい頃は、ちょっと壊れただけで見た目ゴミとは程遠い「モノ」を捨ててしまう事に
小さな違和感を感じたでしょうが、結局新しいモノを買った方が安い、得、
という事を自然に教えられながら育っていくので、
そういった感覚や価値観はだんだん消されてきてしまうわけです。
「モノ」に対する愛情や価値観は明らかに下がっていっていると思います。
でないとファストファッションなんてのはこれだけ流行らないですよね。
おそらく、「モノに対する思い入れ」という観点から今の自分達の感じている世界と、
少し昔の人達が感じている世界は全然違うんでしょうね。
で、
これらってただの見方の違いだけであって、
「直してまた使いたい」って思う、
そこには損得勘定は無いわけです。
あるのは純粋なモノに対する思い入れだけ。
「どうせなら新しいモノを買った方が得」と思う、
そこには損得勘定が存在するわけです。
ではではその損得勘定の基準とは何か?
何?
それは「お金」と「それから得る快楽」。
まぁその快楽はお金という価値観の土台にのっかっているので、
突き詰めると「お金」価値観の世界とも言えるわけです。
これが今私らの多くが住んでいる世界。
別に壊れたモノ、理屈抜きに直してもいいんです。
でもそこに「お金」という存在が介入すると、途端にそれは「ゴミ」に変わってしまうという、
まあ!なんてトリッキーな手品でしょう!フランソワ!
そう、一瞬でゴミに変わってしまうんです。
不思議ですよね?
不思議ですよね?
でもしかし、
そうする事で経済が速く回っていくし、
速く回せば回すほど「お金」が入ってくる社会なんです。
そう、一番大事なのは最後の「お金」。
私らの多くはそんなちょっと、というかかなり、
不思議な形にシステム化された中に住んでいるという事ですね。
言いかえれば使わないゴミを出せば出すほどお金という紙キレが多く手に入る社会。
そして多くの人がその紙キレを求める社会。
誰もがなんとなくそんなもんだ、
となんとなく漠然と思っている。
なんだか奇妙奇天烈ですねw
復活したサンダル~ ↓
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