【公爵】を人質に社会に物申す作品か?…と思いきやどっこい、それだけではなく、家族のあたたかさを感じられるお話でした。
ケンプトンは正しい人。どこまでも真っ直ぐで優しくて明るい。理想家、というか夢想家。
例え雇用主相手にでもおかしい事はおかしいと言う(そしてクビになる)
自分だって裕福じゃないのに、いやだからこそ、なのか、お金が無くて困っている人を放っておけない(そして仕事をクビになる)
あまりに優しくあまりに正しいがゆえにこの世界では生き難かろう…と思うのだが、ケンプトン自身がとにかくめげない・落ち込まない・何かが駄目だったらじゃあ次にってなるから見ていてこっちも気落ちしない。
奥さんのドロシー。そんな夫に対してもやもやかりかりしているけれど。
でも無理もない。たぶん私もこんな人が傍にいたらきっとイライラするわ(´∀`;)
それでもドロシーは離れない。
夫がやっている事を完全に受け入れているわけではないし自分の考えをしっかり持っている。
ちぐはぐな夫婦なんだけど、でもそれがいいな。バントン夫妻はどこまでも一人と一人で対等なんだ。
後半の…公判のシーン!(言いたかっただけ
いやもうこれめっちゃおもしろかった。コントみたいだった。
理由は決して悪ではなかったけど、でも盗みは盗みだし…どういう結果になるのかなぁ…って思っていたら、まさかの有罪なのは「額縁を盗んだ」だけ。
いやぁ陪審員さん達、粋だねぇ。
実際の所は「それでいいの?」って思うんだけど「これでいいか」と思えるのが映画の力かな。
この事件、というか、騒動、を通して家族の溝も埋まって行く。
というか最初からそんなもの無かったのかもね。
ケンプトンが出所した時、ドロシーが迎えに行き、そして我が家で出迎えたのは息子と亡き娘の写真。
悲しみと喪失を受け入れるから得られるあたたかみもある。
ちなみにこの「優しい泥棒」の「優しい」の意味。
あ~そういうことか…ってなる。ださい邦題がよくよく付くけどこれは良い謎かけだったかもしれない。

