ツイステ風のタイトルにしてみました。
2月は全然ブログ書いてませんでしたね。3月はもう少しがんばりたいと思います。
更新がないにも関わらずアクセスして下さった方々、まことにありがとうございます。
もうすぐ2月も終わりますね。うそだとおもいます。
2月何してたかな~とぱっと思い出せないのでツイセーブ見ながら振り返りたいと思います。
■2日が節分、3日が誕生日
「節分が誕生日です」が通じない年が来るとは…
でも3日に豆まきしましたけどね!恵方巻き食べましたけどね!
家族で鬼滅のはんてん着てやりました!恵方巻きも鬼滅のやつ予約しました!
たのしかったです!by三十児
因みに私が「大人になっちゃったなぁあたし…」と思ったエピソードが別部署の女子がうちの部署を「そちらのチームはみんな仲良しで良いですね」と言っていたという話を聞いて「ああ、トナシバってやつですね」と言おうとしてやめた事です。
■シ゛…ロ゛…モ゛…
モルカーにはまりました。私のかわいいシロモはいつになったら脱スイカするのでしょう?
■一生ナゴヤについて行く。そう誓った。
ヒプマイのライブ配信見ました。ナゴヤもシンジュクも中王区も最高でした!
早くCD聴きたいですねぇわくわく。投票とかしたことないんで四苦八苦しながら投票しました。
コミカライズでBATの過去が描かれていると聞いて読んでみました。号泣しました。
アマンダ…アマンダ…アマンダアァァァァァァァァァアアアアアア!!!!!!!!!!!
■ドラマ「コウラン伝-始皇帝の母-」がおもしろい
衣裳が美しい~女が強くてこえ~メンヘラとサイコパスの愛憎劇最高~!
■大河ドラマ「青天を衝け」視聴開始
麒麟をちゃんと見れなかったので今年こそはがんばってみようとかと思います。
汚い玉木宏はかっこよくて美しい。
■ゲームあれこれ
刀剣乱舞→6年目にして自分がゲームだったってやっと自覚したんだね!?花札楽しかったけど楽器ドロップが激渋だったんで次はそこを挽回して欲しいナ☆
ツイステ→飯テロイベント。デュースくんがナイフとフォークの特訓がんばったのかと思うと愛しさ増し増し。高得点くれたヴィ様の「きゃっほーい!」みたいなポーズがキュート過ぎて10点×∞
FGO→は゛じ゛め゛ち゛ゃ゛ん゛
文アル→↑の三つが忙しくて司書業放置気味だったので3月は頑張る。
■海賊戦隊ゴーカイジャー10周年!
おぉぉぉめでとうございます!!!!!!!!
2011年2月13日が海賊戦隊ゴーカイジャー第1話の放送日だったそうです。
今でも大好きだよ宇宙海賊!!!
2月はネトフリとかアマプラ活用出来なかったのでもうちょっと古い映画とか海外ドラマとか見たいと思います。
以下辛気臭い独り言になるので閲覧注意です。
私が最後に東京に行ったのは2020年3月です。
推しのカレイベは中止になったけれどそれでも、というかむしゃくしゃして東京に行ってフォロワさんと会ってお茶したり呑んだりしました。
今思えば結構ギリギリだったな!
最後の観劇は2月1日。西田さんのディスグーニーの舞台ですね。
その翌日のお船フェスも観たのでコロナ禍前の最後の推し活は船フェスになります。
2月2日だったんで誕生日直前という個人的にはめでたい日で、大盤振る舞いの西田さんのコーナーで当てて頂いて名前読んで貰ったり色々言って貰ったり…ハッ、あれがファンサってやつ!?
私の最後の「推し活」の思い出はこれです。
思い返すとなかなか贅沢だったのではないでしょうか。
流石にこれだけ年月が経てば観劇とかライブとか、いわゆる「現場至上主義オタク」以外のオタク道があるのではないかと思い始めて来ました。
事実、在宅オタク(この単語結構気に入っている。ラップみたいだから!)でも結構楽しい。というかだいぶ楽しい。
職場でオタク話ができる人が増えたというのもあるかもしれません。
たぶんツラ付き合わせてオタク話が全くこれっぽっちも出来てなかったらもっと病んでいた。
それでもやっぱり観劇したという話を聞くとすごく羨ましく思う。
そういう話を聞いて思い出すのは思い入れが深い劇場の事ばかりだし、座席から見えるあの景色だし、大好きだった作品のことばかり。
未練、心残り、とでも言うのでしょうか。観劇というものが凄く恋しくてすごく愛しい。
私には私の生活の事情があって、それを自分なりに考えた上で「自分が納得できるまでは、憂いが晴れるまでは県外から出ない」と決めているのであちこち行っている方々を責めるつもりは勿論ありません。それはただの八つ当たりなので。
これまでの人生、私は本当に好き勝手全開でオタ活して来ました。
なので今後二度と前のようなオタ活が出来ない、となってもそんなに悔いはありません。
あまりません…かな…本当かな…?(ちょっと自信がない
私は薄情者なのでそんな事になったらとっとと別の夢中になれて楽しめるもの探すと思います。
現に今がそんなもんですから。
それでも“そう”ではない今は、やっぱり諦められないんですよね。「いつか」を捨てられない。
だって待っていられるんですもの。もう待つことすら出来ないとなったら本当に願うことをやめないといけないけど。
昨年末、推し活方面と親戚方面、双方でそれぞれの永遠の別離というものを経験しました。
改めて「次」や「今度」や「いつかまた」がある幸福を噛み締めました。
コロナ禍以前にも公演中止は何度も経験しました。
多くは自然災害によるものでしたが、ひつとだけ、人の死による公演中止というものがありました。
それは幕が上がる前に中止になり、事情が事情だけにプロジェクトの再始動というものもないでしょう。私もそれは望んではいけないものだと思ってしまいます。
けれどもどうしても忘れられません。公演プロジェクトが復活して欲しいとは思いませんが、それでも忘れられない。忘れたくないのです。
「待てる」ということは幸福です。僅かな可能性でも未来を夢見れるなら時間が進んで行きますから。
以前「夢は呪い。解くには夢を叶えなければならない。それが出来ないならずっと呪われたまま」という言葉を聞いた事がありますが、期待を持って待つというのも一種の呪いでしょう。
呪いであり、祝いでもある。
自分でも言うのもなんですが、2年前はあっち行ってこっち行ってしてた私がこんなにまるっと在宅オタクしてるなんて、結構だいぶ凄い事だと思うんですよ。
でも別に「がんばって色々我慢していたからあとあと良い事あるよ!」なんて事は信じていません。
さすがにそこまで夢見る小娘ではない。見れたら良かったんですけど。
たくさんのことを諦めました。たくさんのことを我慢しました。今も我慢しています。
どれだけ綺麗な言葉で取り繕うとも、それが当然の努めであろうとも、私は辛いし悲しいし悔しい苦しい。
仮に、仮にですよ、コロナ明けて何気兼ねなく遠出出来るようになって存分に遊べるようになっても過ぎた時間は絶対に戻らないんですよね。
自粛している今の自分は正しいと思っているけど、それでもこれまで、そしてこれから捨てなければならないであろういくつかの事はいつまでもいつまでも後悔するでしょう。
ああしたかった、こうしたかった、と心の中で駄々を捏ね続けるでしょう。
この心に溜まった澱みとどう付き合って行くかは今後の私の努力次第なんですけどもね。
何も慰めが欲しいわけでもないし同情や憐れみが欲しいわけでもありません。
誰も怨んでいないし憎んでもいません。人は時代の流れの中で生きるもの。
この時代に居合わせたからにはこの時代の波に乗りつつ、そして溺れないように渡らなくてはならない。
今のこの時代の、殆どを受け入れて、ほんの少しだけ拒否しています。
こうした感情を書く事は、誰かに聞き入れて貰える希望もありつつ、踏み荒らされる恐怖もありつつ、なのですが、やっぱり書く事で楽になりたかったので書いてしまいました。
ここまで読んで下さってありがとうございます。