元気が出たらいずれ書きたいと思っている話題なのですが、今気分がノっているので少しだけ。
2年前くらいから私の中にある疑問というあモヤモヤというかよどみというか、永遠の課題がある。
推しへの最適の賛美とはなんだろう?と考える。
あくまで個人的な感覚なのだが「顔がいい」とか「かわいい」とかは決して褒め言葉ではない。
というのは私にとって「顔がいい」も「かわいい」も「大好き」くらいの意味合いだからだ。
「美しい」は評価の部類に入るけど時と場合による。
私の中で圧倒的な美とは圧倒的な芸術性であり、そしてそれは技術からなるものだからだ。
が、これは時と場合による。
こと表現の場であるなら「美しくない方が相応しい」時もあるから。
タイトルに「技術の評価」と書いたけど、技術を理解するのは難しい。
私も長いこと舞台ファンをやっているけど演劇のことなんてサッパリわからない。
だから感情的な言い方しかできなくてなんとももどかしい所がある。
別にただの娯楽なんだからそこまで突き詰める必要はない。
ないけども、私はやっぱり推し達の「技量」の見つめたいと思う。
フィギュアスケートならスケートの技術、役者なら芝居の技術、そういう面で「ここが凄い!」というものが見える眼が欲しい。
審美眼というやつだろうか。
こればっかりは欲しいと思ってもいきなり能力に目覚めたりするわけではない。
やっぱり経験と知識の差なのだろうか。うーむ。
推しは推しの時点でだいたいなんでも好きなのだ。
好き、というか肯定してしまうのだ。
オイオイ、と思っても、まぁよっぽど自分の地雷を踏まれない限りは結構ずっと好きだ。
「お金を払って芸をお買い上げしたい」と思う内は推しは推し。
だがしかしこれは芸能界に所属している推しのみにあてはまる事なのでアマチュアアスリートである推しにははまらない。
何か作品に触れた時、なるべく「かわいかった」「顔がよかった」以外の事を言うようにしている。
上手いか下手かはさておき、推しのこういう所の芝居が良いと思っただとか目に留まっただとか、そういう事を書いておきたい。
推しは役者だから、役者として響いた所を見付けたいと思う。
役者として響いた所=芝居という技術、である。
話が少し戻るが私の中で「かわいい」とか「顔がいい」とかが推しへの役者としての評価ではないとなっているのはそれが役者としての技量と何の関係もないからだ。
「表情が良い」のは別。
私の中で、私が感想を言う時の問題というか感性というか、本当に私語録?なんですが、私が何か作品を見て「かわいい」「顔がいい」以外の感想が出て来ないとしたらそれはそれ以外に言うこと何もない時だ。
人として素晴らしいのは大切だと思う。
かつて羽生選手が言った「人として素晴らしくないとそこについてくる結果もまた悪いものになってしまう」というのは有名人に限った事ではない。
たまに「どいつもこいつもこの言葉を一万回書き取った方がいい」と思う事がある。
私も書き取ります。はい。
だがしかし、人ととして素晴らしい…とまではいかなくてまともであるのはまずもって大前提であってほしい。
その上で役者として技量の評価をしたい、と思ってしまう。
好きな役者の技量を語らずに人格や容姿や「キャラ」の事ばかり褒めたら、私は彼等・彼女等の何を買い上げて何を目にしているんだろう…と自分でやっている「買い物」の意義が分からなくなる。
だから推しが仕事をしている時は「かわいい」「顔がいい」以外の事を言いたい。
言ってあげたい、というとウエメセかもしれないけどそういう気持ちも無くはない。
推しが役者として板の上に立って責任を果たそうとしているなら、やっぱり「役者」としての評価をしたいと思ってしまう。
どうしてか、というと、やっぱり「推しは役者」だし「役者の推しを推しているから」なんだと思う。