マジで口ではなんと言おうが心は砂漠か氷河期か死海かみたいなとにかくなんかヤバい地帯みたいな感じで。
私は推しがたくさんいるので幸いにもその推し達がじゅんぐりじゅんぐり最新のトキメキを供給してくれていて、
それは凄くありがたいし嬉しいしいんですけどそもそも飢えに飢えているんでそれが切れるとすぐくさくさしてしまう。
いや、もうなんかゾンビかもしれない。今の私はゾンビみたいなものだ。
体は生きているのに魂がないゾンビ。
世界が動き始めていても私はまだ壁を越えられないし、いつ壁を越えられるか分からない。
もしかしたら一生壁を越えられないかもしれない。
私は分断された世界の「こっち側」にいる。元々そうだったけど世界の「動き」は決して一様などではない。
やっぱり2011年を思い出す。そちらとこちらではまるで何もかも違うのにどうして全てが同じで全てが一つのような語り方をするのだろうか。
その違和感というか、憤りというか、あの針でチクチクと刺されるあの感覚を思い出す。
それもその筈なのだが私の感情はそんなに簡単ではない。
自分と全く同じ「何か」なんてこの世には存在しない。
かと言って憐れみをかけられるのも腹立たしいし慰められても励まされても虚しく感じる。
「ポジティブは意思、ネガティブは感情」というツイートを見たけれど、それなら今の私は感情という荒波に意思という船が飲まれかけているのだ。
まさに難破寸前。
趣味に依存しているつもりはないし、予定がどれだけ潰れても予定がどれだけ立てられなくても、諸々の払い戻し金額が給付金以上でも、
私は趣味を人生の逃げ場にしているつもりはない。…なかったのだが最近は自信がない。
一体何に納得出来ていないのか、一体何に悔しいのか自分でもよく分からない。
本当に再び劇場に足を運びたいと思っているのか、単に意地になっているだけなのか、もうそれが分からない。
私が言うと上から目線になってしまいそうだけど、今はやるもやらないも正しいのだと思う。
というか、何を選んだにしてもいずれ「正しかったのだ」と思えるような行動をしなければならない。
選択が正しいか間違っていたかは選んだ瞬間は分からない。
少しずつでも対策をしつつもコンサートや演劇が行われている昨今の状況に喜ばしく思う。
その一方で些かの引っかかりもある。
音楽も演劇も、とにかくエンターテイメントは受け取る側の心を動かしてこそ。
不可能であっても完璧を目指す芸術作品であるべき、と私は思う。
春先ほどにも少し感じていたけどなのだけど、今のエンタメは一体何と戦っているんだろう?と疑問に思う事がある。
何かに屈しないように、何かに負けないように。
エンタメもひとつの戦いではあると思う。あるけど。
たまに思う。「戦う相手そこじゃないんじゃない?敵はそれじゃないんじゃない?」と。
決して全てがそうではないと思うけど。
あれだけ好きだったエンタメが少し恐ろしく思えてしまう。
私が好きだったギラギラそういうんじゃない、と。
今の私は相当弱っているので、私の方こそ敵でも無ければ脅威でもないものを勝手に怖がっているだけなのかもしれないけど。
「元の生活に戻れるように」とはよく聞くけど、恐らく「戻れる」ことはない。
私はもう「元の生活の感覚」を忘れてしまった。思い出せない。
2011年の時もそう。あの日より以前の、自分がそれまで持っていた価値観や感性を、今はもう思い出せない。
今は、たぶん何かもが途中な感じがする。
こういう言い方すると実にちゅーにくさいが、旧世界から新世界へ向かって旅をしている途中なのだ。
そして旧世界で在った形を新世界への移住に向けて変えなければならないのに上手く行かない。
難しくて賢い方の意味で言うと変態が上手く行ってないとでも言うべきか。
ああ、人の形が保てていない…と日々思っている。早く固まりたい。
ぶっちゃけエンタメ救うより私を救ってくれよ!と思う。というか思いついた。
けれど誰も救ってくれない。私にとって何が一番の救いになるか分かっているのは…そう、この私!
私の救世主は私自身!私こそが私の神!
…オチが分からなくなって来ました。
神にはならんでもいいのでせめてゾンビから人間に再進化したいです。