三寒四温といいますが、今の季節はまさにそんな感じ

つい先日まで冬に逆戻りしたかのような寒さでしたが、今日はぽかぽかと暖かい陽気でほっとしますね。

この間新しい年が明けたと思っていたのに、もう桜の季節。卒業式や入学式のシーズンになりました。毎日の楽しみにしていた朝ドラもいよいよ終盤です。長い前説の行きつくさきはそこかい!と突っ込まれそうですね(笑)

今回のドラマの主人公、あさの生き方ももちろんステキですが、そのほかの登場人物の生き方もサイドストーリーとしてほのかに流れていていい味を出していました。

その中でもオトナ?のワタクシの心にひびいたのは、友近さん演じるうめの生き方でした。

あさは、ドラマの中でも、モデルとなったご本人の人生も脚光を浴び続ける、花でいえば大輪の牡丹やバラの花のような人生だったと思います。

一方、うめの人生はどちらかというと地味で野に咲くスミレとか、野菊のようなイメージです。うめはあさを支えるために一生独身で、唯一のロマンスだった鴈助との恋もあきらめなければなりませんでした。見方によっては何もいいことがなかったようにも見えます。

でも、彼女は常に人を輝かせ続けました。いつも周りの人たちのことを考え、支え続けた彼女の人生はとても尊いものだったとも言えるのではないでしょうか。

彼女は主人公あさの一番の理解者であり、時には母になり、時には姉になり、励ましたり叱ったり、彼女がいたからこそ、あさは活躍できたという部分も大きかったと思います。

人生が終わって神様の前に出た時、はたしてどちらが評価されるでしょうか。

自分が輝くことで人に光を与えたあさ、自分は輝かなくても人を輝かせ続けたうめ

歴史的な偉業という面ではあさに軍配があがるでしょう。でも、一人の人間として評価されるときには同じなのではないかと私は思います。それは、輝きが強いほどその影も濃くなってしまう。あさが刺された事件もそれを象徴しています。

でも人を輝かせると自分に影はできません。輝かせた人の光がまた自分を照らしてもくれます。

魂のレベルの高い人というのは、歴史の表舞台に立つ人よりも、ひっそりと地道に生きる平凡な人の中に多いと言います。

わたしはうめさんもその一人ではなかったかと、そんなことを思いながら毎日楽しませてもらっているのでした^
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