
冒険家マルコ・ポーロが中国から麺を持ち帰ったのがスパゲッティのはじまり」とか、「いやいやイタリアにはそれ以前からマカロニがあった」とか、イタリアでのパスタの起源に関する説はいろいろありますが、とにかく、現代のようにソースとからめて食べるパスタ料理がイタリアに普及しはじめたのは、17世紀のトマトとの出会いがきっかけでした。そして、17世紀半ばをすぎるころから、パスタ料理はイタリアから世界に広がっていきました。
日本で初めてパスタが作られたのは明治16年(1883年)頃、フランス人宣教師マリク・マリ・ド・ロ神父が、長崎県長崎市外海町に煉瓦造・平屋建のマカロニ工場を建設し、製造したのが最初といわれています。
パスタの日本への伝来もやはり、「文化の発祥地 長崎」でした。
ド・ロ神父は、皆さんご存知のとうり、長崎、ひいては日本の恩人と言っても
まだ言葉が足らないくらいの方で、
1840年フランスのノルマンディに近いヴォスロール村の貴族の出身。1865年司祭となり、東洋布教のためにパリ外国宣教会に入られ。明治元年6月7日プチジャン司教と一緒に長崎に上陸し、以来、潜伏キリシタンの復活を助けられました。
1914年に亡くなられるまで、50年近くの間、一度も故郷に帰られることなく、私財をなげうって生涯を西彼杵郡外海町の貧しいカトリック信徒たちのために捧げられ。その活動は多岐にわたり、印刷・出版事業、教会建築、開墾、道路工事、防波堤建築などの土木工事、社会福祉施設事業、医療・救護活動、本来の布教・司牧活動などがあります。
ド・ロ神父が尽力された社会福祉事業に関連する遺跡は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の1つとなっています。
2. パスタの普及
以来、長崎へ伝わった西洋料理、「パスタ」は、時を重ね日本全国へ伝わる事となりました。やがて昭和初期から、国産化が進んだものの、当時はまだ珍しく、ホテルや一流レストランでしか口にできませんでした。
やがて、1960年代後半になって広く料理されるようになり、家庭でもよく食べられるようになりました。1980年代中盤くらいまでは、日本においてスパゲッティといえば、ミートソースとナポリタンが双璧をなしていました。バブル経済下における「イタメシブーム」が火付け役となって様々なスパゲッティが登場することとなり、本場イタリア風のものが多く登場し、また日本独特の素材と和える方法があみ出され、たらこ、海苔、、納豆、大根おろし 等、ヘルシー素材が好感を持たれた和風スパゲッティが登場する事となります。
3.長崎パスタ
バブル景気の頃のイタリア料理ブームが起こる前、日本におけるスパゲッティ料理と言えばミートソースとナポリタンに尽きる、という事はすでに申し上げました。なかでもナポリタンの調理法は日本独自のものであり、以降の「本場
イタリア風」と称されるものとは一線を画し、あくまでの日本風アレンジによるものです。{イタリアではパスタ料理にケチャップは使われない}{ケチャップの本場アメリカでも火を通し調理することはまれ}同時期に登場した大衆洋食「チキンライス」「オムライス」等も、同様の発想によるものと思われます。
私たちの住む「長崎」は、古来、海外より多くの文化が伝来し全国へ伝わっていたのは皆さん周知のとうり、当然多くの食文化も伝わり、この長崎の地で、
アレンジされ、長崎独自の食文化として定着している物には、カステラ、ちゃんぽん、皿うどん、トルコライス、卓袱料理等など、枚挙にいとまがなく、
今なお、日本全国、海外の方々へその魅力を発信しております。
冒頭に記しましたとうり、西洋料理のひとつ、そしていまや日本でも大人気の
「パスタ」が伝わったのもやはり、「長崎」でした。
この、長崎の恩人である「マリク・マリ・ド・ロ神父」が残して下さったその
遺産のひとつである「パスタ」という食文化に着目し、長崎独自のソウルフ-ドとして、開発し、育てていく事は、郷土長崎のさらなる発展に貢献できるのではないでしょうか?
4.港町「長崎」
イタリア、「ナポリ」は世界三大夜景のひとつに数えられる港町です。
ここ長崎も海の向こうからヨ-ロッパの風を感じる事のできる、夜景の美しさを誇れる港町。この地に、パスタ料理はよく似合い、豊富な海産物に、豊かな
食文化のアレンジにより、多くの「長崎パスタ」が生まれるであろう期待が、
おおきく感じられます。
5、長崎パスタ>調理法
「パスタ」は本来実にプレ-ンな食材であるといえます。
その調理法、ソ-ス、スタイル、アレンジ、無限の可能性があります。
長崎の豊富な食文化の応用、自由な発想で、魅力的なメニュ-を構築
できます。
「長崎パスタ」とは、あらゆる調理法、アイデアを駆使したオリジナルで
あることを定義に、間口を広く取り、喫茶店、食堂、洋食屋さん、レストラン
あらゆる場所での提供が可能であるといえます。
長崎市民の方々に、豊かな食生活をご提供し、
長崎を訪れる方々に、長崎の旅の思い出のひとつに数えられれば最高です。
長崎を自由な発想の食文化を持つ「パスタの街」と認知できれば、歴史の街
長崎に、またひとつ新しい風を呼び込む事ができるかもしれません。
6.最後に
これらの一連の努力が実ったとき、この「長崎パスタ」の遠因に、ド・ロ神父の偉業があり、皆さんにその事を思い出していただく事は、長崎市民としての誇りであると思っても良いのかもしれません。