ロボシロウはこたえない | 九州最古の喫茶店。ツル茶んのマスタ-のブログ

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創業大正14年、九州、長崎の喫茶レストラン「ツル茶ん」の三代目マスタ-のブログです。姉妹店ヴィンランドも含め、長崎の魅力発信、マスタ-の個人的趣味など、掲載してゆきます。
長崎名物。「トルコライス」や「元祖、長崎風ミルクセ—キ」が大人気。

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 ロボシロウはこたえない

僕には、むかし「ロボシロウ」という友達がいた。

あれは僕が3才になる年の春、それまで母が、くるまで送ってくれていた
保育園への通園が、父に代わったころ。

父は大きなひとだった。
当時の僕から見ると、モチロン大人はみな見上げたものだったが、そのなかでも、父は特に大きかった。他の大人のひと達と比べても。
山のようだった、いつもあの一番高い所に登りたかった。
父は、毎日仕事をしていた。帰るのがいつも遅かった。
朝は、僕が保育園に出かけるまでには、起きてこなかった。
父は、お店屋さんをやっていた。
だからおうちにいることはあまりなかった。
だから何日も顔を見ない日が続くことがあった。
だから、たまに会えたとき{夕方頃ふいに帰ってくることがある、お土産を持って}は、すごく嬉しかった。
声が聞こえると、いつも跳んでいった。
僕は、父が愛してくれていることがよく解っていた。

父は自転車が好きだった。それも普通のと少し違うカッコイイやつ。
二台あるうちのひとつは、「赤」そしてもうひとつは、「うすいみどり」だったと思う。ぼくもこの父の赤い自転車が大好きだった。

ただ、父と保育園に通うようになってからは、僕らは歩きで通った。
父が右手で自転車を押し、左手で、僕の手をひく。
父はからだも大きく足も速い、大きな山がどんどん先へ進んでいく。
僕は、がっしり握られた父の左手にほとんど引きずられるように、必死でついていった。保育園への道のりは、遥かに遠く、とてもつらいものとなった。

母は、やさしくやわらかく、通園も車をつかう。
父も確かにやさしくはあったが、なにか違う。
そうやることが違うのだ。物事の基準からなにからぜんぜん違う。
僕と父の「男の付き合い」がはじまった。
なんで、こうなったのか?
大人の都合なんだろうけど、当然僕には理解できない。
とにかく、やさしい母との、楽しい通園が、
山のような父との、30分はかかるつらい行軍のような通園に変わったのだ。

僕にも、選ぶ権利がある。やさしい母との。くるまの通園のほうが絶対的に良いに決まっている。
はじめは、ささやかにも、激しく抵抗を試みてみた。
泣く!叫ぶ、母にしがみつく、地面にころがる。いろいろやった。
しかしそんなことをしても。父は、決して僕をしかったり、どなったり、ましては、叩いたり等という事はない。
ただ、太い右手は自転車を握り、残る左手が僕の方へ、伸びてくる。
山のようなからだの、クレ-ンのような左手が、やさしくも力強く僕を、
空中へ持ち上げる。からだが「フワリ」と浮いたという表現がピッタリくるような状態。程なくぼくはその「山」の頂上近くの、父の左肩あたりにガシッと、
固定される。
この圧倒的な存在感とパワ-。こうなると、僕はもうあきらめるしかなかった。
そして、父の耳元で、泣きながらささやく「ママ、お迎えくる?」
すると父は笑顔で「うん!すぐ来るよ」と答えてくれる。
はじめのこる、しばらく、僕と父との合言葉となった。

山のような父の肩口に抱かれ、通常は経験できない視点で絶対的安心感のもと、
ずんずん進んでいく。これはもう快感だった。
しかしその感動的な時間はいつまでもつづかず、程なく僕は、地面に下ろされ、
父の左手の定位置にもどり、ずんずん進んでいく父に必死で追いすがる。

ただ、そのずんずん行軍も、そう長くは続かない。
その途中には、いろんなイベントが用意されている。
まずは、父と僕とで、「トン」と呼んでいるパフォ-マンスがある。
これは、道々の途中にある、駐車場の車止めや、階段、よそのおうちの、玄関前の一段あがったとこ等、段になっているところなら、どこでもよい。
そこへ一旦登り、「やあ!」という気合一発、「トン!」と飛び降りるのだ。
父も、なかなか考えてるらしく、最初は低いものからやがて高く、難易度を上げてくる。ときには手を引いてくれ、フォロ-も怠りない。
僕もだんだんと「勇気」が鍛えられ、達成感もあり楽しくてしょうがない。
この前は、出発前、おうちの前の階段で、母にも披露し、得意満万だった。
そして、もうひとつは、「オットット」。
これは、歩道の植え込みの縁に登り、平均台よろしく「オットット」と、バランスをとりわたり歩くのだ。これは、「平衡感覚」と「集中力」が鍛えられる。
ただし、ずっと父の左手をしっかり握ったままなのだが。

途中、ケ-キ屋さん前の横断歩道のボタンを押すのは僕の仕事。
このとき、夏の暑い日など、父は、赤い自転車に備え付けられている、「ボトル」の飲み物{主にただの水だが}をくれる。
これは、保育園に到着した時にももらえるのだが、僕の楽しみのひとつ、ホントにおいしく「ゴクゴク」と飲む。
冬の寒い日は、信号がかわるまで、僕は父の太くがっしりとした左足にしがみつく。父は、温かい左手を僕のホホにあてて、さすってくれる。

信号がかわると、信号ダッシュだ、父が安全を確認し「ゴ-!」と声をかけると、僕は全力で横断歩道を走り渡る。大分速くなったと思う。
渡りきると、父はおおきな手を僕のあたまにあてて、「すごいぞ-」とほめてくれる。そのとき僕は「エッヘン」となる。
ただ、一度だけ、父の声がかかる前に走り出そうとして、このときばかりは、ひどくおこられた。父はこわかった。泣いてもだめだった。もうやらない。

ある日。「ロボシロウ」に会った。

横断歩道をダッシュして、「オットット」をクリアして。
いつも得意げに父にみせる、バランスのカドをひとりでやって
二回道を曲がった所に「ロボシロウ」はいた。
「ロボシロウ」は、地面にうまっていた。
というか、地面に「顔」があった。
いつか、父がみせてくれた、アメリカ製アニメ「アイアンジャイアン、、」
にそっくりだった。
僕が見つけた。ひとめで好きになった。
父にそう伝えると、名前をつけて、友達になってもらおうと言うことになった。
「タケシロウ」の友達でロボットだから、「ロボシロウ」なんだか安直だが、
僕は父の付けたその名前が非常に、気に入ってしまった。
その日から、僕の親友「「ロボシロウ」は僕にとって大きな存在となった。
僕が、たまに朝からぐずると、父は「ロボシロウ」が待ってるぞ、と一言いう。
それを聞くと、僕は、「行こう」と言う気になった。
「ロボシロウ」はいつも、あの二回道を曲がったところで僕を待っていた。

ある日、父が「ロボシロウ」にあいさつしておいで、と言った。
「ロボシロウおはよう!」と僕が言うと、なんと返事が返ってきた。
「タケチャンおはよう!元気か?」「うん、元気だよ」と答えた。
「今日も、がんばっといで!」「うn、わかった。バイバイ」
その声は、きたろうの目玉の親父のような、少し、裏返ったような声だった。
その日から毎朝、「ロボシロウ」とおしゃべりした、楽しみだった。
そして僕はいつも父にこう言った。「ロボシロウカッコよかったね」

保育園について、支度を終え、運動場へ出て行く前、父はいつも両手を広げ、「おいで、」と言ってくれる。
父は僕をふわっと抱きかかえ、「ギュッ」と抱きしめてくれる。
僕は父のホホにキスをする。すると父は僕を下ろして、背中を「ポン!」と叩いてくれる。そして、「がんばっといで!」という父の声を聞くといつも、運動場へ走り出していた。 毎朝のぼくらの「儀式」のようなものだった。

数年後、僕は小学校へあがった。
父はもうついてきてはくれない。ぼくは、ひとりで、かよった。
「トン!」も「オットット」も、自転車のボトルもない。
途中に、「ロボシロウ」も待っていてはくれなかった。
保育園最後の日、父と一緒にサヨナラしたきりだ。
小学校はすごく楽しかった。
友達もたくさんできた。
友達と待ち合わせして行ったり、帰りは一緒にちょっと寄り道したりした。

父は、仕事が忙しかった。また、あまり会えなくなった。
いろんな事を、たくさん話したいのに。

ある日、僕は、何か、「やってはいけない事をやり」「言ってはいけない事を言った」 母が泣いていて、父はものすごく怒っていた。
はじめて、父から叩かれた。
僕は、くやしくて、悲しくて、雨の中、家から飛び出した。
もう夕暮れだった。
いつか、僕はなつかしい「ロボシロウ」のところへ向かっていた。
「ロボシロウ」は雨の中。僕を待っていた。嬉しかった。
「ロボシロウ、ロボシロウ!」僕は懸命に、語りかけた。
でも、ロボシロウはこたえない。
そのかわり、目のところの穴に、雨水がたまり、あふれ、まるで、一緒に泣いてくれているようだった。 程なく母が、迎えに来てくれた。
なぜここだと解ったんだろう?後で、母に聞くと、「多分そこだ。」と父が言ったそうだ。 「ロボシロウ」とは、それ以来会っていない。

僕は、勉強をやり、スポ-ツをやり、仲間もできて、何回かの、恋もした。

父とは、中学以来、あまり話をすることもなくなった。

やがて気がつくと、そばには、愛する妻がいて、僕によく似た赤ん坊を抱いている。
山のように大きかった父は、今では、僕より少し小さい。
母は、あのころのまま、やさしくて、やわらかい。

息子が、3才になった年、父がそろって遊びに来いと言う。
なんでも息子に「プレゼント」があるそうだ。
それは、息子より大きい、少し古臭いデザインの丸い目のロボットの人形だった。 父は昔から、ロボットが好きだった。
そして、喜ぶ息子に。「オイ!ソウタロウ!元気か?」

息子に語りかけるその声は、あの「ロボシロウ」の声だった。
父は少し恥ずかしそうに、「タケ、覚えてるか?」と言いたげな目で、微笑んでいる。
やはり、「ロボシロウ」は父だった。
おぼろげに、そうではないかと思ってはいたが、今一つ、あの「ロボシロウ」そのものが、自分の思い込みではないかとすら思っていた。
なぜ、あの時、父は「ロボシロウ」になろうとしたのか?
今、父親になった僕には解る。
父は、父親であると同時に、僕の友達になろうとしたんだ。

でもこの話は、父とは、恥ずかしくてとてもできない。
帰り道、息子「ソウタロウ」の手を引いて歩いていると。
息子が必死で僕の手を引っ張る。
「どうした?」と聞くと。
「ほら、あそこに、おじいちゃんのくれたロボットにそっくりなのがいる」
それは、丸い穴の二つあいた、ブロックべいだった。
「そうだね、じゃあ名前をつけよう。ソウタロウの友達のロボットだから、ロボタロウだ。」

「ロボタロウ」が「ソウタロウ」に語りかける日は近い。






                あとがき
この、お話は、もちろん、息子の「タケシロウ」が「僕」で、父は、私です。
息子、武志郎と毎日、保育園への道を歩きながら、「タケはどんなこと考えてんだろうな~」と思いながらいつしかこの物語を書くにいたりました。
途中までは、実話で、その後は、私の願望とでも言って良い展開です。
「武志郎」は、現実では、まだ三才。
カレの人生、これからいろんな事が待ち受けているんでしょうけど、
「ロボシロウ」と一緒に、見守っていきたいと思います、

この一文を、いつも家庭をささえてくれている、妻、満美子にささげたい。

PS、これは2年前、なにげなく書いてみたものです。
   ひさびさ読み返して「なんかいいかな?」と思ってリバイバルしてみました。タケはいま5歳、だいぶ生意気になってきましたが今でも「ロボシロウ」とお友達です。でも僕の声真似はそろそろばれてるみたい。
タケとの通園も今年でおしまい。  さみしいですね。      三代目