本日7月24日は、文豪「芥川龍之介」(1892-1927)氏の命日です。

その代表作の「河童」にちなんで、また、日頃から河童を描くことがあったことから、

「河童忌」

と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

ということで、今まで一度も読んだことのない「河童」を読んでみようと思い立ち、自店の店内を探しましたが、なんと見つかりませんでした。

仕方がないので、純文学の棚を眺めていたところ、内田百閒著の、

「芥川龍之介雑記帖」というタイトルが、目に飛び込んできました。

さっそく、読んでみました。

 

 

 

夏目漱石を通じて知り合った、百閒と芥川は非常に親交が深かったそうです。

早くに百閒の才能に注目した芥川は、援助を惜しまなかったそうです。

 

 

 

睡眠薬を多量に摂取し、35歳という若さで自殺した芥川」に対する、百閒のこのような記述が印象に残りました。

 

 

芥川君の死因については、種種の複雑な想像が行はれたが、さう云う色色の原因の上に、あんまり暑いので、腹を立てて死んだのだらうと私は考えた。

その年は、どうしてあんなに暑かつたと思ふ位である。

その後、年年の二十四日も暑い…

 

 

昨日7月23日は、「大暑」でしたが、一年で最も暑い時期に亡くなった芥川。

約90年前の7月24日もやはり死ぬほど暑かったのですね。

 

 

 

そして驚くべき事実は、芥川が亡くなる数日前、百閒は彼から、腹案を聞いていたということです。

当時の心境をこう述べています。

 

 

今から思うふと、どんなに拙くとも、私の文でそれを書き上げておけばよかつたと後悔する。

(中略)

ただ、今日となっては、故人の意図したところと違ふ物が出来上がるのを怖れて、中中手を著ける気になれない。

 

 

もし、その作品が出来上がっていたら、どのような内容であったのか、またどのような形で公表されたのか、非常に興味深く思いました。

ちなみに、百閒の記憶に残っているのは、

   絨氈(じゅうたん)、モデルの女、画工、夢の中の殺人、モデルの失踪、

という5つの要項だったそうです。

皆様は、どのようなストーリーを組み立てますか。

 

 

芥川による百閒スケッチ

P.169

 

 

 

久しぶりに文学作品を読んでみました。

やはり、文豪とか天才と呼ばれる人は、何を考えていらっしゃるのかさっぱりわかりません。

わかったことは、90年前の7月24日も、やはり暑かったということだけです。

 

 

 

それではごきげんよう!