こんにちは。

大寒の中に現れた雑草の新芽にはふと逞しさを感じてしまいます。

皆さん如何お過ごしでいらっしゃいますか。

今回は、新約聖書ヨハネによる福音書  九章三十九節について考えて見ます。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」

見えない者は見えるようになり、見える者は見えなくなると言う一見しただけでは捉えがたい、この真逆の事象は一体どの様な意味を持つのでしょうか。ただこの時点で分かる事は、この世には二種類の人間がいると言う事です。

旧約聖書 コヘレトの言葉 七章一節

「名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる。」

上記の聖句から何事に於いても終わりが大事だと言う事が分かります。

ですから、我々は見えない者となるのではなく、見える者となるべく人生を歩んで行かなければなりません。

結論から言いますと、見えない者とは自分が盲人だと分かっている者、自分が罪人だと分かっている者の事です。そのような者は、真理が分かる見える者となると言う事です。

聖書ではどの様な小さい嘘でも罪に値しますから、この世に於いて、一度も罪を犯した事のない人間は主イエス以外には一人も居ません。神からすれば人間は皆罪人であると言う事を知る事から全ては始まると言えます。自分が罪人だと分かれば、必然的に悔い改めに導かれ、過去の自分と決別し、新しく生まれ変わりますから、そう言う者は聖書真理が分かる見える者となると言う事です。

新約聖書 ヨハネの手紙一 三章四節

「罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。」

旧約聖書 箴言六章二十三節

「戒めは灯、教えは光。懲らしめや諭しは命の道。」

新約聖書 ヤコブの手紙 一章二十五節

「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。」


律法を守る事によって罪の奴隷から解放され、神の御国に入る資格を持つ事が出来る様になると言う事から、自由の律法と言うのだと思います。
旧約聖書から新約聖書に於いて、一貫して律法遵守の重要性が語られているように、律法こそが聖書の根幹です。一日も早く覚え込んで、現実に応用して行かなければなりません。
新約聖書 ヨハネによる福音書 十四章二十三節

「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」

神の律法を守っている人には、聖霊が宿っている事がよく分かる聖句ですね。

律法については、「主イエスこそ真の道である」のブログ主でいらっしゃる真氏がまとめ上げて下さっています。


画像引用元:(主イエスこそ真の道である「滅びを招く偽りと決別し、真実と共に生きよう。後編)

神の律法の重要性については(真の聖書福音と預言のミカエル氏の記事「自由と律法に対する誤解」等をお読み下さい。

世の諸教会の律法廃止論が誤りである事は、聖句から明白ですので惑わされてはいけませんね。

真理と言う言葉を辞書で調べて見ますと、確実な根拠に基づいて、普遍的に正しいと認められる事柄、真の道理の意とあります。道理とは理であり、筋道です。
聖書の真理は言葉通り、全ての理であり真実です。
天地創造からヨハネの黙示録迄確実な根拠に基づいて、一本の真っ直ぐな道筋に沿って書かれている聖書は完全に論理的と言えます。

旧約聖書 創世記 第一章一節

「初めに、神は天地を創造された。」

とある様に、この世は偶然に出来たのではなく、創造主なる神が造られた事は明白です。

新約聖書 ヨハネの黙示録 二十二章十三節

「わたしは、アルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」

上記の二つの聖句により、この天地を創造されたのは神であり、そしてこの天地を終わらせるのも、又、神である事が分かります。

「唯一の真理である聖書に依拠して」のブログ主でいらっしゃる結士氏が作成して下さった下記の画像をご覧下さい。今、我々がどの位置に立たされているかが一目瞭然です。

画像引用元:(唯一の真理である聖書に依拠して「真の秩序と神に拠る幸福」)

新約聖書 ペトロの手紙二 三章八節

「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」

上記の画像と聖句から、我々は今予め六千年の期限が定められた終末期を生きている事が分かります。

旧約聖書 ホセア書 六章二節

「二日の後、主は我々を生かし、

三日目に、立ち上がらせて下さる。

我々は御前に生きる。」

主イエスの十字架刑から、二千年が過ぎた頃再臨があり、この世は滅び、三日目に立ち上がると言う事は復活を意味し、四日目がないことから、その後は永遠に生きると言う事を知りました。我々は主イエスに造られた者として、この永遠の命を頂ける様に、御言葉の実践者となるべく人生を歩んで行くべきです。この世はいずれ滅びる事が聖書には明記されているのですから、この悪にまみれた反キリストが支配するこの世に執着するのではなく、次の新しい天と新しい地で神と共に永遠に生きる事に希望を持つべきです。そうすれば、真に心は喜び満足感で満たされるに違いありません。
聖書には人間が生きて行く上で必要な事は全て書かれてあります。読まないと言う事は自ら滅びに喜んで向かっていると同義です。これ程の損失があるでしょうか。
神の御言葉である聖書は、最高位の高い視座で書かれていますから、自分だけの力で読み解く事は困難を極めます。ですから、正しい解説をされている方から学ぶ事が非常に大事な事です。
聖書を読み解く力がある方とは、正しい底本を用いて原語から忠実に翻訳されたり、聖書的に正しい根拠を基に論理的に考えて記事にされている方です。聖書の真理と少しでも矛盾があれば、それは偽教義です。主イエスは人間に聖書に忠実にある様にお教えになったのですから、聖書の真理に合致した解説及び言動をされている方から学ぶ事が理に適っています。
私は「真の聖書福音と預言」のブログによって聖書を学び今日に至っていますが、聖書の真理は勿論の事、世の中のあらゆる欺瞞の根本的原因を明確に理解する事が出来ました。この世の欺瞞の全てが網羅されている、誤りを論破する真実の情報と言う言葉がぴったりです。何故真実の情報と言えるのか、それは全ての記事には、明確な根拠や証拠が示されており、聖書に沿って矛盾なく書かれているからです。何故これ程迄に分かりやすいのかと考えて見ますと、それは筋道が通っているからに他なりません。非常に論理的と言う事です。
新約聖書 ヨハネによる福音書 十六章十三節

「真理の霊(聖霊)は、人をあらゆる真理に導くだろうとあるからや。」

聖句引用元:(真の聖書福音と預言「神の王国に相応しいように準備せよ」)
ミカエル氏はこの世のあらゆる欺瞞を弾劾されています。
太陽暦(グレゴリオ暦)が間違いで、聖書暦(太陰太陽暦)が正しい事、一日は時計の零時で日付けが変わるのではなく、日没が一日の始まりであり終わりである事、この天地が平面であり宇宙や重力等ない事、安息日は金曜日の日没から土曜日の日没迄である事、市販聖書の翻訳が誤っている事、底本がそもそも誤っている事、パウロが偽使徒である事、七曜の呼び方がそもそも間違いで西洋の異教に由来する事、西洋かぶれする事は主イエスの教えに反する事等書ききれない程の重要な事を学びました。又、時事問題は勿論、歴史、文化、科学、法にも大変詳しく、それらは全て具体的な理由によって裏付けされているものばかりであり信頼に値します。ですから、宗教家でもなければ教祖でも何でもなく、聖書にはこう書いてありますよと単にその事実を分かりやすく教えて下さっていると言う事です。それ以上でもそれ以下でもありません。
私は、これまで自身は目覚めている方だ等と高慢になっていましたが、あらゆる事を理解していたとは言い難く、単に一部分を見ていたに過ぎなかったのだと気づく事が出来ました。聖書と「真の聖書福音と預言」のブログが合わさって初めて真に目覚める事が出来た事は大変感謝すべき事です。
ミカエル氏の考察は大変鋭く、他の人が真似出来る様なものではありませんが、その様な記事を読む事によって、私自身物事を色々な側面から多角的に捉える事が出来る様になり、世の中を俯瞰して見る事が出来る様になりました。視野が広がったのだと思います。知らない者は知っている方から学ぶのが最短であり理に適っています。
世の中には頭脳明晰と言われる人も大勢いますが、知識と知恵は全く別物です。いくら専門家と言われる人達が膨大な知識を持っていたとしても、永遠の命に繋がる知識でなければ何にもなりません。
旧約聖書続編 知恵の書 八章二十一節

「わたしは知っている。神がくださるのでなければ、知恵を得ることはできないことを。」

旧約聖書続編 知恵の書 七章二十七節

「知恵はひとりであってもすべてができ、自らは変わらずにすべてを新たにし、世々にわたって清い魂に移り住み、神の友と預言者とを育成する。」

旧約聖書続編 知恵の書 七章二十八節

「神は、知恵と共に住む者だけを愛される。」

知恵ある方の許に行き、教えを受ける事に勝る事はありませんね。

くり返しになりますが「真の聖書福音と預言」のブログは聖書のみに依拠されていますから、聖書の教えから外れたものは何一つありません。私がブログに出会って一番良かった事、助かったと感じた事は、悔い改める事、律法遵守の重要性を知った事です。
一世紀当時、人々に悔い改めを説き、主イエスの初臨前に主の道を備えられたのは洗礼者ヨハネでした。

新約聖書 マタイによる福音書 三章二節

「悔い改めよ。天の国は近づいた。」

それから、主イエス・キリストが三十歳を過ぎてから公生涯としてお出ましになり、同じように悔い改めを述べ伝え始められました。

新約聖書 マタイによる福音書 四章十七節

「悔い改めよ。天の国は近づいた。」

洗礼者ヨハネも主イエスも全く同じ言葉で悔い改めを説いたのは、悔い改めない者の天国行きはないからです。

旧約聖書 マラキ書 三章二十三節

「見よ、わたしは

大いなる恐るべき主の日が来る前に

預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」

主イエスの来臨が二度あると言う事は、主イエスの再臨の前にもエリヤの働きをする男性が現れると言う認識が必要であると学びました。

旧約聖書続編 マカバイ記一 二章五十八節

「エリヤは燃えたつ律法への情熱の故に、天にまで上げられた。」

その方は、上記の聖句から分かるように、律法への情熱を持ち、人々に悔い改めを説き、主の為に準備の出来た神の民を用意するこの世に於いて、最も大きな働きをされる方です。

神は各時代に於いて、この世に少しづつ預言者を送られているのですから、この終末の時代における預言者を心眼を開いてしっかりと見極めなければなりません。洗礼者ヨハネがそうであった様に、その方は一人だけと言う事です。

最後になりましたが、皆さんに是考えて頂きたい重要な問題があります。憲法改悪問題です。結論から申し上げますと発議になり国民投票になった時点で日本は詰みます。国民投票には致命的な罠が仕掛けられているからです。最低投票率が設けられていないと言う事は、極論を言えば、賛成一票、反対零票で改定出来てしまうと言う事です。ごく少数の賛成で簡単に国の最高法規が変えられてしまいと言う事です。国民投票になれば日本終了です。何故ならば、改憲内容がそう言う内容だからです。

○戦前の様に天皇を国家元首に返り咲かせる

○国民に義務を課す性質に変える

○国防軍を創設し平和主義を捨てる

○政教分離を甘くする

○緊急事態条項を作って期限なしの独裁をやろうとしている

○最高法規の章にある第九十七条の基本的人権の保障を丸ごと削除する

等あり得ない内容だからです。

国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を自ら捨てると言う事がどれ程恐ろしい事か国民一人一人が自らの思考力を駆使して考えなければならない時は今を於いてもう二度とないでしょう。

ここで第二次世界大戦を自ら経験した映画監督であった伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」と言う著書の中の言葉をご紹介致します。

伊丹万作氏の事は下記の「真の聖書福音と預言」のブログの記事から知りました。


真の栄光は艱難を経て得られる


ミカエル氏が常日頃から仰っている事と酷似しており大変納得するものでした。


「いくらだますものがいても、誰一人だまされるものがいなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたに違いないのである。」

だまされる方も悪いと言う事がよく分かりますね。

「そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」

あんなにも造作なくと言う言葉が今の日本人にぴたりと当てはまるのではないでしょうか。何故かと言いますと改憲内容を知れば誰もがあり得ない内容である事は直ぐに分かるからです。難しくも何ともなくむしろ大変分かりやすいのですから。最高法規である憲法を変えらると言う事は今の日常が一変する事を意味します。そして、騙されない為には、批判力を持ち、思考力を持ち、信念を持つ事が重要である事を伊丹万作氏の言葉から十分に学ぶ事が出来ます。歴史を教訓としなければなりませんね。憲法問題については「真の聖書福音と預言」の改憲問題が現日本国憲法に沿った大変分かりやく解説となっております。

直感や感情ではなく、正しい根拠に基づいた客観的、合理的な判断をされておりますからご一読して頂きましたら幸甚です。

幸せになりたい、平和こそが尊いと真に思うのであれば、聖書の真理や法に関する知識を持たなければなりません。

日本国憲法第十二条

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」

国民は憲法上保障されている自由及び権利を保持する義務を負っていると言う事、「国民の不断の努力」が憲法によって国民に課されている事を再認識しなければなりません。



旧約聖書 ホセア書 四章六節

「我が民は知識不足のために滅ぼる。お前が知識を拒絶したさかい、我もお前を拒絶して我が祭司にはならへん。お前が神の律法を忘れたさかい、我もお前の子らを忘れよう。」

聖句引用元:(真の聖書福音と預言「真の栄光は艱難を経て得られる」)

神に忘れられないように、本物の知識を胸に刻みつけ残りの時間を生きて行きたいものです。
最後迄でお読み頂きまして本当にありがとうございました。